シアターキノ・北海道の役者たち映画祭2015で小林なるみさん&大橋千絵さんトーク!

10/24(土)に始まった

シアターキノの「北海道の役者たち映画祭2015」。

企画した中島洋さんの

「北海道にも素晴らしい役者やスタッフがいる。

観ることで応援し、注目してほしい」という言葉通り、

近年、北海道ロケの話題作や自主制作が増える中、

地元で頑張る役者さんをどんどん応援しようというのが狙いです。

4

初日、2015年の小樽ロケ「きみはいい子」(呉美保監督)の上映では、

高良健吾さん演じる教師の上司役を演じた小林なるみさんと

尾野真千子さん演じる女性のママ友役となった大橋千絵さんがトーク。

その内容をご紹介します。

* * *
オーディションを経て、出演のチャンスを掴んだという2人。

呉監督の前作「そこのみにて光輝く」(函館ロケ)から続けて出演した小林さんは
「ハードな撮影でしたが、温かい現場でした。東京の役者さんと変わらない対応をしていただき、役者を続けていて良かったと思いました」と振り返り、
「映像は苦手だと思っていたけれど、病気を機に、気になるものに挑戦しようと思いました。芝居をすることで、東京の役者さんに刺激を与えることもあったし、もちろん受けることも多かった。いい作品はそうして影響を及ぼし合って創り上げるものなんだと実感。札幌では、ショートフェスなどもあるので、自主制作の現場にも参加してみたい。札幌が映像の街としてどんどん楽しくなればいいと思います」と話しました。

DSCF2905

左から小林さん、大橋さん。右は司会のミュージアムスタッフ・アラタメ

一方、大橋さんは
「第一線の方々とやってみたい、と思っていただいた役でした。呉監督からセリフの言い回しを相談されたり、意見を尊重してもらって嬉しかったです」と説明。
以前に出演されたドラマで、小林薫さんから「東京・東京というけれど、ここにいるからこそできることがある」と言われたことを挙げ、「私ももっとアンテナを張り、やれることを探したい」と北海道を拠点にした役者としての意欲を語り、「映画はシナリオがすごく大切。そうしたことを学ぶワークショップや人とつながる場が札幌にもあるといい」と提案しました。

* * *

トーク後の上映では、特に後半、場内のあちこちからすすり泣きが。

終了後、会場に残っていた小林さんに「良かったです!」と

声を掛ける方もいらっしゃいました。

この日はその後、2001年の札幌・岩見沢ロケ「man-hole」(鈴井貴之監督)も上映。

35ミリフィルムの質感とともに、

今や全国で活躍するTEAM-NACSや鈴井監督の

〝北海道映画の原点〟を堪能できるひとときとなりました。

ちなみに、「きみはいい子」「man-hole」の両作品に、尾野真千子さんが出演!

「探偵はBARにいる2」の12年前、大泉洋さんと共演するシーンもお楽しみに。

北海道の役者たち映画祭2015は10/30(金)まで。
上映作品は次の通り。詳細スケジュールはコチラ
●小樽ロケ「きみはいい子」
●岩見沢ロケ「man-hole」
●札幌ロケ「茜色クラリネット」(28日トーク/小林エレキさん)
●「Waiting for…」「び じょ」「近すぎる空」「true flower」(29日トーク/山野久治さん)
●「凪ぎさ」「花」(30日トーク/高野資也さん&山本菜穂さん)

※小林さん&大橋さんのインタビュー「北の注目される役者たち」はこちら

祝!モスクワ国際映画祭最優秀アジア映画賞!!小樽ロケ「きみはいい子」出演の小林なるみさんインタビュー

現在公開中の、小樽ロケ「きみはいい子」。

6月に開催された「第37回モスクワ国際映画祭」で、

NETPAC賞(最優秀アジア映画賞)を受賞しました!

おめでとうございます!

呉美保監督の前作函館ロケ「そこのみにて光輝く」と続けてご出演された

札幌の俳優・小林なるみさんのインタビューが

シアターキノサイトにアップされました!

1

※サイトはコチラ

ミュージアムとのコラボ企画第2弾

「北の注目される役者たち」の初回を飾るインタビューです!

