6/10北海道先行公開!北海道ロケ「心に吹く風」のユン・ソクホ監督&主演の真田麻垂美さんインタビュー(後編)

6/10(土)に北海道で先行公開される
映画「心に吹く風」(ユン・ソクホ監督)。

(C)松竹ブロードキャスティング

(C)松竹ブロードキャスティング

監督と、主演の真田麻垂美さんへの
インタビューの続きをどうぞ。

* * *

Q.北海道での撮影はいかがでしたか?

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真田麻垂美さん:私も北海道は大好きで、函館や札幌を訪れていました。撮影初日、大雨の東京から飛行機で旭川に着くと、真っ青な空と美しい新緑のグリーン、牧場の牛! 「ここで撮影できるんだ」と、気持ちがワクワクしたのを覚えています。撮影の合間にいただいたアスパラガスやジャガイモがとても美味しくて、幸せな時間でした。

Q.監督は2012年に人気俳優チャン・グンソク出演のドラマ「ラブレイン」で、旭川・富良野・美瑛で撮影されました。その時からこの映画の構想があったのでしょうか。

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監督:いいえ、その時は映画のお話はありませんでした。最初は3年前、映画撮影の提案をいただき、どんな作品にするか考えるため、大好きな北海道で構想を練ったんです。その時、自然の偶然的要素からイメージがどんどん湧き、さらに、劇中に登場する古い倉庫や青い池などを見つけ、インスピレーションを受けてシナリオに落とし込みました。

Q.真田さんは、海外監督とのお仕事は初めてですね。演出の違いや苦労があれば。

真田さん:演じるとき、私は自分を軸に、どこまで役の感情と寄り添えるか、共通点を探していきます。今回はその期間が半年間ほどあり、監督とコミュニケーションを取りながら深めていけました。肉体的にも10キロ太ることで春香という女性に近づきましたし、順撮りだったこともあり、難しいという感覚はありませんでした。

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ひとつ発見だったのは、「自然」も俳優と同じ立ち位置にあるという監督のスタンスです。当たり前のようですが、実際、自然と私達の演技が合う瞬間は、運とタイミング。監督の求める天気を待って1週間トライし続けたこともありましたが、最終的には美しい自然と、リョウスケ、春香が合致した瞬間が撮れました。きっとこの映画に神様が味方してくれたのかな、と思います。

Q.最後に、北海道のファン、観客へメッセージを。

監督:大好きな北海道で、初めて映画を撮りました。ここに住んでいる北海道の皆さんとお会いできることが嬉しいです。この映画には、風を通したメタファーや風の風景がたくさん出てきます。リョウスケと春香に吹いたような、爽やかな、ときめく風を感じていただけたらと思います。ぜひ、劇場でご覧ください。

真田さん:大自然の中では嘘がつけません(笑)。心震える、真実の大人のラブストーリーです。皆さまに、ご覧いただけたら幸いです。

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映画「心に吹く風」 公式サイト →こちら

6/10北海道先行公開!北海道ロケ「心に吹く風」のユン・ソクホ監督&主演の真田麻垂美さんインタビュー(前編)

春の北海道、美瑛~富良野を舞台にした
映画「心に吹く風」が6/10(土)に北海道で先行公開されます。

(C)松竹ブロードキャスティング

(C)松竹ブロードキャスティング

大ヒット韓国ドラマ「冬のソナタ」のユン・ソクホ監督の
記念すべき劇場用映画第一作!
キャンペーンで来札した監督と、
眞島秀和さんとともに主演した
女優・真田麻垂美さんへのインタビューを、
2回に分けてたっぷりご紹介します。

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* * *

Q.まずは監督へ、ロケ地に北海道を選んだ理由は?

