15日(土)の北のシネマ塾は「雪に願うこと」!

理事らが映画にまつわる〝昼下りトーク〟を行う

月イチイベント「北のシネマ塾」。

2013年前期最後のテーマは「雪に願うこと」です!

トークを担当するのは、和田由美理事。

何といっても和田理事は、

その企画段階から深い関わりがある方。

昨年9月の「シネマの風景フェスティバル」では、

根岸吉太郎監督らと作品について語り合いました。

※当時のレポートはコチラ

6月15日(土)午後2時~ 「雪に願うこと」

参加無料、当日参加OK!

ぜひお越しください。

「雪に願うこと」トークレポート!③

ミュージアム開館一周年記念上映会

「シネマの風景フェスティバル2012」

「雪に願うこと」の根岸吉太郎監督と

プロデューサー田辺順子さんのトークレポート最終回。

司会進行の和田由美事務局長の鋭い質問と

根岸監督、田辺さんならではの魅力的なご回答を

どうぞお楽しみください。(以下、敬称略)

* * *

和田/ところで、小泉今日子さんは「風花」にも出演されています。私の感想では、あの作品では少女のような印象。一方、「雪に願うこと」は大人の女という印象で、「やっぱり根岸さんは女の人を撮ったらすごいんだな」と改めて思ったんですけれど・・・彼女は使いやすい俳優さんですか?


雪に願うこと 2005

根岸/すごいと思いますよ。「雪に願うこと」は、ちょうど40になってちょっとの頃だったかな。「風花」はたぶん、30代の終わりだと思います。本来、女優さんは、年相応をあまり好みません。でも、彼女は怖がらないんですね。むしろ、積極的にその年をこなしていこうと、コンスタントにそういう生き方をしています。その意味で、役柄もそうでしたけれど、急に大人という感じが出たんじゃないでしょうか。

和田/さりげないけれど適役だったように思います。

根岸/独特の北海道弁でね・・・北海道弁なのかな?(笑)。でも、こういう風にしゃべる北海道の人いそうだなという、小泉節でしたね。


雪に願うこと 2005

和田/そして、原作の「輓馬」というタイトルを「雪に願うこと」にしたのは?

田辺/監督です。

和田/これは、すごいですね。

根岸/どうですかね・・・「輓馬」も力強くていいタイトルなんですけれど。ただ、少しとっつきにくいというか。映画という、どうしても人を呼ばなきゃならない仕組みのときに、「輓馬」で来てもらえるかという自信がなかったんです。でも、そんなに悪いタイトルではないと思います。

和田/昔は、北海道にとって、雪は邪魔者だったんです。でも今は、雪が観光になる時代。そういう意味では、この作品はタイトルを含めて雪がないと成り立たない映画ですから、北海道をロケ舞台にした意義のある作品と思います。

根岸/あと、(上士幌町の)タウシュベツを撮りたいと思っていまして。

和田/素晴らしく効果的でしたね。

根岸/昔、写真でちらっと見た瞬間から「なんて素晴らしい所だろう」と思っていました。帯広に近いので、原作にないけれど、無理やりにでもシナリオに入れて撮りたかったんです。


雪に願うこと 2005

和田/ずいぶんロケで寒冷地には慣れたようですが、また今度、何か北海道で・・・

根岸/寒冷地グッズすごいですよ!どんな寒いとこでも大丈夫、みたいな。自宅で場所をとっちゃってしょうがないんです(笑)。

和田/根岸さんはいま学長さんですから、違う意味で本を読む時間はとれるかもしれません。北海道を舞台にした原作を私たちが売り込んで、またぜひ、北海道で根岸さんに撮っていただきたいと思います・・・よね?(観客拍手)

根岸/学長を務めている東北芸術工科大学にきて4年目。そろそろ、作ったものが出来上がり始めていて、今度はその作品の上映会をシアターキノでやろうと言っています。ぜひ、皆さんに見に来ていただきたいです。

和田/最後に、田辺さんどうぞ。

田辺/そうですね・・・私、見た目優しそうなんですけれど、そんなことはないんです(笑)。けっこう強いものを持っています。根岸さんとはまた一緒に映画作りたいなと思っているので、学長さんもされていて忙しいようですけれど、いまちょこちょこと企画の話をしているんです。私が願うことは、やはり根岸さんに映画を撮ってほしい、ということなので、またぜひ一緒にやりたいと思っています。

和田/みなさん、最後に拍手でお二人をお送りください。(拍手)


雪に願うこと 2005

* * *

さて、いかがだったでしょうか?