映画の鑑賞後に、ぜひお読みください。

北海道出身!「映画ドラえもん のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ)」の大杉宜弘監督がご来館③

国民的人気アニメ「ドラえもん」の2015年劇場版
「映画ドラえもん のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ)」。

dora_poster2015

北海道出身の大杉宜弘監督インタビュー連載、最終回をどうぞ。

*  *  *

―ありがとうございます。ちなみにジブリ作品「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」「コクリコ坂から」「ゲド戦記」「かぐや姫の物語」にも、原画や作画で携わっていらっしゃいます。

「千と千尋」は20代半ばの時、初めてジブリに参加した作品で、わけもわからず夢中でした。担当したのは、パッケージにもなっている、千尋が空から落下して水中に潜るシーンです。「かぐや姫」の場合、かぐや姫が花見に行く前に着物を着るシーンと、橋爪功さん演じる求婚者のひとりが、宝物を姫に説明するシーンを担当。映画「ドラえもん」の制作のため途中で抜けてしまいましたが、楽しい現場でした。

―いま手がけられているお仕事は。

神奈川県川崎市にある「藤子・F・不二雄ミュージアム」で上映する新作の短編映画を作っています。ドラえもんの誕生月である9月から、公開する予定です。また、来年公開する劇場版ドラえもんには、原画で参加しています

―アニメーターとしての目標をお教えください。

色々挑戦したいですが、やっぱり僕は、自分自身も大好きな、子ども向けのアニメ作品を作り続けたいです。見た人が元気になれるようなものがいいですね。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

―北海道ご出身ということが、作品作りに何か影響を与えていますか。

実は、今回の映画のメイン舞台となる「ポックル星」の由来は、「コロポックル」なんです。可愛い響きが宇宙人の丸いイメージと重なり、僕が名付けました。本当は、のび太たちに助けを求める宇宙人の名が「コロ」だったんですが、途中で「アロン」に変わったので、星の名だけ残ったんです。

―そうなんですか!

そういえば、前作「映画ドラえもん 新・のび太の大魔境~ペコと5人の探検隊~」で監督デビューした八鍬新之介さんも、北海道の帯広市出身。さらに、今回色彩設計を担当してくれた松谷早苗さんも、北海道の室蘭市出身です。八鍬さんは次回作を再び監督するので、ここ数年は北海道勢が劇場版ドラえもんに深く関わっていることになりますね。

―それは嬉しい縁ですね! ますます映画を見る楽しみが増えました。最後に、北海道ロケでお好きなものをお教えください。

「キタキツネ物語」(78年)は、原画で参加した細田守監督の「おおかみこどもの雨と雪」の参考のため、何回も見ました。あと、98年の函館ロケ「愛を乞うひと」(平山秀幸監督)が、好きです。壮絶な内容ですが、20代の時にテレビで観て印象に残っています。こういう人間ドラマも好きなんです。作っているのは全然違うジャンルですけれど(笑)。

―ありがとうございました。今後のご活躍を応援しております!

(おわり)

★館内にサインをいただきました!
とってもかわいいドラえもんイラストを、どうぞ直接ご覧ください。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
大杉宜弘(おおすぎ・よしひろ)
1974年、北海道生まれ。「亜細亜堂」を経てフリーに。「映画ドラえもん のび太の夢幻三剣士」以来、数々のドラえもん映画に原画や作画監督として携わる。
※大杉監督の初長編映画「映画ドラえもん のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ)」の公式サイトはコチラ

北海道出身!「映画ドラえもん のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ)」の大杉宜弘監督がご来館②

国民的人気アニメ「ドラえもん」の2015年劇場版
「映画ドラえもん のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ)」。

dora_poster2015

北海道出身の大杉宜弘監督インタビューの続きをどうぞ。

*  *  *

―最初のお仕事は?

