シネマの風景フェス・アンケートより

9月に行ったミュージアム開館一周年

記念イベント「シネマの風景フェスティバル2012」

参加者の方にアンケートをお願いした結果、

貴重なご意見やご感想をいただきました。

その一部をご紹介します。

まずは、超大作「人間の條件」を観て・・・

●封切り後、もう観れないと思っていたのに、今度の企画で思いがけずのプレゼント。映画館で観られ幸福。感謝!(60代、札幌市)


人間の條件(C)1959 ‐1961 松竹

●地方から参加のため、毎日ランダム上映だと全部を観ることができたのに…残念。「人間の條件」の戦闘シーンは、今となっては撮れない貴重な映像だと思いました。(40代、千歳市)

続いて、「点と線」の感想を。

●昔の昭和の駅の佇まい、“昭和”の情緒、好きなSL、札幌、ホテル丸惣、時計台、当時の名ある俳優陣、どれも松本清張の「時刻表」を鍵に堪能しました。見てよかった。ここから見下ろす狸小路の光景も、なんだか映画の続きのようで、あれこれイメージしてしまいます。(60代、江別市)


点と線 (C)1958 東映

●テレビで2,3度観ていますが、映画館で観るのは初めてです。やはり映画は素晴らしいです。(60代、江別市)

そして、「雪に願うこと」。

●良い映画でした。ばんばが帯広だけになる前の映画だったのですね。岩見沢で見よう見ようと思ってる間になくなってしまいました。(40代、札幌市)


雪に願うこと 2005

●良い時間を過ごすことが出来ました。(50代)

さらに、「日本女侠伝・真赤な度胸花」。


日本女侠伝・真赤な度胸花(C)1970 東映

●百恵の「赤」シリーズの降旗監督、そして山本麒一さんの懐かしい顔、楽しかったです。(60代、札幌市)

最後に「ガメラ2 レギオン襲来」。


ガメラ2 レギオン襲来(C)角川映画NHFN1996

●小さい頃、弟とガメラ・ゴジラ系のモノをよく見ていたので、懐かしく思いました。(20代、札幌市)

同じ映画を観ても、受ける印象や想いはさまざま。

こうして、一人でもその心に響いたのであれば、

上映した甲斐があるのだと思います。

「雪に願うこと」トークレポート!③

ミュージアム開館一周年記念上映会

「シネマの風景フェスティバル2012」

「雪に願うこと」の根岸吉太郎監督と

プロデューサー田辺順子さんのトークレポート最終回。

司会進行の和田由美事務局長の鋭い質問と

根岸監督、田辺さんならではの魅力的なご回答を

どうぞお楽しみください。(以下、敬称略)

* * *

和田/ところで、小泉今日子さんは「風花」にも出演されています。私の感想では、あの作品では少女のような印象。一方、「雪に願うこと」は大人の女という印象で、「やっぱり根岸さんは女の人を撮ったらすごいんだな」と改めて思ったんですけれど・・・彼女は使いやすい俳優さんですか?


雪に願うこと 2005

根岸/すごいと思いますよ。「雪に願うこと」は、ちょうど40になってちょっとの頃だったかな。「風花」はたぶん、30代の終わりだと思います。本来、女優さんは、年相応をあまり好みません。でも、彼女は怖がらないんですね。むしろ、積極的にその年をこなしていこうと、コンスタントにそういう生き方をしています。その意味で、役柄もそうでしたけれど、急に大人という感じが出たんじゃないでしょうか。

和田/さりげないけれど適役だったように思います。

根岸/独特の北海道弁でね・・・北海道弁なのかな?(笑)。でも、こういう風にしゃべる北海道の人いそうだなという、小泉節でしたね。


雪に願うこと 2005

和田/そして、原作の「輓馬」というタイトルを「雪に願うこと」にしたのは?