「雪に願うこと」ができるまでの秘話の数々。

知ると、もう一度、いえ何度でも観たくなるものです。

映画って、本当に奥が深いですね。

ミュージアムでは、こうした北海道ロケの映画秘話も

どんどん掘り起こしていきたいと思っています。

「雪に願うこと」トークレポート!②

ミュージアム開館一周年記念上映会

「シネマの風景フェスティバル2012」

のゲストトークレポート2回目。

「雪に願うこと」の根岸吉太郎監督と

プロデューサーの田辺順子さんのお話をどうぞ。

司会進行は和田由美事務局長です。(以下、敬称略)

* * *

和田/あのー・・・たぶん根岸監督は、頼まれても何しても、自分の嫌いなものはやらないと思うんですけれど(笑)、この企画のどこに惹かれたのでしょうか。

根岸/最初は、「移動する・流れる」ことに興味を持ったんですよ。今、ばんえい競馬は帯広でずっとやっていますが、最初に僕がこの企画の話を聞いた時には、帯広・岩見沢・旭川・北見の道内4カ所が開催地でした。馬と一緒に人間の大集団が移動して次の開催地に行き、シーズンを過ごし、また次の場所へ向かっていく。まるでサーカスのような、ひとつの村・町が移動していく姿が、非常に面白いなと思ったんです。ただ、「移動」というテーマは、作品を作る中で別な形になりましたけれど、そうやって生きている人たちの面白さや力強さ。そういうことに、最初は興味を持ちました。


雪に願うこと 2005

和田/帯広での真冬のロケで監督するということは、どういう大変さがあるのか、お聞かせいただけますか。

根岸/ひとつは動物ですからね、言うことをきいてくれないじゃないですか。ですから、僕のチームの助監督が一カ月以上前に現場入りして、映画の仕事ではなくて、ずっと厩務員をやっていました(笑)。もう、裸であの大きな馬に乗れるくらいになって、操っていましたね。彼は、ロケを終えて帰る時、「あんたは優秀だからぜひ残ってくれ」なんて言われていました(笑)。その助監督は小林聖太郎といって、「毎日かあさん」などの監督をして、監督協会の新人賞もとりました。

佐藤浩市さんも「馬に慣れたい」と言って、撮影より何日か早めに現場入りし、馬に乗ったり、いろんなことをして雰囲気をつかんだりしていました。だから、物語とかお芝居を撮るのではなく、気分はドキュメンタリーというのかな、そこに人が入り込んでものを作っていくというスタイルでした。

和田/朝早く、馬が息を吐くあの情景は、嘘では作れません。35ミリフィルムならではのすごさですよね。

根岸/肉眼で見てもすごいんですよ。朝4時ごろ、撮影の準備に入ると、遠くから馬がきます。最初は固まっているんですが、それがまるで、湯気の固まりが昇っているように見えるんです。その湯気がちょうどライトで逆光になって、ふわーっとあがっている。先ほど、ちょうど「点と線」が上映されて、機関車が出てきましたけれど、ばんばの大きな馬って、ちょっと機関車みたいだよね。そういう生き物の力強さ、それ自体が面白いというか、それをカメラにおさめたいと思いました。寒い場所で、息を吐きながら生き物が動いている、向かってくるだけで、もうなんか話なんかいらないや、というか(笑)。

和田/もともと「輓馬」は、世界に一つしかありません。それをフィルムで残したということは、まさに、世界にひとつしかないフィルム、ということになりますよね。

根岸/冬の朝のきりっとした空気の中の馬って、すごく美しいですよね。それは前から一回撮りたいなと思っていました。

和田/伊勢谷友介さんは、どなたがキャスティングされたんですか。


雪に願うこと 2005

田辺/それは私です。あの役は難しい設定なので、2年くらいなかなか俳優さんが決まらなかったんですね。伊勢谷さんはその頃、そんなにテレビに出てないですし、知名度はなかったのですが、私は注目していまして、根岸さんに資料をお見せしました。そうしたら、「いけるかもしれない」と言うことになりまして、その後も試行錯誤があったんですけれど、最終的に伊勢谷さんにお願いして良かったと思います。