「忍たま乱太郎」の動画制作に携わりました。具体的には、原画と原画の間に絵を描き足していく作業です。でも当時、暗い社屋で、非常にひっそりした雰囲気で、「これは長く続かないかも…」と不安でした(笑)

―4年間、亜細亜堂に在籍され、その後フリーになり、様々な作品に携わられています。

90年代後半、アニメーションは停滞期で、さらに「エヴァンゲリオン」など毛色の違う作品が出てきて、「このまま会社で同じ仕事を続けていたらやばいかも…」と悩み、新しい技術を学びたくて辞めました。仲間と場所を借りて色々な仕事を引き受けましたね。たとえば、「神秘の世界エルハザード」という、頭身が高めの中高生向けアニメの原画をやったり…。

―転機になったのは。

99年の劇場版短編アニメ「のび太の結婚前夜」(※「映画ドラえもん のび太の宇宙漂流記」と併映)です。知り合いのアニメーターから、渡辺歩監督の原画を手伝わないかというお誘いをいただいたのがきっかけ。「渡辺監督の趣向は、絶対君に合う!」と言われて。新しいジャンルを求めた結果、戻ってしまうんですけれど(笑)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

―渡辺監督の趣向とは。

たとえば、「柔らかく、生き生きと動かす」という感じでしょうか。「ど根性ガエル」などを彷彿とさせる動きが、渡辺監督の持ち味なんですね。それでやってみたくて引き受けたんですが…実は、最初の打ち合わせを、寝坊ですっぽかしてしまって…

―えぇ!

普通ならそれで終りだと思うんですが、その知り合いが間に入ってくれて、とりあえず仕事を始めることに。渡辺監督も最初はカンカンだったらしいんですが、原画の上がりを見ていくうちに…認めてくれたのかなぁ。とにかく、周囲の方々に助けられましたね。

―なるほど。「結婚前夜」は、「帰ってきた、ドラえもん」(原作では「さようなら、ドラえもん」)と同じく人気の根強い名作です。参加した手応えは。

僕が担当したのは、のび太が猫を空港まで送り届ける映画オリジナルのギャグシーン。それまでの仕事の延長線上にあるとはいえ、キャラクターをふんだんに動かして、情緒豊かにかつコミカルに描く、ということに思いきり取り組めて面白かったですね。

―その後、「映画ドラえもん のび太とふしぎ風使い」(03年)、「映画ドラえもん のび太の新魔界大冒険~7人の魔法使い~」(07年)など、数々のドラえもん映画に原画や作画監督で関わり、今回の作品につながるわけですね。ということで、「映画ドラえもん のび太の宇宙英雄記」の監督をお引き受けになった時のご心境は。

24)ふしぎ風使い27)新魔界大冒険

最初は「よし、やってみよう!」という気持ちでしたが、中盤につれて色々なプレッシャーを感じました(笑)。藤子不二雄さんの原作漫画で映画を作れることの凄さをじわじわ実感したといいますか…。監督としてクリアせねばならない課題が山積みで、大変でしたね。

―私が拝見したのは、5月の連休中。映画館は親子連れで満席、小さな子どもが夢中になってスクリーンを見つめていました。作品作りで一番こだわったのはどんな点でしょう。

全体的に、明るく、笑える作品にしようと思いました。その日だけでも嫌なこと忘れて、映画館を出てきたらニコニコしてほしい…そんな気持ちを込めています。最近は劇場マナーが厳しいですが、本来映画館って気軽な場所のはず。特に子どもたちには、声を出して笑ったり、時には駆け回ってもいいと思っています。

―過去のシリーズと比較して、「異質」という反応もあるそうですね。

確かに、藤子不二雄作品の構成のようなストーリーの複雑さはないかもしれません。テーマの「ヒーロー」をそのまま描いていますし…

―でも、大人の視点で見ると、「ヒーローとは何か」を考えさせるものでもありました。ドラえもんの道具でヒーローになるけれど、現実の事件に巻き込まれた時、「本当はヒーローじゃない」というのび太の葛藤が描かれます。最後には、「誰もがヒーローになれるのではないか」という前向きなメッセージを感じました。

いまの時代、「これが正義だ」というヒーロー論が成り立たなくなっています。ですからこの物語も、勧善懲悪を強調し過ぎないように、ある種ヒーロー像をあやふやにしている面もあります。観客の皆さんが感じた通りに受け取ってもらえればいいですし、子どもたちには、そんなことを気にせず、思いきり楽しんでもらえれば十分です。