田辺/監督です。

和田/これは、すごいですね。

根岸/どうですかね・・・「輓馬」も力強くていいタイトルなんですけれど。ただ、少しとっつきにくいというか。映画という、どうしても人を呼ばなきゃならない仕組みのときに、「輓馬」で来てもらえるかという自信がなかったんです。でも、そんなに悪いタイトルではないと思います。

和田/昔は、北海道にとって、雪は邪魔者だったんです。でも今は、雪が観光になる時代。そういう意味では、この作品はタイトルを含めて雪がないと成り立たない映画ですから、北海道をロケ舞台にした意義のある作品と思います。

根岸/あと、(上士幌町の)タウシュベツを撮りたいと思っていまして。

和田/素晴らしく効果的でしたね。

根岸/昔、写真でちらっと見た瞬間から「なんて素晴らしい所だろう」と思っていました。帯広に近いので、原作にないけれど、無理やりにでもシナリオに入れて撮りたかったんです。


雪に願うこと 2005

和田/ずいぶんロケで寒冷地には慣れたようですが、また今度、何か北海道で・・・

根岸/寒冷地グッズすごいですよ!どんな寒いとこでも大丈夫、みたいな。自宅で場所をとっちゃってしょうがないんです(笑)。

和田/根岸さんはいま学長さんですから、違う意味で本を読む時間はとれるかもしれません。北海道を舞台にした原作を私たちが売り込んで、またぜひ、北海道で根岸さんに撮っていただきたいと思います・・・よね?(観客拍手)

根岸/学長を務めている東北芸術工科大学にきて4年目。そろそろ、作ったものが出来上がり始めていて、今度はその作品の上映会をシアターキノでやろうと言っています。ぜひ、皆さんに見に来ていただきたいです。

和田/最後に、田辺さんどうぞ。

田辺/そうですね・・・私、見た目優しそうなんですけれど、そんなことはないんです(笑)。けっこう強いものを持っています。根岸さんとはまた一緒に映画作りたいなと思っているので、学長さんもされていて忙しいようですけれど、いまちょこちょこと企画の話をしているんです。私が願うことは、やはり根岸さんに映画を撮ってほしい、ということなので、またぜひ一緒にやりたいと思っています。

和田/みなさん、最後に拍手でお二人をお送りください。(拍手)


雪に願うこと 2005

* * *

さて、いかがだったでしょうか?

「雪に願うこと」ができるまでの秘話の数々。

知ると、もう一度、いえ何度でも観たくなるものです。

映画って、本当に奥が深いですね。

ミュージアムでは、こうした北海道ロケの映画秘話も

どんどん掘り起こしていきたいと思っています。

「雪に願うこと」トークレポート!②

ミュージアム開館一周年記念上映会

「シネマの風景フェスティバル2012」

のゲストトークレポート2回目。

「雪に願うこと」の根岸吉太郎監督と

プロデューサーの田辺順子さんのお話をどうぞ。

司会進行は和田由美事務局長です。(以下、敬称略)

* * *

和田/あのー・・・たぶん根岸監督は、頼まれても何しても、自分の嫌いなものはやらないと思うんですけれど(笑)、この企画のどこに惹かれたのでしょうか。

根岸/最初は、「移動する・流れる」ことに興味を持ったんですよ。今、ばんえい競馬は帯広でずっとやっていますが、最初に僕がこの企画の話を聞いた時には、帯広・岩見沢・旭川・北見の道内4カ所が開催地でした。馬と一緒に人間の大集団が移動して次の開催地に行き、シーズンを過ごし、また次の場所へ向かっていく。まるでサーカスのような、ひとつの村・町が移動していく姿が、非常に面白いなと思ったんです。ただ、「移動」というテーマは、作品を作る中で別な形になりましたけれど、そうやって生きている人たちの面白さや力強さ。そういうことに、最初は興味を持ちました。


雪に願うこと 2005

和田/帯広での真冬のロケで監督するということは、どういう大変さがあるのか、お聞かせいただけますか。

根岸/ひとつは動物ですからね、言うことをきいてくれないじゃないですか。ですから、僕のチームの助監督が一カ月以上前に現場入りして、映画の仕事ではなくて、ずっと厩務員をやっていました(笑)。もう、裸であの大きな馬に乗れるくらいになって、操っていましたね。彼は、ロケを終えて帰る時、「あんたは優秀だからぜひ残ってくれ」なんて言われていました(笑)。その助監督は小林聖太郎といって、「毎日かあさん」などの監督をして、監督協会の新人賞もとりました。

佐藤浩市さんも「馬に慣れたい」と言って、撮影より何日か早めに現場入りし、馬に乗ったり、いろんなことをして雰囲気をつかんだりしていました。だから、物語とかお芝居を撮るのではなく、気分はドキュメンタリーというのかな、そこに人が入り込んでものを作っていくというスタイルでした。