和田/現場ではどうでしたか。

根岸/初めて会った時の彼の印象は、すごく良かったんですよ。あれは地味な役柄で、どこか格好悪いと思われがち。それで気乗りしない俳優たちが多い中、意外とわかった子だな、と思いました。でも、最初に俳優さん全員が集まる「本読み」ですごくセリフがたどたどしくて(笑)、「おいおいコイツを選んじゃったぜ」と不安になりました。当の本人は「全然セリフ入ってないわ、ちょっと自分ナチュラルだからな」みたいな感じでしたけれど(笑)。


雪に願うこと 2005

北海道でリハーサルを始めても、全然ものになりそうもなくて、「一体どうなっちゃうんだろう」と思っていたんです。たぶん、スタッフも同じように思ったはず。「えらい現場きちゃったな、自分たちどうなっちゃうんだろう」というのが、表情でわかるんです(笑)。でもね、映画の中で人って育つんですね。ある緊張感の中で、彼はどんどんあの役になっていきました。それは、兄役の佐藤浩市という俳優さん、彼の存在です。伊勢谷くんは彼を「アニキ」と呼び、佐藤さんは「なんだこんなダメなヤツ、しっかりしなきゃだめだ」という感じで接するんですが、そのセリフと状況がほとんど一致しているという緊張感(笑)。もう、ドキュメンタリーでしたね。だから、僕ではなく、浩市が身を持って育てちゃったんじゃないかな。でも、そうやって手応えを掴んでいくことに、伊勢谷くん本人も気に入ってたよね。

田辺/そうですね、いまだに仲良くしています。


雪に願うこと 2005

和田/いい俳優さんになりましたよね。

田辺/キョンキョン(小泉今日子さん)からは、「あなたに誠実という言葉はない」って言われていたようですけれど(笑)

(つづく)

「雪に願うこと」トークレポート!①

9月1~7日に行われた

ミュージアム開館一周年記念上映会

「シネマの風景フェスティバル2012」

本日は、映画評論家・品田雄吉さんにつづく

ゲストトークレポート第2弾!

「雪に願うこと」の根岸吉太郎監督と

プロデューサーの田辺順子さんのお話をご紹介します。

司会進行は、お二人と交流のある和田由美事務局長です。

客席に座ったつもりで、どうぞお楽しみください。

(以下、敬称略)

* * *

和田/この狸小路の映画館(札幌プラザ2・5)は、昔、「日活館」という名前だったんですね。その後、「東宝プラザ」になりましたけれど。実は、(東宝プラザの)谷井社長は日活にお勤めになっていらしたんです。それから、根岸吉太郎監督は、日活の撮影所出身。奇しくも、今年は日活創立100周年ということで、不思議な縁を感じます。東映劇場、松竹遊楽館、東宝公楽劇場など、札幌市内では多くの劇場が姿を消し、商業館として建物が残っているのはここだけ。ですから今日は、違う意味で記念すべき日といえると思います。 さて、根岸監督は27歳で日活でデビューされましたが、まずは、なぜ映画監督を目指したか、伺ってよろしいでしょうか。

根岸/もちろん、映画が子どもの頃から好きだったんですね。中学生の時にさんざん映画を観て、映画の雑誌も一生懸命読んでいました。淀川長治さんの「映画の友」とか、「スクリーン」とか。ある日、ハリウッドの監督が映っている写真を見て、「俳優もいいけれど、監督も格好いいな」と思いました。たたずまいがいいな、と。僕は、わりと外側から入るタイプなんで(笑)、「こういう人になれるといいな」と、映画監督にあこがれたんですね。