(あすにつづく)

★館内にサインをいただきました!
とってもかわいいドラえもんイラストを、どうぞ直接ご覧ください。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
大杉宜弘(おおすぎ・よしひろ)
1974年、北海道生まれ。「亜細亜堂」を経てフリーに。「映画ドラえもん のび太の夢幻三剣士」以来、数々のドラえもん映画に原画や作画監督として携わる。
※大杉監督の初長編映画「映画ドラえもん のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ)」の公式サイトはコチラ

北海道出身!「映画ドラえもん のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ)」の大杉宜弘監督がご来館①

国民的人気アニメ「ドラえもん」の2015年劇場版
「映画ドラえもん のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ)」。

dora_poster2015

ご家族やお友達と楽しんだお子さんも多いのではないでしょうか。
実は、監督の大杉宜弘さんは、北海道出身!
このたび、ミュージアムにご来館下さいました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

せっかくの機会ということで、突撃インタビュー!
これまでの道のりから、長編劇場映画の初監督となった
この作品への想い&北海道との意外なつながりを3回にわたってご紹介します。

*  *  *

―わざわざお越しいただき、ありがとうございます! さっそくですが、お生まれは?

旭川です。7歳ごろまで住んで、それから札幌に引っ越しました。

―高校卒業後、代々木アニメーション学院札幌校に進まれたそうですね。もとは漫画家を目指していたとのことですが、その原点は。

単純に、小さい頃から絵を描くのが好きで、兄弟とよく絵を描いて遊んでいました。あと、札幌の小学校の同級生の中で、絵を描くのが流行っていて、発展して4コマを、さらにはストーリー漫画を作るようになったんです。

―すごいですね! 最初に描いた漫画は。

友達の描いた「風船のフーちゃん」という4コマ漫画を見せてもらい、マネして「ボールくん」という4コマ漫画を描きました(笑)

―当時から、絵が得意だったのですね。

いえいえ、決して上手かったわけではなく、好きだから描いていただけです。小2から続いた絵のブームも、学年が上がると下火になり、最終的に描き続けていたのは僕だけに(笑)。好きだったので、文集の表紙画などを率先して描いていましたね。

―影響を受けた作品は。

それこそ、「ドラえもん」です。祖父が買ってくれた本を繰り返し読んだり、模写したり…。藤子不二雄の自伝的漫画「まんが道」をご存知ですか?

―はい!

それを小4の時に読んで、そこに出てくる「藤子不二雄が憧れている人」ということで、初めて手塚治虫を知ります。それで、友達から「火の鳥」を借りて読んだところ、びっくり。その頃、本格的に漫画家を意識しました。

―藤子不二雄好きの少年にとって、手塚治虫は衝撃でしたか。

「ドラえもん」や「パーマン」など、明るい子ども向け漫画から、突然「ブラック・ジャック」や「鉄腕アトム」ですからね。いきなり「人の生死」など重たいテーマにぶつかり、何より、絵が本当に動いて見えたんです。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

―へー!

凄い人がいるなと思ったら、なんと藤子不二雄より古い人。全集を買い、手塚ワールドにどっぷり浸かりました。

―高校生の時、小学館に漫画を持ち込まれたそうですね。

東京で開催していた手塚治虫展に行くために上京した際、行きました。子ども向けの漫画雑誌「コロコロコミック」の4コマ企画に応募したことはありましたが、持ち込みは初めて。15ページ位のギャグ漫画でしたが、対応してくれた人がパーッとすごい早さで見て、修正点を指摘した後、「2、3年かなぁ」と言われたのを覚えています。

―ショックでしたか。

とりあえず編集社に行った、ということで満足して帰りました。その後も漫画を描き続けたものの、徐々に「これは難しいぞ」という現実が見えてきます。相当頭が良くないと、ストーリーが作れないぞ、と(笑)。でも、絵を描くことはどうしてもやりたかったので、当時ちょうど出来た代々木アニメーション学院札幌校に1期生として入学しました