和田/朝早く、馬が息を吐くあの情景は、嘘では作れません。35ミリフィルムならではのすごさですよね。

根岸/肉眼で見てもすごいんですよ。朝4時ごろ、撮影の準備に入ると、遠くから馬がきます。最初は固まっているんですが、それがまるで、湯気の固まりが昇っているように見えるんです。その湯気がちょうどライトで逆光になって、ふわーっとあがっている。先ほど、ちょうど「点と線」が上映されて、機関車が出てきましたけれど、ばんばの大きな馬って、ちょっと機関車みたいだよね。そういう生き物の力強さ、それ自体が面白いというか、それをカメラにおさめたいと思いました。寒い場所で、息を吐きながら生き物が動いている、向かってくるだけで、もうなんか話なんかいらないや、というか(笑)。

和田/もともと「輓馬」は、世界に一つしかありません。それをフィルムで残したということは、まさに、世界にひとつしかないフィルム、ということになりますよね。

根岸/冬の朝のきりっとした空気の中の馬って、すごく美しいですよね。それは前から一回撮りたいなと思っていました。

和田/伊勢谷友介さんは、どなたがキャスティングされたんですか。


雪に願うこと 2005

田辺/それは私です。あの役は難しい設定なので、2年くらいなかなか俳優さんが決まらなかったんですね。伊勢谷さんはその頃、そんなにテレビに出てないですし、知名度はなかったのですが、私は注目していまして、根岸さんに資料をお見せしました。そうしたら、「いけるかもしれない」と言うことになりまして、その後も試行錯誤があったんですけれど、最終的に伊勢谷さんにお願いして良かったと思います。

和田/現場ではどうでしたか。

根岸/初めて会った時の彼の印象は、すごく良かったんですよ。あれは地味な役柄で、どこか格好悪いと思われがち。それで気乗りしない俳優たちが多い中、意外とわかった子だな、と思いました。でも、最初に俳優さん全員が集まる「本読み」ですごくセリフがたどたどしくて(笑)、「おいおいコイツを選んじゃったぜ」と不安になりました。当の本人は「全然セリフ入ってないわ、ちょっと自分ナチュラルだからな」みたいな感じでしたけれど(笑)。


雪に願うこと 2005

北海道でリハーサルを始めても、全然ものになりそうもなくて、「一体どうなっちゃうんだろう」と思っていたんです。たぶん、スタッフも同じように思ったはず。「えらい現場きちゃったな、自分たちどうなっちゃうんだろう」というのが、表情でわかるんです(笑)。でもね、映画の中で人って育つんですね。ある緊張感の中で、彼はどんどんあの役になっていきました。それは、兄役の佐藤浩市という俳優さん、彼の存在です。伊勢谷くんは彼を「アニキ」と呼び、佐藤さんは「なんだこんなダメなヤツ、しっかりしなきゃだめだ」という感じで接するんですが、そのセリフと状況がほとんど一致しているという緊張感(笑)。もう、ドキュメンタリーでしたね。だから、僕ではなく、浩市が身を持って育てちゃったんじゃないかな。でも、そうやって手応えを掴んでいくことに、伊勢谷くん本人も気に入ってたよね。

田辺/そうですね、いまだに仲良くしています。


雪に願うこと 2005

和田/いい俳優さんになりましたよね。

田辺/キョンキョン(小泉今日子さん)からは、「あなたに誠実という言葉はない」って言われていたようですけれど(笑)

(つづく)

「雪に願うこと」トークレポート!①

9月1~7日に行われた

ミュージアム開館一周年記念上映会

「シネマの風景フェスティバル2012」

本日は、映画評論家・品田雄吉さんにつづく

ゲストトークレポート第2弾!

「雪に願うこと」の根岸吉太郎監督と

プロデューサーの田辺順子さんのお話をご紹介します。

司会進行は、お二人と交流のある和田由美事務局長です。

客席に座ったつもりで、どうぞお楽しみください。

(以下、敬称略)

* * *

和田/この狸小路の映画館(札幌プラザ2・5)は、昔、「日活館」という名前だったんですね。その後、「東宝プラザ」になりましたけれど。実は、(東宝プラザの)谷井社長は日活にお勤めになっていらしたんです。それから、根岸吉太郎監督は、日活の撮影所出身。奇しくも、今年は日活創立100周年ということで、不思議な縁を感じます。東映劇場、松竹遊楽館、東宝公楽劇場など、札幌市内では多くの劇場が姿を消し、商業館として建物が残っているのはここだけ。ですから今日は、違う意味で記念すべき日といえると思います。 さて、根岸監督は27歳で日活でデビューされましたが、まずは、なぜ映画監督を目指したか、伺ってよろしいでしょうか。