ユン・ソクホ監督(以下、監督):北海道はもともと好きで、よく来ていました。自然がワイドで、視覚的な美しい要素がたくさんあります。ただ、今回はそれだけではなく、この映画で追及しているテーマをよく表している場所だと思ったんです。それは、〝偶然と時間〟です。

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「人が生きる」ということは、偶然的な要素の連続だと思いますが、よくみると自然の中にもそういう偶然の要素がたくさんあります。たとえば、風で揺れる木の葉や、太陽の日差しを受けて動く雲の影、刻々と変化する雲や影の姿。そうした大自然の中にある偶然の要素や美しさと、人間の世界で起こる偶然の物語をつなげて表現したいと思ったんです。北海道は、そのテーマにとてもマッチした場所だと感じました。

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Q.特に、白樺の美しさが印象的でした。

監督:白樺は、白い背景に木の皮がまるで人の目や顔のように見え、その多様性が興味深い。それも偶然的要素だと思いますが、そうしたパターンの自由さが、私が好きな理由かもしれません。この映画のカラーは〝白と緑〟なのですが、それにもマッチしています。ちなみに、人の表情に見える白樺の模様もたくさん撮ったのですが、結局カットにしました。

Q.真田さんは16年ぶりの映画復帰となりました。そのきっかけは?

真田麻垂美さん:〝偶然と時間〟をテーマとしたこの映画のように、私自身もこの映画との出会いは偶然なんです。松竹ブロードキャスティングの深田誠剛プロデューサーとたまたま食事会でご一緒する機会があり、映画のワークショップ式オーディションにお誘いいただいたのがきっかけなんです。

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その時は長く現場を離れていたので、「ご迷惑になるのでは」とお答えしたのですが、「主婦の話なので、実生活で主婦を体験した真田さんにぜひ」と言われ、迷いながらも参加することにしました。が、部屋に入った瞬間、監督の優しい空気感に包まれ、それまで緊張していた自分が嘘のように解放されたんです。不思議でしたけれど、とても居心地が良くて、自由に表現させてもらいました。すべてがそこに到達するようにつながっていたのかなと、今は思います。

(つづく)

(C)松竹ブロードキャスティング

(C)松竹ブロードキャスティング

映画「心に吹く風」公式サイト →こちら

シアターキノ・北海道の役者たち映画祭2015で小林なるみさん&大橋千絵さんトーク!

10/24(土)に始まった

シアターキノの「北海道の役者たち映画祭2015」。

企画した中島洋さんの

「北海道にも素晴らしい役者やスタッフがいる。

観ることで応援し、注目してほしい」という言葉通り、

近年、北海道ロケの話題作や自主制作が増える中、

地元で頑張る役者さんをどんどん応援しようというのが狙いです。

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初日、2015年の小樽ロケ「きみはいい子」(呉美保監督)の上映では、

高良健吾さん演じる教師の上司役を演じた小林なるみさんと

尾野真千子さん演じる女性のママ友役となった大橋千絵さんがトーク。

その内容をご紹介します。

* * *
オーディションを経て、出演のチャンスを掴んだという2人。

呉監督の前作「そこのみにて光輝く」(函館ロケ)から続けて出演した小林さんは
「ハードな撮影でしたが、温かい現場でした。東京の役者さんと変わらない対応をしていただき、役者を続けていて良かったと思いました」と振り返り、
「映像は苦手だと思っていたけれど、病気を機に、気になるものに挑戦しようと思いました。芝居をすることで、東京の役者さんに刺激を与えることもあったし、もちろん受けることも多かった。いい作品はそうして影響を及ぼし合って創り上げるものなんだと実感。札幌では、ショートフェスなどもあるので、自主制作の現場にも参加してみたい。札幌が映像の街としてどんどん楽しくなればいいと思います」と話しました。

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左から小林さん、大橋さん。右は司会のミュージアムスタッフ・アラタメ

一方、大橋さんは
「第一線の方々とやってみたい、と思っていただいた役でした。呉監督からセリフの言い回しを相談されたり、意見を尊重してもらって嬉しかったです」と説明。
以前に出演されたドラマで、小林薫さんから「東京・東京というけれど、ここにいるからこそできることがある」と言われたことを挙げ、「私ももっとアンテナを張り、やれることを探したい」と北海道を拠点にした役者としての意欲を語り、「映画はシナリオがすごく大切。そうしたことを学ぶワークショップや人とつながる場が札幌にもあるといい」と提案しました。