―タイミングが良かったですね! いかがでしたか。

ドラゴンボールやアラレちゃんのキャラクターデザインなどを担当する前田実さんなど、プロの人に会えたのが大きかったです。

―ところが1年で中退し、埼玉県にあるアニメ制作スタジオ「亜細亜堂」に就職されます。その経緯は。

同期の仲間が就職を決めたんですね。それにつられて、アニメ会社を受けたら受かっちゃった、という…わりといい加減な動機です(笑)。亜細亜堂を選んだのは、広告に「ドラえもん・ちびまる子ちゃんなどをやっている会社」とあって、そういう子ども向けのギャグ漫画が好きだったから。驚いたのは、社長の芝山努さんは長年劇場版ドラえもんの監督を務めた方。でも、そんなことは全然知らず、入社して1年位してから社外の知り合いに教えられて驚きました(笑)。当時、そういうアニメーターに関する知識は素人程度だったんです。

(あすにつづく)

★館内にサインをいただきました!
とってもかわいいドラえもんイラストを、どうぞ直接ご覧ください。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
大杉宜弘(おおすぎ・よしひろ)
1974年、北海道生まれ。「亜細亜堂」を経てフリーに。「映画ドラえもん のび太の夢幻三剣士」以来、数々のドラえもん映画に原画や作画監督として携わる。
※大杉監督の初長編映画「映画ドラえもん のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ)」の公式サイトはコチラ

札幌在住の小山赤理監督ご来館

雪が積もり、すっかり冬景色の札幌です。

そんな昨日14日、

小山赤理監督がご来館くださいました。

DSC_0208

2011年から札幌で自主映画を作り始め、

12月5日(金)にはシアターキノで

「他愛ないはなし、したい。」が上映されます。

これまでの経歴から最新作まで、色々と伺いました。

2012年の短編「春を描く」のDVDをご寄贈くださいました。

もちろんサインもいただきました!

DSC_0212

インタビューは後日ご紹介します。

どうぞお楽しみに。

「こっぱみじん」の田尻監督インタビュー②

砂川出身の田尻裕司監督、

映画「こっぱみじん」への思いを聞く

インタビュー後編をどうぞ。

koppamijin

* * *

―作品作りでこだわった点は何でしょう。

嘘くさくなったらこの映画はだめだと思って、そうならないためにはどうすればよいかをとにかく考えました。

―それで。

俳優は全員オーディションで選んだのですが、リハーサルの時にこう伝えたんです。「カメラは手持ち。ライティングはせず、自然光を使います。音楽も効果音も一切使いません。なので、皆さんは現場でどう動くか考えてください」と。

―俳優さんに演技を委ねたのですか。

ライトがあると、その中で芝居しなければなりません。でも、手持ちカメラなのでどこまでもついていけます。役者さんに全部考えてもらい、僕が腑に落ちない時だけ、質問をする。そうして進めていきました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

―そうした演出方法はこれまでも?

いえ、初めてです。でも、もともと試してみたかった方法ではあります。「ドグマ95」という、デンマークの映画運動があって、そのやり方のひとつなんです。

―ドグマ95、ですか。

ラース・フォン・トリアーやトマス・ヴィンターベアらの監督が始めた運動で、ハリウッドのような大規模なきちんとした照明ができないのなら、いっそやめてしまおう、という。(※ドグマ95の公式サイトはコチラ) あと、「少年と自転車」や「ロゼッタ」のダルデンヌ兄弟の音楽効果のないドキュメンタリータッチの映画にもあこがれていました。僕も、予算規模によってしょぼい照明が嫌いで、だったら当てるなと、いつも撮影部や照明部に言っていましたし。

―念願の手法ということですね。手応えは。

驚いたのは、僕の思っていたよりはるかに地に足がついた演技だったこと。ロケをした群馬県桐生に、実際に居る感じがするんです。それまでの作品とは違う、異質ともいえる演技だったので、この方法が効いたのかな、と思います。

無題
(C)冒険王

―札幌ではシアターキノで、11月22日から上映されます。故郷北海道での上映、いかがですか。

僕は18歳の時、「有名な監督になるまで帰ってこない」と友達に宣言して北海道・砂川を出たんです。実際は、数年後にホームシックで帰りましたけれど(笑)。その時、「意地を張らないで、有名になる前でも、もっと帰ってきていいよ」と書かれた手紙を友達の女の子からもらいました。

―うわー、泣きますね。

泣きました。でも、その後も15年間ぐらいほとんど帰りませんでした。僕には夢が3つあって、そのひとつが「北海道で上映すること」。自分にとって、「有名な監督」の条件だったんです。だから、シアターキノさんのおかげで、46歳にして夢のひとつがようやく叶いました。

―おめでとうございます!

