本の修理屋・坂上さんのこと

空が澄み、冬の気配を感じる札幌です。

さて、今日は月曜休館日。

ですが、〝本の修理屋〟こと坂上吉武さんをご紹介します。

ミュージアムに展示している故・竹岡和田男さんが遺した

キネマ旬報コレクション。

戦後復刊の第1号から

お亡くなりになる2001年までのバックナンバー

ほぼすべて、約1300冊をそろえています。

実は、このキネマ旬報。オープン前に整理したところ、

特に古い号は背表紙やページがボロボロ。

とても触ったり、読める状態ではないものもありました。

そんなとき、人づてにご紹介いただいたのが坂上さんです。

坂上さんは図書館用品の販売会社に長く勤め、

そこで製本技術を学び、本の修繕などを行ってきたそう。

さっそく連絡を取り、まずは痛みがひどい約300冊の修理を依頼。

約3週間のハードスケジュールでしたが、

見事オープンまでに作業してもらったおかげで

お披露目することができたのです。

下の写真にご注目。

中央の第81号以外の背表紙は、坂上さんが付け直してくれたもの。

紙の質感や字体など元の雰囲気を大事にする

こだわりぶりがわかります。

さらに多くの人に活用してもらえるよう、

戦後復刊1~3号までをすべてコピーして

本物そっくりに製本してくれたのも坂上さんでした。

本物はショーケースに並べていますが、

コピー本は館内で自由に閲覧できます。

当時の映画評や映画広告など、

古ければ古いほど読み応えがあるのです。

そんな坂上さんが、

11月15日発行の「O.tone(オトン)」で紹介されました。

「匠」と呼ぶにふさわしい坂上さんの経歴や人となりがわかります。

ミュージアムについても触れられているので、

ぜひお読みください。

古いモノの価値を見直し、新しい時代へつなぐ。

日々修理本と向き合う坂上さんの仕事は、

映像文化を掘り起こすミュージアムと

通じている気がするのです。

竹岡羊子さんが札幌芸術賞を受賞されました

大通公園のイルミネーションもライトアップされ、

いよいよ冬の装いの札幌です。

さて、「北海道に映像ミュージアムを」と

提唱し続けてきた、竹岡和田男さん亡き後、

このミュージアム活動を長年支えてくださっている

奥様の竹岡羊子(ようこ)さんが、

平成23年度の札幌芸術賞を受賞されました!

おめでとうございます!

ミュージアム副理事長を務める羊子さんの本業は画家。

1955(昭和30)年に札幌に移り住んで以来、

ヨーロッパを中心に世界各地を訪ね歩き、

カーニバル画を描き続けていらっしゃいます。

札幌を拠点とした女性画家として先駆的に活躍、

美術教育にも力を注ぐなどの実績が認められ、

今回の受賞となりました。

羊子さんは、故・竹岡さんの想いを受け継ぎ、

この10年間、彼の膨大な映画コレクションを

管理・保存し続けてくださった方でもあります。

ようやく実現したミュージアム。

そこに展示された竹岡さんのコレクションを、

どんな想いで見つめていらっしゃったのでしょう。

授賞式で、ミュージアムメンバーと撮った1枚。

信じる道を突き進めば、きっと光が見える。

いつも絶やさない穏やかな笑顔が、

そう教えてくれている気がします。

オープンまでの道のり⑥~「シネマの風景」連載と出版

札幌は本日とうとう雪が積もり、一面真っ白!

ミュージアムは、奥にある白壁のホテル側1Fにあります。

さて、今日は不定期連載「オープンまでの道のり」をご紹介。

◆ ◆ ◆

北海道をロケ地とした映画の魅力を伝えたい。

そんな思いから、上映会などを続けていた2006年、

ミュージアムは、メンバーの連載記事を

北海道新聞に掲載するチャンスを得ます。

企画タイトルは、「シネマの風景」。

過去の名作のロケ地をミュージアムの“映画通”が訪ねて取材し、

「今」とのかかわりを併せてリポート。

その作品が地域に何を残したのか、を掘り起こす企画です。

取り上げたのは、

1951年「白痴」(取材ロケ地/札幌市)
1953年「君の名は」(美幌町)
1959年「ギターを持った渡り鳥」(森町) など往年の名作から、
2001年「風花」(上川町)
2002年「刑務所の中」(網走市)
2004年「海猫」(函館市)
2007年「壁男」(札幌市) など近年にわたる74作品。