根岸/もちろん、映画が子どもの頃から好きだったんですね。中学生の時にさんざん映画を観て、映画の雑誌も一生懸命読んでいました。淀川長治さんの「映画の友」とか、「スクリーン」とか。ある日、ハリウッドの監督が映っている写真を見て、「俳優もいいけれど、監督も格好いいな」と思いました。たたずまいがいいな、と。僕は、わりと外側から入るタイプなんで(笑)、「こういう人になれるといいな」と、映画監督にあこがれたんですね。

中学生のころというのは、実際、監督が何をする人かわからない。いまだに、監督はこうでなければならないというのはないんですけどね。映画の全体を仕切っていく感じなんだろうな、と思っていました。僕がいま、学長を務めている山形県の「東北芸術工科大学」は、アート・芸術系の大学で、音楽・美術・文学などいろいろなものを教えていますけれど、中学生のころの僕も、そうしたものに興味を持ってはいても、その何か一つに対して自分がずば抜けた才能があるとは思えなかったんです。そうした時に、「映画」はいろんな人が集まって、人をたぶらかせたらできるんじゃないかな、と思ったわけなんです(笑)。まあ、結局、本当にそういうことをやっているわけですけれども。それを思ったのが、最初ですね。

それからずっと、「どうやったら映画の世界に入れるかな」と考えていました。日本の映画監督の経歴を調べたら、当時は大学を出て、撮影所に入って、助監督から監督になっていたので、そういうことにあこがれていたら、どんどん日本映画が傾いていったんですね。その道筋は終わった、みたいな時代になっていきました。これからは、自主映画を作って、その中から映画やコマーシャルを撮るなり、別な形のスタッフをやりながら映画監督になる、という流れが、アメリカ映画を中心に世界的になり始めていたんです。しかし、たまたまそのころ日活の募集があったものですから、「チャンスかな」と思って参加したわけなんです。

和田/同じ時代に助監をしていた相米慎二さん(故人)。相米監督は、北海道をロケ舞台にした「魚影の群れ」や「風花」などがありますけれど、根岸監督は「雪に願うこと」一本なんですね。だから、あまり寒いところがお好きじゃないのかな、と思うんですけれど(笑)。この映画を撮るきっかけを、田辺さんに伺ってよろしいでしょうか。


雪に願うこと 2005

田辺/はい。「雪に願うこと」の原作は「輓馬」という小説なんです。これは、「風花」という相米さんの遺作になった映画の原作者・鳴海章さんの作品なんですね。それで、鳴海さんの方から「次、こんな小説書いたよ」と、原作を送っていただいていました。相米さんはちょうど「風花」の上映が終わったころ、いろんな仕事が来まして、「やっと、監督として花開く、新たなスタートだな」という時だったので、次の作品はすでに「壬生義士伝」に決まっていて・・・実はわたし、「輓馬」をやりたいという話は相米さんからは直接聞いてないんです。でも、相米さんが亡くなって、四十九日の前くらいかな。和田さんがお手紙をくれたんですよね、私に。その中に、「生前、相米さんが『輓馬』をやりたいと言っていた」とありまして・・・。

和田/北海道を元気にするために「輓馬」という映画を撮りたい、と言っていました。それともうひとつ。田辺さんというプロデューサーにお金を一円も払ってないので、できれば一本分のお金を払いたい、と。

田辺/それまで、私に払うお金が安かったんですよね(笑)

和田/せめて、田辺さんにちゃんと払いたい、と言っていました。

田辺/そうなんです。そういうお手紙を和田さんからいただきました。わたしは、相米さんが亡くなったばかりで落ち込んでいて、もう映画の世界から足を洗おうかなと思っていたんですが、そのお手紙をいただいた時にすごい涙がボロボロ出てきて・・・「もうちょっと頑張れ」って言われているのかな、と思えたんです。それで、これは絶対に映画にするために頑張ろう!と。本当、和田さんのおかげなんです。

それから、「監督を誰に頼もうか」とお話していて、和田さんが「根岸さんしかいないんじゃない」っておっしゃっていて、私も「頼めるのは根岸さんしかいないよね」と思いました。それで原作を送って、根岸さんに監督をお願いしたんですけれど・・・根岸さん、こういう感じの方なので(笑)、本当にやってくださるのかどうかわからなくて、「興味ないのかな」とドキドキしてお返事を待っていたんです。