中学生のころというのは、実際、監督が何をする人かわからない。いまだに、監督はこうでなければならないというのはないんですけどね。映画の全体を仕切っていく感じなんだろうな、と思っていました。僕がいま、学長を務めている山形県の「東北芸術工科大学」は、アート・芸術系の大学で、音楽・美術・文学などいろいろなものを教えていますけれど、中学生のころの僕も、そうしたものに興味を持ってはいても、その何か一つに対して自分がずば抜けた才能があるとは思えなかったんです。そうした時に、「映画」はいろんな人が集まって、人をたぶらかせたらできるんじゃないかな、と思ったわけなんです(笑)。まあ、結局、本当にそういうことをやっているわけですけれども。それを思ったのが、最初ですね。

それからずっと、「どうやったら映画の世界に入れるかな」と考えていました。日本の映画監督の経歴を調べたら、当時は大学を出て、撮影所に入って、助監督から監督になっていたので、そういうことにあこがれていたら、どんどん日本映画が傾いていったんですね。その道筋は終わった、みたいな時代になっていきました。これからは、自主映画を作って、その中から映画やコマーシャルを撮るなり、別な形のスタッフをやりながら映画監督になる、という流れが、アメリカ映画を中心に世界的になり始めていたんです。しかし、たまたまそのころ日活の募集があったものですから、「チャンスかな」と思って参加したわけなんです。

和田/同じ時代に助監をしていた相米慎二さん(故人)。相米監督は、北海道をロケ舞台にした「魚影の群れ」や「風花」などがありますけれど、根岸監督は「雪に願うこと」一本なんですね。だから、あまり寒いところがお好きじゃないのかな、と思うんですけれど(笑)。この映画を撮るきっかけを、田辺さんに伺ってよろしいでしょうか。


雪に願うこと 2005

田辺/はい。「雪に願うこと」の原作は「輓馬」という小説なんです。これは、「風花」という相米さんの遺作になった映画の原作者・鳴海章さんの作品なんですね。それで、鳴海さんの方から「次、こんな小説書いたよ」と、原作を送っていただいていました。相米さんはちょうど「風花」の上映が終わったころ、いろんな仕事が来まして、「やっと、監督として花開く、新たなスタートだな」という時だったので、次の作品はすでに「壬生義士伝」に決まっていて・・・実はわたし、「輓馬」をやりたいという話は相米さんからは直接聞いてないんです。でも、相米さんが亡くなって、四十九日の前くらいかな。和田さんがお手紙をくれたんですよね、私に。その中に、「生前、相米さんが『輓馬』をやりたいと言っていた」とありまして・・・。

和田/北海道を元気にするために「輓馬」という映画を撮りたい、と言っていました。それともうひとつ。田辺さんというプロデューサーにお金を一円も払ってないので、できれば一本分のお金を払いたい、と。

田辺/それまで、私に払うお金が安かったんですよね(笑)

和田/せめて、田辺さんにちゃんと払いたい、と言っていました。

田辺/そうなんです。そういうお手紙を和田さんからいただきました。わたしは、相米さんが亡くなったばかりで落ち込んでいて、もう映画の世界から足を洗おうかなと思っていたんですが、そのお手紙をいただいた時にすごい涙がボロボロ出てきて・・・「もうちょっと頑張れ」って言われているのかな、と思えたんです。それで、これは絶対に映画にするために頑張ろう!と。本当、和田さんのおかげなんです。

それから、「監督を誰に頼もうか」とお話していて、和田さんが「根岸さんしかいないんじゃない」っておっしゃっていて、私も「頼めるのは根岸さんしかいないよね」と思いました。それで原作を送って、根岸さんに監督をお願いしたんですけれど・・・根岸さん、こういう感じの方なので(笑)、本当にやってくださるのかどうかわからなくて、「興味ないのかな」とドキドキしてお返事を待っていたんです。

そしたら、「ばんえい競馬」というところに興味を持ってくださって、「じゃあちょっと見に行こうじゃないか」ということから、この企画は出発しました。丸3年、企画に時間がかかってしまったんですけれど、2005年にようやく撮影に入ることができました。その撮影も、3年かけて、ばんえい競馬の人たちと根岸さんが交流して、信頼関係を築いたからこそ、この映画が成立したと思います。


雪に願うこと 2005

(つづく)

脚本家・加藤正人さんインタビュー! in 函館港イルミナシオン映画祭

今日も朝から息が真っ白の札幌です。

さて、本日は月曜休館日。

というわけで、函館港イルミナシオン映画祭(12/2~4)の

ゲストインタビュー第7弾!