道新夕刊で週1回、2006年4月~2008年3月まで掲載し、

終了後の2009年1月には書き下ろし2篇を加えて

単行本「北海道 シネマの風景」(2,300円+税)として刊行しました。

単行本のあとがきには、こうつづっています。

私たちは、北海道にちなんだ映像アーカイブを集積し、
だれもが気軽に利用できる施設の実現を提唱した
故・竹岡和田男さんの意志を継いで2001年春、
「北の映像ミュージアム」を札幌のど真ん中にうちたてようと決意しました。
しかしながら、経済は好転せず、
文化への公共投資がどんどん切り下げられていく中で、
具体的な展望は開けず、
荒野に立ち尽くす思いでこの七年間を過ごしてきました。
こんなに難しいこととは予想もせず。
まさに「えらか所に来てしもうたばい」です。

最後に引用したセリフは、

中標津・別海ロケ「家族」(70年、山田洋次監督)の中で、

九州の炭鉱を離職し、新天地として北海道を目指した

主人公が、中標津の原野に立った時の言葉。

そう。当時はまだ、ミュージアムの実現なんて夢のまた夢。

それが現実のものとなるのは、それから2年半後のことでした。

(つづく)

オープンまでの道のり⑤~ゆうばり映画祭応援~

今日は秋晴れ!

少し冷たいですが、心地よい秋風が吹く札幌です。

さて、本日は月曜休館日。

不定期連載「オープンまでの道のり」をどうぞ。

◆ ◆ ◆

2007年7月、ミュージアムは

映画とフォーラムの集い「頑張れ!映画のまち夕張」

と題したイベントを開催しました。

ご存知の通り、夕張市の財政破綻によって前年休止となった

「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」

を応援するためです。

パネリストに

映画評論家の品田雄吉さん、

WAHAHA本舗主宰者で

夕張ロケ「冬の幽霊たち」を製作した喰始(たべ・はじめ)さん、

NPO法人「ゆうばりファンタ」の沢田直矢さんの3氏をお招きし、

コーディネーター役のミュージアム理事・中島洋さん(シアターキノ代表)

とともに 映画祭の未来、

そして、北海道と映画との関係について熱く語ってもらいました。

また、2002年のゆうばり映画祭でヤング・ファンタ・グランプリを獲得した

韓国映画「猟奇的な彼女」と「冬の幽霊たち」の2本を上映。

イベントの益金10万円を映画祭実行委員会に寄付し、エールを送りました。

ミュージアムがこの映画祭を応援する理由を、

会員の吉野力太さんが会報9号(2007年発行)の

巻頭エッセイの中でこう述べています。

 ゆうばり映画祭は17年続いた歴史のなかで、大スターが一介の市民とストーブを囲んで語り合い、そして良い思い出を持ち帰り、ノーギャラでもよいからまた行きたい、という文化を培った。  夕張というまちそのものが「映画と北海道」の関係を凝縮しているといってもいいいだろう。  北海道と映画のかかわりを大切にし、映像資料をアーカイブとして保存し、未来につなげる場の実現を目指す私たちNPO法人「北の映像ミュージアム」推進協議会にとっては、ゆうばり映画祭もまた、最優先に大切にしなければならない「北海道の文化財産」と位置づけたい。

我々を含め、こうした市民の熱い想いが寄せられ、

ゆうばり映画祭は2008年に復活!