そしたら、「ばんえい競馬」というところに興味を持ってくださって、「じゃあちょっと見に行こうじゃないか」ということから、この企画は出発しました。丸3年、企画に時間がかかってしまったんですけれど、2005年にようやく撮影に入ることができました。その撮影も、3年かけて、ばんえい競馬の人たちと根岸さんが交流して、信頼関係を築いたからこそ、この映画が成立したと思います。


雪に願うこと 2005

(つづく)

品田雄吉さんトークレポート!②

「シネマの風景フェスティバル2012」(9月1~7日)

に行われた映画評論家・品田雄吉さんの

トークレポート。後編をどうぞ。

* * *

子供のころは、地元の遠別町には映画館がなく、公会堂のような集会場で映画が上映されていました。小学校に入るころ、「遠別座」という立派な劇場ができました。年配の方はご存じでしょうけれど、下足を脱いであがるような芝居小屋です。2階の高い所は「おなおり」と言われ、料金も割り増しだったはず。大人になって、東京の「歌舞伎座」に行ったら、造りが「遠別座」と同じで驚いたことがあります。花道があって、枡席があって、畳敷きで…。そうした場所で映画を観ることが、田舎の人たちにとっては、文化的というか、唯一の娯楽だったわけです。

「今日映画があるよ」という日は、ちんどん屋が村を回ります。映画のフィルムは、遠別の隣りまち・手塩から運ばれ、その後、南の初山別に移動します。ですから、私にとって映画は、隣町から来て隣町へいくもの。「映画が来る」なんてよく話していました。夜、たった一回だけの上映なので、映画がある日は町じゅうがちょっと浮き立ったような感じ。皆が仕事を早めに切り上げて、家族そろって映画を見に行く。若い男女にとっては、そこが絶好の逢い引きの場になったりして(笑)、非常にいい雰囲気の出会いの場所でもあった。映画は、そういう文化でした。

これに関連して思い出すのは、「ミツバチのささやき」というスペイン映画。とてもいい映画です。この冒頭部分、オート三輪のような小型トラックで、移動映写のフィルムが運ばれてきて、夜、村人たちが映画を見に行きます。そこで上映されたのが、フランケンシュタインの映画。それを見た小さなかわいい女の子がフランケンシュタインに取り憑かれちゃって…というような内容なんですけれど、私はそれを見たとき、田舎を思い出して、「映画の文化は世界中同じなんだな」という印象を受けました。

小学校6年のとき、札幌の中学に入るため、札幌の親戚に預けられました。二中(現・西高)に入り、通いだして2年くらいで戦争がひどくなって、昭和16年、中学2年くらいから勤労動員が始まり、丘珠飛行場の滑走路の板敷きなどをやらされました。敗戦を迎えたのは旧制中学4年の時。学校に戻っても、それまで勉強していないので英語なんか全然分からない。結局、私は幸いにも北大に入れましたけれども、そんな時代でした。

なぜ映画を見るようになったのかというと、実は、兄の影響が非常に強かったんです(※スタッフ注、ミュージアムには、雄吉さんの兄・平吉さんの映画コレクションを展示しています)。あと、札幌の親戚に預けられたとき、監督する人がいなかったものですから不良少年になりまして(笑)、一人で映画館で映画を見て遊んでいたんですね。 そんな中学3年のころ、黒澤明監督の「姿三四郎」を観て、すごい映画だなと感動しました。同じ年、木下恵介監督の「花咲く港」というコメディーを観て、これもとても面白かった。封切りの時に、黒澤・木下の処女作を観たことは、私にとっては非常に大きな財産になっています。でも当時、中学生が一人で映画館に入ると退学になりました。私は運よく捕まらなかったので、卒業・進学ができましたけれど、もし捕まっていたら運命は変わっていたのかもしれません。

北大にいたころ、「キネマ旬報」という雑誌が初めて懸賞論文を募集するイベントをやりました。当時、獅子文六原作の「自由学校」という新聞連載小説を松竹と大映が競作したんです。その比較論を懸賞募集しまして、賞金と半年分のキネ旬がもらえるというのが魅力で応募したんです。すると、なんと、一等賞になりました。のちに、選外佳作に深作欣二さんの名前があったことが分かったんですが、この人は私が書いたものを読んで「こういうヤツがいるんじゃ、オレは批評は辞めた」と言って映画監督になったといいます。ま、嘘か本当か分かりませんけれど(笑)。ですから私は、優れた日本の映画監督の一人を送り出したという功績があるわけです(笑)。