* * *

トーク後の上映では、特に後半、場内のあちこちからすすり泣きが。

終了後、会場に残っていた小林さんに「良かったです!」と

声を掛ける方もいらっしゃいました。

この日はその後、2001年の札幌・岩見沢ロケ「man-hole」(鈴井貴之監督)も上映。

35ミリフィルムの質感とともに、

今や全国で活躍するTEAM-NACSや鈴井監督の

〝北海道映画の原点〟を堪能できるひとときとなりました。

ちなみに、「きみはいい子」「man-hole」の両作品に、尾野真千子さんが出演!

「探偵はBARにいる2」の12年前、大泉洋さんと共演するシーンもお楽しみに。

北海道の役者たち映画祭2015は10/30(金)まで。
上映作品は次の通り。詳細スケジュールはコチラ
●小樽ロケ「きみはいい子」
●岩見沢ロケ「man-hole」
●札幌ロケ「茜色クラリネット」(28日トーク/小林エレキさん)
●「Waiting for…」「び じょ」「近すぎる空」「true flower」(29日トーク/山野久治さん)
●「凪ぎさ」「花」(30日トーク/高野資也さん&山本菜穂さん)

※小林さん&大橋さんのインタビュー「北の注目される役者たち」はこちら

祝!モスクワ国際映画祭最優秀アジア映画賞!!小樽ロケ「きみはいい子」出演の小林なるみさんインタビュー

現在公開中の、小樽ロケ「きみはいい子」。

6月に開催された「第37回モスクワ国際映画祭」で、

NETPAC賞(最優秀アジア映画賞)を受賞しました!

おめでとうございます!

呉美保監督の前作函館ロケ「そこのみにて光輝く」と続けてご出演された

札幌の俳優・小林なるみさんのインタビューが

シアターキノサイトにアップされました!

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※サイトはコチラ

ミュージアムとのコラボ企画第2弾

「北の注目される役者たち」の初回を飾るインタビューです!

映画の鑑賞後に、ぜひお読みください。

北海道出身!「映画ドラえもん のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ)」の大杉宜弘監督がご来館③

国民的人気アニメ「ドラえもん」の2015年劇場版
「映画ドラえもん のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ)」。

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北海道出身の大杉宜弘監督インタビュー連載、最終回をどうぞ。

*  *  *

―ありがとうございます。ちなみにジブリ作品「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」「コクリコ坂から」「ゲド戦記」「かぐや姫の物語」にも、原画や作画で携わっていらっしゃいます。

「千と千尋」は20代半ばの時、初めてジブリに参加した作品で、わけもわからず夢中でした。担当したのは、パッケージにもなっている、千尋が空から落下して水中に潜るシーンです。「かぐや姫」の場合、かぐや姫が花見に行く前に着物を着るシーンと、橋爪功さん演じる求婚者のひとりが、宝物を姫に説明するシーンを担当。映画「ドラえもん」の制作のため途中で抜けてしまいましたが、楽しい現場でした。

―いま手がけられているお仕事は。

神奈川県川崎市にある「藤子・F・不二雄ミュージアム」で上映する新作の短編映画を作っています。ドラえもんの誕生月である9月から、公開する予定です。また、来年公開する劇場版ドラえもんには、原画で参加しています

―アニメーターとしての目標をお教えください。

色々挑戦したいですが、やっぱり僕は、自分自身も大好きな、子ども向けのアニメ作品を作り続けたいです。見た人が元気になれるようなものがいいですね。

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―北海道ご出身ということが、作品作りに何か影響を与えていますか。

実は、今回の映画のメイン舞台となる「ポックル星」の由来は、「コロポックル」なんです。可愛い響きが宇宙人の丸いイメージと重なり、僕が名付けました。本当は、のび太たちに助けを求める宇宙人の名が「コロ」だったんですが、途中で「アロン」に変わったので、星の名だけ残ったんです。

―そうなんですか!

