追悼・田中眞澄さん

今日は新年オープン2日目のミュージアム。

初日の昨日、最初のお客様は若いカップルだったそう!

次世代へ映像文化を引き継ぐミュージアムとしては、

こうした若い方に来ていただけるのは嬉しい限りです。

さて、本日は昨年暮れに亡くなった

釧路市出身の映画・文化史家 田中眞澄さん(享年65)

への追悼の言葉をお伝えしたいと思います。

ミュージアム理事の加藤敦さんの文章をご紹介します。

釧路市出身の映画・文化史家の田中眞澄(たなか・まさすみ)さんが、昨年12月30日に亡くなりました。65歳でした。わたしたち映画好きにいろいろなことを教えてくださり、「北の映像ミュージアム」にとっても大きなよりどころでした。あまりにも早い死が惜しまれます。

 田中さんは慶応大学大学院を修了、その後、アカデミズムの世界に身を置くことなく、在野の研究者の立場を貫きました。「フィルムセンター最多有料入場者」と紹介されることもあり、夏はビーチサンダルを履いて上映を見に来た姿が印象に残っています。

小津安二郎研究の第一人者として知られ、「全日記 小津安二郎」(フィルムアート社)をはじめ小津に関するたくさんの編著書がありました。新橋駅前のニュー新橋ビル地下にあり、小津が愛した長野県茅野の地酒の銘柄を店名にした「酒蔵 ダイヤ菊」でお酒を飲むことも多かったようです。

ご両親が釧路から札幌に移ったこともあり、キネ旬友の会北海道支部が毎年お正月に開く年間ベスト10選出の会合に参加してくれたこともあります。「北の映像ミュージアム」推進協議会が2003年

6月に札幌で開いた「大地の侍」上映会にも来てくれました。

昨年秋には札幌在住の明日待子さん(須貝とし子さん)が活躍した新宿ムーランルージュのドキュメンタリー映画「ムーランルージュの青春」が公開されるに当たって舞台挨拶のため東京に来る明日さんに、衛星放送で録画した明日さん主演の映画「風車」をお渡しする、と張り切っていました。

岩波書店の編集者が企画した読書会「田中塾」も始まったばかりでした。最近では昨年12月に開かれ、次は2月の予定でした。会のテキストは「平家物語」「石光真清の手記」と多岐にわたり、その幅広い知識と関心を裏付けています。 

田中さんを「先生」と呼ぶ活動弁士の澤登翠さんは、「無声映画の字幕で(人名など)読めない字があってお尋ねすると、即座に答えてくださいました。日本の映画と文化にとって、言いしれぬ損失」と無念そうに話してくれました。

田中さんが映画研究にかけた情熱と真摯な態度を、ほんのわずかでも受け継いで、映画の遺産を後世に伝えていくのがわたしたちの役割だと思います。その生涯に敬意を表するとともに、心よりご冥福をお祈りします。              (加藤敦・記)

ミュージアムとも縁の深かった田中さん。

謹んで追悼の意を表します。