それにつけても私が思うのは、北海道は、映画のロケ誘致を北海道庁あたりが本気になってやるべきだと思います。一生懸命やってらっしゃる方もいるようですけれど。先日、札幌を舞台にした「探偵はBARにいる」という映画のプロデューサーにお会いしました。若い札幌出身の方です。映画は、公開前は社内でもあまり期待されていなかったようですけれど、大ヒットして評判も良く、すごく喜んでいました。この映画も、北海道でないと作れない強みがありました。雪がいっぱいの描写も、ここでなければできません。そういう土地の特色をうまく生かした映画でした。


(C)2012「北のカナリアたち」製作委員会
【写真説明】11月3日に公開される利尻・礼文・稚内などでロケされた「北のカナリアたち」

北海道のユニークな魅力をもっと生かした映画を作ってほしい。そういうことを考えるひとつの大きなきっかけとして、この「北の映像ミュージアム」がやっているイベントで、北海道ロケの名作を観てもらえればと思います。今回上映される根岸吉太郎監督の「雪に願うこと」も、本州では考えられない「ばんえい競馬」をモチーフにした非常にいい映画です。根岸さんは東京生まれの方ですけれど、「遠雷」という優れた作品を作った方。根岸さんが「また北海道を舞台にした映画撮ろうか」と思ってくれると、面白いものができると思います。というわけで、小林正樹監督から根岸吉太郎監督まで、北海道で素晴らしい映画ができているということを再確認できたと思います。(拍手)

* * *

さて、みなさんいかがだったでしょうか。

遠別町出身の品田さんならではの、

北海道ロケの映画の可能性を考えさせるトークでした。

品田さんには、ミュージアムに映画コレクションを展示している

実兄・平吉さんについても改めてインタビューしています。

こちらも追ってアップしますので、ぜひお読みください。


「シネマの風景フェスティバル」をお手伝いしてくれた
北海学園大の学生さんたち

品田雄吉さんトークレポート!①

本日は、ミュージアム開館一周年記念イベント

「シネマの風景フェスティバル2012」(9月1~7日)に行われた

ゲスト・品田雄吉さんのトークをレポート!

前半(①)は、「人間の條件」&小林正樹監督にまつわること、

後半(②)は、品田さんご自身の北海道と映画に関する思い出を

中心にまとめました。どうぞお楽しみください!

* * *

私は、ここからうんと北の方の、天塩郡遠別町の生まれです。私が生まれたころは「遠別村」でした。8月中旬になると、すでにストーブを焚いていた記憶があるくらい寒い場所。そんなところで生まれ育ったので、その近辺のサロベツ原野で「人間の條件」のロケをしたことも納得、という感じがします。非常に大陸の寒冷地に近い土地柄ですので。

私がキネマ旬報に入社したころ、小林正樹監督は結構偉くなっていて、新人監督として「あなた買います」などいい仕事をされていました。彼は木下恵介監督のお弟子さん。ご存じの方もいらっしゃるでしょうけれど、木下さんという人は生涯独身で、少年が好きな方。助監督を、美青年ばかりそろえたんです(笑)。小林正樹監督がそのトップだったわけですけれど、ほかにも松山善三さん、テレビの脚本などで活躍されている山田太一さん、岡田茉莉子と結婚した吉田喜重さんなどが木下組の助監督。みなルックスがいいんです。一番先輩格が「人間の條件」を監督された小林正樹さんです。

新人のころ、「小林さんのところへ行け」と編集長に言われて自宅まで行ったことがあります。立派な家で、「映画監督はこんなすごい家に住んでいるんだ」と驚きました。後に小林さんは、映画の制作費をひねり出すためその家を売却してしまうのですけれども。小林監督に「上がれ」と言われて、あがると洋間のフロアに応接セットがあって、そこからちょっと奥が段がついていて畳敷きになっているという造りでした。そういう構造の家は田舎育ちの私は知らなくて、洋間と和室がある素晴らしい家、ということだけを記憶に残して、小林さんに何をお願いしたか全然覚えていません(笑)。それが、小林正樹さんにお会いした最初でした。