そういえば、前作「映画ドラえもん 新・のび太の大魔境~ペコと5人の探検隊~」で監督デビューした八鍬新之介さんも、北海道の帯広市出身。さらに、今回色彩設計を担当してくれた松谷早苗さんも、北海道の室蘭市出身です。八鍬さんは次回作を再び監督するので、ここ数年は北海道勢が劇場版ドラえもんに深く関わっていることになりますね。

―それは嬉しい縁ですね! ますます映画を見る楽しみが増えました。最後に、北海道ロケでお好きなものをお教えください。

「キタキツネ物語」(78年)は、原画で参加した細田守監督の「おおかみこどもの雨と雪」の参考のため、何回も見ました。あと、98年の函館ロケ「愛を乞うひと」(平山秀幸監督)が、好きです。壮絶な内容ですが、20代の時にテレビで観て印象に残っています。こういう人間ドラマも好きなんです。作っているのは全然違うジャンルですけれど(笑)。

―ありがとうございました。今後のご活躍を応援しております!

(おわり)

★館内にサインをいただきました!
とってもかわいいドラえもんイラストを、どうぞ直接ご覧ください。

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大杉宜弘(おおすぎ・よしひろ)
1974年、北海道生まれ。「亜細亜堂」を経てフリーに。「映画ドラえもん のび太の夢幻三剣士」以来、数々のドラえもん映画に原画や作画監督として携わる。
※大杉監督の初長編映画「映画ドラえもん のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ)」の公式サイトはコチラ

北海道出身!「映画ドラえもん のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ)」の大杉宜弘監督がご来館②

国民的人気アニメ「ドラえもん」の2015年劇場版
「映画ドラえもん のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ)」。

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北海道出身の大杉宜弘監督インタビューの続きをどうぞ。

*  *  *

―最初のお仕事は?

「忍たま乱太郎」の動画制作に携わりました。具体的には、原画と原画の間に絵を描き足していく作業です。でも当時、暗い社屋で、非常にひっそりした雰囲気で、「これは長く続かないかも…」と不安でした(笑)

―4年間、亜細亜堂に在籍され、その後フリーになり、様々な作品に携わられています。

90年代後半、アニメーションは停滞期で、さらに「エヴァンゲリオン」など毛色の違う作品が出てきて、「このまま会社で同じ仕事を続けていたらやばいかも…」と悩み、新しい技術を学びたくて辞めました。仲間と場所を借りて色々な仕事を引き受けましたね。たとえば、「神秘の世界エルハザード」という、頭身が高めの中高生向けアニメの原画をやったり…。

―転機になったのは。

99年の劇場版短編アニメ「のび太の結婚前夜」(※「映画ドラえもん のび太の宇宙漂流記」と併映)です。知り合いのアニメーターから、渡辺歩監督の原画を手伝わないかというお誘いをいただいたのがきっかけ。「渡辺監督の趣向は、絶対君に合う!」と言われて。新しいジャンルを求めた結果、戻ってしまうんですけれど(笑)

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―渡辺監督の趣向とは。

たとえば、「柔らかく、生き生きと動かす」という感じでしょうか。「ど根性ガエル」などを彷彿とさせる動きが、渡辺監督の持ち味なんですね。それでやってみたくて引き受けたんですが…実は、最初の打ち合わせを、寝坊ですっぽかしてしまって…

―えぇ!

普通ならそれで終りだと思うんですが、その知り合いが間に入ってくれて、とりあえず仕事を始めることに。渡辺監督も最初はカンカンだったらしいんですが、原画の上がりを見ていくうちに…認めてくれたのかなぁ。とにかく、周囲の方々に助けられましたね。

―なるほど。「結婚前夜」は、「帰ってきた、ドラえもん」(原作では「さようなら、ドラえもん」)と同じく人気の根強い名作です。参加した手応えは。

僕が担当したのは、のび太が猫を空港まで送り届ける映画オリジナルのギャグシーン。それまでの仕事の延長線上にあるとはいえ、キャラクターをふんだんに動かして、情緒豊かにかつコミカルに描く、ということに思いきり取り組めて面白かったですね。