今年度も2012年2月23日(木)~27日(月)に開かれる予定です。

夕張をはじめ、函館、芦別など道内各地で開かれる映画祭。

その灯を絶やさぬよう応援し続けることも、

ミュージアムの使命だと思うのです。

オープンまでの道のり④~ワーナーおじさん~

本日は好天の札幌です。

休館日のため、不定期連載「オープンまでの道のり」をどうぞ。

◆ ◆ ◆

ミュージアムの開設のめどがたたない中、

力を入れていった自主上映活動。

その中には、

ミュージアムメンバーの重鎮、故・山田昻(のぼる)さんによる

「ワーナーおじさんと名画を楽しむ集い」がありました。

山田さんは、元ワーナー・ブラザーズ札幌支社長。

同社設立と同じ年に生まれた、というのが、生前の自慢だったと言います。

映画配給一筋の道を歩み、

「北海道キネ旬友の会」前会長も務めました。

山田さんが特に愛したのは、ハリウッド・ミュージカル。

「ワーナーおじさんと名画を楽しむ集い」と銘打ち、

2007年4月 「ハリウッド・ミュージカル~タップダンスの魅力」

2008年2月 「ハリウッド・ミュージカルの楽しみⅡ

~カップル・ダンスの名シーン」

の講師として映画鑑賞の楽しさを語ってくれました。

創立メンバーとして長年ミュージアム活動を支えてくれましたが、

病に倒れ、2009年10月、惜しまれつつ逝去。

残念ながら ミュージアム実現のご報告はできませんでしたが、

館内には「山田コレクション」コーナーを設けることになりました。

さまざまな資料を展示しているほか、

膨大な映画本の中から約300冊を

「シネマの本棚」として並べています。

幼いころ、「雨に唄えば」に心躍らせ、

「サウンド・オブ・ミュージック」に感動した私。

生前お会いできなかったことが悔やまれます。

しかし、このミュージアムができたことで、

映画を愛し、ハリウッド・ミュージカルの魅力を伝え続けた

山田さんの〝魂〟に触れることができるのです。

(つづく)

オープンまでの道のり③~上映会~

本日も晴天の札幌。でも、風はすっかり秋。

大通公園の木々も、しっかり色づいてきました。

さて、本日は月曜休館日。

不定期連載「オープンまでの道のり」をお伝えします。

◆ ◆ ◆

2003年、「北の映像ミュージアム」という目標を掲げ、

NPO法人化したメンバー。

しかし、なかなか官庁や企業の支援を得ることはできず、

場所や金銭面のめどはつきませんでした。

そんな中、運動の求心力を強めようと

力を入れたのが、上映会です。

北海道をロケ地とした400本以上の劇映画の中から、

メンバー選りすぐりの作品を紹介。

多くの人に鑑賞してもらうことで、

「北の映像ミュージアム」の意義を伝えようというものでした。

スタートは2001年9月。

札幌・道新ホールで開いた第1回「キネマ&トークの夕べ」です。

ゲストは、小樽市出身の映画監督・小沼勝さん、

札幌出身の哲学者・鷲田小弥太さん、作家・原田康子さん。

小沼さんは、

鹿追ロケ「女はバス停で服を着替えた」(2002年)の監督。

原田さんは、釧路ロケ「挽歌」(五所平之助監督、57年)

の同名原作小説の著者。

3人によるトークの後、「挽歌」を鑑賞しました。

その後、以下のように年1、2回の上映会を実施。

北海道ロケの優れた劇映画やドキュメンタリーを発信し続けたのです。

(つづく)

◆上映会の記録 【開催日「イベント名」/上映作品/ゲスト=敬称略=の順】
2001年9月「第1回キネマ&トークの夕べ」/「挽歌」/原田康子、小沼勝、鷲田小弥太
2002年9月「第2回キネマの夕べ」/「氷点」/品田雄吉
2003年6月「NPO法人設立 記念上映会」/「大地の侍」/川本三郎
2003年9月「第3回キネマの夕べ」/「飢餓海峡」/なし
2004年4月「第1回秀作テレビ番組上映会」/HBC「オロロンの島」/小南武郎
2004年9月「キネマの集い」/「森と湖のまつり」/内田有作
2004年10月「第2回秀作テレビ番組上映会」/STV「ドラマ 一年」/桜井宏平
2005年6月「知床半島世界遺産決定記念」/「遥かなる山の呼び声」「男はつらいよ 知床旅情」/なし
2005年10月「北海道シネマ・クラシック」/「魚影の群れ」/川本三郎
2006年11月「北海道シネマ・クラシック」/「家族」「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」/なし
2007年4月「第1回ワーナーおじさんと名画を楽しむ集い」/「ハリウッド・ミュージカル~タップダンスの魅力」/山田昻
2007年7月映画とフォーラムの集い「頑張れ!映画のまち 夕張」/「猟奇的な彼女」「冬の幽霊たち」/品田雄吉、喰始、澤田直矢
2008年2月「第2回ワーナーおじさんと名画を楽しむ集い」/ハリウッド・ミュージカルの楽しみⅡ「カップル・ダンスの名シーン」/山田昻
2008年10月「第3回秀作テレビ番組上映会」/「赤い靴はいてた女の子」/菊池寛
2008年11月「北海道シネマ・クラシック」/「ジャコ萬と鉄」/山田健
2009年6月「北海道シネマ・クラシック」/「馬喰一代」/小檜山博
2009年10月「北海道シネマ・クラシック」/「死闘の伝説」/なし
2010年6、7月北の映像ミュージアム10周年記念「シネマの風景フェスティバル」/「赤いハンカチ」「ギターを持った渡り鳥」「白痴」「南極料理人」「Love Letter」「網走番外地」/川本三郎、品田雄吉、沖田修一、西村淳、小檜山博