これで、心置きなく砂川に帰れます(笑)。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

―ちなみにあと2つの夢は?

「映画館を持つこと」と、「撮影所を持つこと」です。これはハードル高いですね。

―頑張ってください!北海道出身ということが、作品に影響を与えていますか。

影響はあると思います。たとえば、今作のロケ地を群馬県桐生にしたのも、街の中に山がせり出しているから。僕の生まれた空知平野は山が遠いので、逆にその風景が新鮮でした。砂川は海も遠かったので、海での撮影も好きです。自分にないものを求めるんですね。

―いつか、北海道で撮影したいと思うことは。

バリバリあります!予算さえあれば、「フィールド・オブ・ドリームス」みたいな広大なロケ地を使えるでしょうし、秘境の地が北海道ならまだありそうな気がします。それから、僕はあれが撮りたいと思っていて・・・

―あれ、とは。

コロボックルです。実は子どもの頃、よくコロボックルを見たんですよ。周りには夢だと言われるんですが、話しかけた記憶も何度もあるんです。だから、いつか、コロボックルの映画を作りたいですね

―それは楽しみです。ぜひ実現させてください。

1

映画「こっぱみじん」 ※公式サイトはコチラ

「こっぱみじん」の砂川出身、田尻裕司監督インタビュー①

先日ミュージアムにお越しくださった

砂川出身の田尻裕司監督。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

最新作「こっぱみじん」が、札幌シアターキノで

11月22日(土)から28日(金)まで上映されます。

koppamijin

※映画の公式サイトはコチラ

子どもの頃から映画の話題まで、

1時間にわたったインタビューを2回に分けてご紹介します。

* * *

―よろしくお願いします。まずはそもそも、映画監督になろうと思ったきっかけは?

子どもの時から映画ばかり見てました。といっても、映画館に行くお金はなくて、年に1本程度。当時砂川には3館あって、初めてスクリーンで観たのは確か7歳の頃、「シネマパレス」で「名犬ベンジー」だったはずです。

―ということは、何で映画をご覧に?

毎日テレビで映画を観てたんです。小1の時から「週5日は夜11時まで起きていい」という親の了解を得まして。その頃は淀川長治さん、荻昌弘さん、高島忠夫さん、小森のおばちゃま、水野晴郎さんが解説していて・・・

―黄金期ですね!

高校卒業まで、ほとんど欠かさず観てました。1970年代半ばの当時、多かったのは外国映画ですね。好きだったのは、西部劇やアメリカのパニックムービー。「タワーリング・インフェルノ」「ポセイドン・アドベンチャー」なんか毎年放送されるので、毎回観てました。チャールズ・ブロンソンとかスティーヴ・マックイーン、クリント・イーストウッドなどスターの出るアクション系の映画も好きでした。

―なるほど。

その後、今度は日本で角川映画が始まり、僕は自称〝角川映画っ子〟と言うほどハマりました。とくに「角川3人娘」の原田知世さんが大好きで、ポスターを盗んだ覚えも・・・(笑)。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

―そうですか(笑)。映画好きの少年が、監督を目指したのは。

話は戻りますが、僕は小さいころからかなりの「空想家」で、頭の中で物語を作るのも好きでした。小学校時代は、夕方家に帰るとひとりで8個のぬいぐるみと一緒に遊んでたんです。「ちきしょう!」「やられたー」とか、ひとりで8役をやって(笑)。それで、中学生になってぬいぐるみ遊びに飽きて、脚本を書き始めたんです。高1のとき、8ミリカメラを持つ友達と出会って、書きためていた脚本を読んでもらい、「映画を作りたい」と相談しました。

―いよいよ映画作りを始めるわけですね。

一本目のタイトルは、「ヒルの陰謀」。「ヒル」という怪物を倒すアクションものです。友達をもうひとり誘って悪役をやってもらい、カメラマンの友達が正義の味方に。8ミリのフィルムに目打ちで1コマ1コマ傷をつけて、スぺシウム光線とかを出したりして。

―面白いですね!