―その後、「映画ドラえもん のび太とふしぎ風使い」(03年)、「映画ドラえもん のび太の新魔界大冒険~7人の魔法使い~」(07年)など、数々のドラえもん映画に原画や作画監督で関わり、今回の作品につながるわけですね。ということで、「映画ドラえもん のび太の宇宙英雄記」の監督をお引き受けになった時のご心境は。

24)ふしぎ風使い27)新魔界大冒険

最初は「よし、やってみよう!」という気持ちでしたが、中盤につれて色々なプレッシャーを感じました(笑)。藤子不二雄さんの原作漫画で映画を作れることの凄さをじわじわ実感したといいますか…。監督としてクリアせねばならない課題が山積みで、大変でしたね。

―私が拝見したのは、5月の連休中。映画館は親子連れで満席、小さな子どもが夢中になってスクリーンを見つめていました。作品作りで一番こだわったのはどんな点でしょう。

全体的に、明るく、笑える作品にしようと思いました。その日だけでも嫌なこと忘れて、映画館を出てきたらニコニコしてほしい…そんな気持ちを込めています。最近は劇場マナーが厳しいですが、本来映画館って気軽な場所のはず。特に子どもたちには、声を出して笑ったり、時には駆け回ってもいいと思っています。

―過去のシリーズと比較して、「異質」という反応もあるそうですね。

確かに、藤子不二雄作品の構成のようなストーリーの複雑さはないかもしれません。テーマの「ヒーロー」をそのまま描いていますし…

―でも、大人の視点で見ると、「ヒーローとは何か」を考えさせるものでもありました。ドラえもんの道具でヒーローになるけれど、現実の事件に巻き込まれた時、「本当はヒーローじゃない」というのび太の葛藤が描かれます。最後には、「誰もがヒーローになれるのではないか」という前向きなメッセージを感じました。

いまの時代、「これが正義だ」というヒーロー論が成り立たなくなっています。ですからこの物語も、勧善懲悪を強調し過ぎないように、ある種ヒーロー像をあやふやにしている面もあります。観客の皆さんが感じた通りに受け取ってもらえればいいですし、子どもたちには、そんなことを気にせず、思いきり楽しんでもらえれば十分です。

(あすにつづく)

★館内にサインをいただきました!
とってもかわいいドラえもんイラストを、どうぞ直接ご覧ください。

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大杉宜弘(おおすぎ・よしひろ)
1974年、北海道生まれ。「亜細亜堂」を経てフリーに。「映画ドラえもん のび太の夢幻三剣士」以来、数々のドラえもん映画に原画や作画監督として携わる。
※大杉監督の初長編映画「映画ドラえもん のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ)」の公式サイトはコチラ

北海道出身!「映画ドラえもん のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ)」の大杉宜弘監督がご来館①

国民的人気アニメ「ドラえもん」の2015年劇場版
「映画ドラえもん のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ)」。

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ご家族やお友達と楽しんだお子さんも多いのではないでしょうか。
実は、監督の大杉宜弘さんは、北海道出身!
このたび、ミュージアムにご来館下さいました。

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せっかくの機会ということで、突撃インタビュー!
これまでの道のりから、長編劇場映画の初監督となった
この作品への想い&北海道との意外なつながりを3回にわたってご紹介します。

*  *  *

―わざわざお越しいただき、ありがとうございます! さっそくですが、お生まれは?

旭川です。7歳ごろまで住んで、それから札幌に引っ越しました。

―高校卒業後、代々木アニメーション学院札幌校に進まれたそうですね。もとは漫画家を目指していたとのことですが、その原点は。

単純に、小さい頃から絵を描くのが好きで、兄弟とよく絵を描いて遊んでいました。あと、札幌の小学校の同級生の中で、絵を描くのが流行っていて、発展して4コマを、さらにはストーリー漫画を作るようになったんです。

―すごいですね! 最初に描いた漫画は。

友達の描いた「風船のフーちゃん」という4コマ漫画を見せてもらい、マネして「ボールくん」という4コマ漫画を描きました(笑)

―当時から、絵が得意だったのですね。

いえいえ、決して上手かったわけではなく、好きだから描いていただけです。小2から続いた絵のブームも、学年が上がると下火になり、最終的に描き続けていたのは僕だけに(笑)。好きだったので、文集の表紙画などを率先して描いていましたね。

―影響を受けた作品は。

それこそ、「ドラえもん」です。祖父が買ってくれた本を繰り返し読んだり、模写したり…。藤子不二雄の自伝的漫画「まんが道」をご存知ですか?