オープンまでの道のり②~出発~

本日は、不定期連載「オープンまでの道のり」をご紹介。

* * *

北海道の地に「映像ミュージアム」を。

2000年に亡くなった竹岡和田男さんの遺志を受け継ぎ、

志を同じくした映画大好き人間たちが集まったのは、

その翌年、2001年4月のことでした。

竹岡さんの数万点に及ぶ映画資料を活用しようと、

「竹岡和田男コレクション」の設立委員会を立ち上げたのです。

2001年5月10日発行の「竹コレ通信」第1号には、

磯田憲一さん、横路由美子さん、竹岡羊子さん、
山田昻さん(故人)、和田由美さん、玉木博司さん、
中島洋さん、佐々木純さん、武島靖子さん、喜多義憲さん

など13人が参加したことが記されています。

当時は、「竹岡コレクション」を行政に託し、

市民に公開・活用してもらうのが目的でした。

しかし、著作権や場所、費用などの問題から、

すぐに実現するのは難しいことが判明。

それでも、活動の灯をともし続けようと、

2003年5月にはNPO法人「北の映像ミュージアム」

推進協議会の認可を受け、会員を募りながら上映会を開いたり、

会報による情報発信を行ったのです。

(つづく)

オープンまでの道のり①~原点~

札幌は雨。三連休の最終日でもあり、

客足はあまり伸びません…と思ったら、

夕方から急にお客様が来館し、あれよあれよと70人超に。

ニトリ文化ホールや教育文化会館が近いため、

ライブやコンサート前のお客様が立ち寄ってくださることも多いのです。

そんな中、午前中には大阪からの女性観光客2人組が、

網走ロケ「南極料理人」(沖田修一監督、2009年)

の衣装を目当てに ご来館くださいました!

お二人とも、主演の堺雅人さんファンとのこと。

ご本人が実際に来た衣装だと知ると「えぇ~!」と歓声が。

館内をじっくりご覧いただき、楽しんでおられました。

さて、本日から、オープンまでの10年間の足跡をたどる連載

「オープンまでの道のり」を不定期掲載していきます。

◆ ◆ ◆

「北の映像ミュージアム」活動の始まりは、2000年。

同年9月に亡くなった、映画・美術評論家、

竹岡和田男さんの想いが出発点でした。

竹岡さんは、元北海道新聞記者。

長年、編集畑を歩み、退職後は北海学園大教授などを務めました。

映画・美術・音楽・演劇など

芸術文化への造詣が深く、数々の評論や著書を残しています。

とりわけ映画への想いは強く、3万点に及ぶ膨大な映画コレクションを所蔵。

さらに、全国各地の「映像ライブラリー」を調査し、

北海道にとっての必要性、重要性をこう訴えていました。

 北海道は戦前から戦後のロケーション地として、日本映画にとって重要な土地であった。(中略)これらの作品的内容は別としても、北海道の街や自然の変貌を知るには絶好の歴史的資料であろう。

 例えば谷口千吉監督「ジャコ萬と鉄」の見事なニシンの群来、五所平之助監督「挽歌」の釧路の街と湿原、黒木和雄監督「わが愛 北海道」の希望あふれる時期の表情、小林正樹監督「人間の條件」の大原野、田中絹代監督「乳房よ永遠なれ」の札幌郊外、吉田喜重監督「樹氷のよろめき」のニセコの冬、そして黒澤明監督「白痴」のかつての札幌の街景と人の営みなど、時代を語り、いまは見られぬ情景をいきいきと描き出して、またとない貴重な資料となるだろう。これらを収集して後世に遺すのも、大事な責務ではないか。しかもフィルムは年ごとに劣化し散逸して行く。

札幌(北海道)にフィルムライブラリーを、との声が高まるのは、こうした意義と現状からであり、自治体と民間が一つになっての方策が望まれる。(以下省略)

(1999年7月、「北海学園大学人文論文」第13号、竹岡和田男「映像ライブラリー 日本における現状と課題(Film Archive in Japan)」より)

そんな竹岡さんの遺志を引き継ぎ

2000年、札幌に「北の映像ミュージアム」を

創設しようという動きが始まったのです。

(つづく)