ラストの今回は、帯広ロケ「雪に願うこと」の

脚本を担当した加藤正人さんをご紹介します。

加藤さんは秋田県出身。

最近の主な作品に

「日本沈没」(2006年、共同脚本)
「孤高のメス」(2010年)
「蕾桜」(2010年、共同脚本)

などがあります。

函館の映画祭には シナリオ大賞審査員を務めており、

毎年のように訪れていらっしゃいます。

さて、そんな加藤さんに質問です。

ーー「雪に願うこと」のお仕事を振り返っていかがですか。
あの作品は、3年かかりました。その間、旭川、帯広と、3度ばんえい競馬にも通いました。確か30回以上書き直して…すごく時間がかかった作品でしたね。

ーー〝難産〟だった理由はなんだったんでしょう?
それは、厩舎とか、騎手の方々が寝泊りする場所とか、現場に行くたびにどんどん場面を書き足したくなるんですよ。それで、申し訳なかったんですけれど、(原作者の)鳴海(章)さんに「変えさせてください!」と頼みました、お酒の席で(笑)。彼が変更を快諾してくださって、そんな彼の人柄があったからのびのびと映像化できました。うれしかったですね。

ーー書き直す作業の中で、特に印象的なエピソードは?
タウシュベツ橋(※糠平ダムの湖底にあり、水位で見え隠れする旧国鉄士幌線の橋梁)を使ってほしい、という話があったんです。それで、単なる背景として登場させるのではなく、バックボーンを考えるわけですね。あの橋は見えたり見えなかったりするから、不安定な存在としてのお父さん、いるのかいないのかわからない、でも確かにそこにあるお父さんとの楽しい思い出、を描く心象風景として使えるかな、と。そこに至るまでに時間がかかるんです。そういったことが、かなりありました。

ーーなるほど。その作業の積み重ねで、あのストーリーが生まれたのですね。
雪玉を屋根にのせるという場面も、途中で「何か足したい」ということになって考えました。あのシーンを書き加えたことで、タイトルが原作名(「輓馬」)から変更になり、スタッフに募集したんです。結局、最後は根岸(吉太郎)監督が考えたタイトルに決まりました。

ーー私は帯広出身なのですが、地元の人間にとっても誇らしい作品だと思います。
何度も冬の帯広のばんえい競馬を見たので、あの「空気感」を描きたい、というのがありました。帯広の持つ魅力、ばんえい競馬の世界の魅力。それが、僕のような、北海道と無関係な人間にとっては、強烈なインパクトとして迫ってくるんです。それを描かなきゃ、反映しなきゃ、というのが、苦労であり、喜びでもありました。脚本が少しずつ成長する中で、「この作品は成功する」という確信を持つようになりましたね。

ーー完成した作品をご覧になったご感想は?
何度も話し合いをして、監督とも共通のイメージができていたので、想像通りに素晴らしいものができたと思いました。「その通り!よくぞ撮ってくれた」という、一緒に作り上げた思いがあります。
ーーそもそも加藤さんが脚本をご担当された経緯は?
僕は秋田出身で、それが理由のひとつみたいです。雪を描けるだろう、ということで。東京の人からみると、雪は冷たく厳しいイメージみたいですけど、秋田出身者にとっては、雪ってあったかい、包んでくれるイメージもあるんです。北海道はもっと北国なので、その延長で、「あたたかさ」「強さ」を感じます。豊かな食があり、大地があり、厳しい自然がある北海道を包み込むような温かさですね。

ーー確かに、雪が印象的な映画でした。
まだ誰も痕跡をつけていない、一面の雪景色を見ると、新鮮な気持ちになれるんです。そのリセットされる感覚が好きなんです。

ーー最後に北海道への思いをお聞かせください。
実は、父が根室で生まれて、小樽の小学校に通っていたので、自分にとっても北海道はルーツでもあるといえるんです。函館は山も海もあり、食べ物もおいしいし、来るたびに発見がありますね。一番早く開港した町でもあるので、物語がたくさん積み重なるすごく特別なモノを感じます。

ーーどうもありがとうございました!

脚本を生み出す苦しみ、喜びを 率直にお話くださった加藤さん。

今後の一層のご活躍を応援しております!