―はい!

それを小4の時に読んで、そこに出てくる「藤子不二雄が憧れている人」ということで、初めて手塚治虫を知ります。それで、友達から「火の鳥」を借りて読んだところ、びっくり。その頃、本格的に漫画家を意識しました。

―藤子不二雄好きの少年にとって、手塚治虫は衝撃でしたか。

「ドラえもん」や「パーマン」など、明るい子ども向け漫画から、突然「ブラック・ジャック」や「鉄腕アトム」ですからね。いきなり「人の生死」など重たいテーマにぶつかり、何より、絵が本当に動いて見えたんです。

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―へー!

凄い人がいるなと思ったら、なんと藤子不二雄より古い人。全集を買い、手塚ワールドにどっぷり浸かりました。

―高校生の時、小学館に漫画を持ち込まれたそうですね。

東京で開催していた手塚治虫展に行くために上京した際、行きました。子ども向けの漫画雑誌「コロコロコミック」の4コマ企画に応募したことはありましたが、持ち込みは初めて。15ページ位のギャグ漫画でしたが、対応してくれた人がパーッとすごい早さで見て、修正点を指摘した後、「2、3年かなぁ」と言われたのを覚えています。

―ショックでしたか。

とりあえず編集社に行った、ということで満足して帰りました。その後も漫画を描き続けたものの、徐々に「これは難しいぞ」という現実が見えてきます。相当頭が良くないと、ストーリーが作れないぞ、と(笑)。でも、絵を描くことはどうしてもやりたかったので、当時ちょうど出来た代々木アニメーション学院札幌校に1期生として入学しました

―タイミングが良かったですね! いかがでしたか。

ドラゴンボールやアラレちゃんのキャラクターデザインなどを担当する前田実さんなど、プロの人に会えたのが大きかったです。

―ところが1年で中退し、埼玉県にあるアニメ制作スタジオ「亜細亜堂」に就職されます。その経緯は。

同期の仲間が就職を決めたんですね。それにつられて、アニメ会社を受けたら受かっちゃった、という…わりといい加減な動機です(笑)。亜細亜堂を選んだのは、広告に「ドラえもん・ちびまる子ちゃんなどをやっている会社」とあって、そういう子ども向けのギャグ漫画が好きだったから。驚いたのは、社長の芝山努さんは長年劇場版ドラえもんの監督を務めた方。でも、そんなことは全然知らず、入社して1年位してから社外の知り合いに教えられて驚きました(笑)。当時、そういうアニメーターに関する知識は素人程度だったんです。

(あすにつづく)

★館内にサインをいただきました!
とってもかわいいドラえもんイラストを、どうぞ直接ご覧ください。

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大杉宜弘(おおすぎ・よしひろ)
1974年、北海道生まれ。「亜細亜堂」を経てフリーに。「映画ドラえもん のび太の夢幻三剣士」以来、数々のドラえもん映画に原画や作画監督として携わる。
※大杉監督の初長編映画「映画ドラえもん のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ)」の公式サイトはコチラ

札幌在住の小山赤理監督ご来館

雪が積もり、すっかり冬景色の札幌です。

そんな昨日14日、

小山赤理監督がご来館くださいました。

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2011年から札幌で自主映画を作り始め、

12月5日(金)にはシアターキノで

「他愛ないはなし、したい。」が上映されます。

これまでの経歴から最新作まで、色々と伺いました。

2012年の短編「春を描く」のDVDをご寄贈くださいました。

もちろんサインもいただきました!