コマ撮りをすれば、空も飛べるんです。撮影は、すごく楽しかったですよ。先生に頼んで、同級生に協力してもらって、授業のシーンも撮影しました。2年生になった頃に完成して、1年生の時のクラスメイトを集めてお披露目したんです。

―それは盛り上がったでしょう。

それが、アクションものなのに女子が感動して泣いちゃって。

―えぇ!なぜですか。

1年生の時のありふれた生活を懐かしんで、思い出し泣きしたんですね(笑)。僕もそうだとは思ったんですが、拍手も出るし、あまりに好評で、有頂天になっちゃった。自分の作ったものでこんな感動してくれたことが嬉しかった。それが、監督をやろうと思ったきっかけです。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

―素敵なエピソードですね。監督はその後、獅子プロダクションに入社され、佐藤寿保、瀬々敬久監督などの助監督を務めたのち、1997年にデビュー。代表作「OLの愛汁 ラブジュース」をはじめとするピンク映画のほか、ホラー、Vシネなど様々な作品を手掛けられ、仲間と立ち上げた映画製作会社「冒険王」での第一作目が「こっぱみじん」ですね。今回、純粋な恋愛ものを作りたいと思った理由は。

ここから自分の子どもの話ばかりになりますが(笑)

―どうぞ、どうぞ!

2010年9月に子どもが生まれて、12月に脚本を頼んだんです。実は僕、それまであまり幸せに満ち足りたことを感じたことがなかったんです。

―幸せに満ち足りたこと、ですか。

若いときは借金もあって、食べるものにも困るような貧乏暮らしも長かったですし、ずっと好きだった人に何度も振られて結局そのままですし、本当は日本大学映画学科の監督コースで学びたかったんですがそれも不合格。人生、あまり望み通りに進んできてないんです。唯一、映画監督になれたことだけ叶いましたけれど、それ以外のことはほとんどダメでした。そんな、何もいいことがない状態の時に子どもが生まれて、それなのに、急に人生バラ色になったんです。

―バラ色に!

なんか、子どもと母親の姿を見ているだけで、ものすごく満ち足りた気分になって、自分でも驚いたんです。なんでこんなに幸せなんだろう、と。

―はい。

もちろん、子育ては大変です。生まれて最初の頃は、僕がおむつ替えから夜泣きまでかなり面倒をみたので、その時は必死でした。けれど、母親がおっぱいを飲ませている姿を見たり、子どもの様子を見ると、もう人生バラ色に思えてしまって。言葉は悪いですけれど、子どもができただけで、こんなに人生逆転するなんて思わなかった。なので、そういう内容の映画を作りたいと思ったんです。

1
(C)冒険王

―なるほど。

人生、望んだことは大体うまくいきません。挫折や失敗を繰り返して、けれども、それでも幸せになれる道は必ずあるから。という映画を作りたかったんです。そんなことを、子どもを見ながらずっと考えてました。

―はい。

それで、映画の題材を考えた時に、誰でも経験することは何だろうと思って、やっぱり、「好きな人が自分を好きになってくれない」とか、別れとか、そういう内容であれば普遍的な話になるのではないかと思ったんです。「恋がうまくいかない、だけど幸せ」という感じが残るストーリーを書いてくれ、と脚本家の西田直子さんに言いました。

(つづく)

山田勇男監督インタビュー

先日ミュージアムにお越しいただいた山田勇男監督。

1

インタビュー記事を、シアターキノHPにアップ致しました。(記事はコチラ

北海道でロケされた「アンモナイトのささやきを聞いた」についても

少しお話いただいています。

11

12

(C)ユーロスペース

ミュージアムとのコラボ連載企画「応援!北の映像作家たち」です。

どうぞご拝読ください!