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インタビューは後日ご紹介します。

どうぞお楽しみに。

「こっぱみじん」の田尻監督インタビュー②

砂川出身の田尻裕司監督、

映画「こっぱみじん」への思いを聞く

インタビュー後編をどうぞ。

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* * *

―作品作りでこだわった点は何でしょう。

嘘くさくなったらこの映画はだめだと思って、そうならないためにはどうすればよいかをとにかく考えました。

―それで。

俳優は全員オーディションで選んだのですが、リハーサルの時にこう伝えたんです。「カメラは手持ち。ライティングはせず、自然光を使います。音楽も効果音も一切使いません。なので、皆さんは現場でどう動くか考えてください」と。

―俳優さんに演技を委ねたのですか。

ライトがあると、その中で芝居しなければなりません。でも、手持ちカメラなのでどこまでもついていけます。役者さんに全部考えてもらい、僕が腑に落ちない時だけ、質問をする。そうして進めていきました。

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―そうした演出方法はこれまでも?

いえ、初めてです。でも、もともと試してみたかった方法ではあります。「ドグマ95」という、デンマークの映画運動があって、そのやり方のひとつなんです。

―ドグマ95、ですか。

ラース・フォン・トリアーやトマス・ヴィンターベアらの監督が始めた運動で、ハリウッドのような大規模なきちんとした照明ができないのなら、いっそやめてしまおう、という。(※ドグマ95の公式サイトはコチラ) あと、「少年と自転車」や「ロゼッタ」のダルデンヌ兄弟の音楽効果のないドキュメンタリータッチの映画にもあこがれていました。僕も、予算規模によってしょぼい照明が嫌いで、だったら当てるなと、いつも撮影部や照明部に言っていましたし。

―念願の手法ということですね。手応えは。

驚いたのは、僕の思っていたよりはるかに地に足がついた演技だったこと。ロケをした群馬県桐生に、実際に居る感じがするんです。それまでの作品とは違う、異質ともいえる演技だったので、この方法が効いたのかな、と思います。

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(C)冒険王

―札幌ではシアターキノで、11月22日から上映されます。故郷北海道での上映、いかがですか。

僕は18歳の時、「有名な監督になるまで帰ってこない」と友達に宣言して北海道・砂川を出たんです。実際は、数年後にホームシックで帰りましたけれど(笑)。その時、「意地を張らないで、有名になる前でも、もっと帰ってきていいよ」と書かれた手紙を友達の女の子からもらいました。

―うわー、泣きますね。

泣きました。でも、その後も15年間ぐらいほとんど帰りませんでした。僕には夢が3つあって、そのひとつが「北海道で上映すること」。自分にとって、「有名な監督」の条件だったんです。だから、シアターキノさんのおかげで、46歳にして夢のひとつがようやく叶いました。

―おめでとうございます!

これで、心置きなく砂川に帰れます(笑)。

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―ちなみにあと2つの夢は?

「映画館を持つこと」と、「撮影所を持つこと」です。これはハードル高いですね。

―頑張ってください!北海道出身ということが、作品に影響を与えていますか。

影響はあると思います。たとえば、今作のロケ地を群馬県桐生にしたのも、街の中に山がせり出しているから。僕の生まれた空知平野は山が遠いので、逆にその風景が新鮮でした。砂川は海も遠かったので、海での撮影も好きです。自分にないものを求めるんですね。

―いつか、北海道で撮影したいと思うことは。

バリバリあります!予算さえあれば、「フィールド・オブ・ドリームス」みたいな広大なロケ地を使えるでしょうし、秘境の地が北海道ならまだありそうな気がします。それから、僕はあれが撮りたいと思っていて・・・

―あれ、とは。

コロボックルです。実は子どもの頃、よくコロボックルを見たんですよ。周りには夢だと言われるんですが、話しかけた記憶も何度もあるんです。だから、いつか、コロボックルの映画を作りたいですね

―それは楽しみです。ぜひ実現させてください。

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映画「こっぱみじん」 ※公式サイトはコチラ