人間の條件(C)1959 ‐1961 松竹

その後はなかなかご縁がなくて、「人間の條件」の後に作った「東京裁判」という長大なドキュメンタリーのときに、座談会でご一緒したのをきっかけに、よくお目にかかるようになりました。完成パーティーにも招いてくれて、親しくさせていただきました。

小林さんは、非常に落ち着いた方。なんて言うのかな、木下監督は「リアクションが鋭い・速い」という感じの方なんですけれど、それに比べて小林監督は「オットリ・重厚」という感じ。それはそれで非常にいい個性の持ち主だな、と思います。作品も、「人間の條件」のように大作を粘って粘って作る。「人間の條件」という映画は、小林さんの粘りがあったから、あれだけ素晴らしい作品になったと言われましたし、私もそう思います。

ロケ地となった豊富とか幌延とかいうところは、あまり人の住んでいない所。農作物も採れず、泥炭地で米も、畑も作れない。その荒涼とした感じは、冬になるとちょっとすごいんです。荒野、という印象ですね。それが、この「人間の條件」の大陸の感じ、迫力をよく出していますし、リアリティを生み出していると言えるでしょう。


人間の條件(C)1959 ‐1961 松竹

「人間の條件」を見るにつけても思うのは、ほかの日本の地方には見られないような、北海道の気象条件や景色を生かした映画を作ることが、映画の新しい楽しみを生み出してくれているのではないかということです。

ですから、折に付けて、北海道は撮影の誘致をどんどん積極的にもっとやるべきだと思います。撮影条件を良くして、もっともっと北海道の地方色を生かした素晴らしい映画を生み出す環境を整えてほしい。実は、これまでも北海道で素晴らしい映画が作られているんですね。黒澤明さんの映画(「白痴」「影武者」)や、漁場を舞台にした「ジャコ万と鉄」、山田洋次さんも「幸福の黄色いハンカチ」などたくさん作っています。北海道を舞台にするとお客さんが来ることを実績として固めていくと、また北海道に映画撮影が来て、土地の特色がますます生かされていくのではないかと思います。

(つづく)

「シネマの風景フェス」が終了

北の映像ミュージアム開館一周年記念イベント

「シネマの風景フェスティバル2012」は昨日終了しました。

1000人を超える方々にお越しいただき、ありがとうございました!

一週間にわたるイベントの様子を、まずは写真で振り返ります。

前日から行われたパネル展示や会場準備は、

北海学園大の学生スタッフさんが活躍!

会場入口には、上映作品の関連資料を

2階会場には、街並み画家・浦田久さんの

スケッチ原画などをズラリと並べました。

場内には、カフェのほか、書籍&ロケ地マップ販売や

会員申込みブースも設け、ミュージアムの活動をアピール。

初日は、映画の上映に加え、ゲストの映画評論家・品田雄吉さん、

「雪に願うこと」の根岸吉太郎監督、

田辺順子プロデューサーのトークイベントも実施。

同日夜には、ご支援くださっている企業、団体、

会員の方々を招いたパーティーを開き、開館一周年を祝いました。

上映した5作品のうち、予想以上に

人気を集めたのが、「点と線」です。

また、「人間の條件」6部作の一挙連日上映では、

1日に一気にご覧になる方も。

9時間半の超大作をご鑑賞いただき、

本当にありがとうございました。

最終日には、スタッフが勢ぞろいでお客様をお見送りしました。

滅多にスクリーンで観ることのない北海道ロケの作品を

お客様と一緒に楽しむことができ、嬉しく思います。

今後、トークやアンケート内容などをご報告しますので、

どうぞお楽しみに!

「シネマの風景フェス」最終日です!

1日から始まったミュージアム開館一周年記念イベント

「シネマの風景フェスティバル2012」

いよいよ今日で最後となります。

最終日の今日は、以下の5作品を一挙上映!

◎「人間の條件」(1959-61年、小林正樹監督)


人間の條件(C)1959 ‐1961 松竹

◎札幌がキーワードの松本清張作品「点と線」(58年、小林恒夫監督)


点と線 (C)1958 東映

◎十勝を舞台にスターが大暴れ

「日本女侠伝・真赤な度胸花」(70年、降旗康男監督)


日本女侠伝・真赤な度胸花(C)1970 東映

◎札幌を舞台に生まれた快作

「ガメラ2 レギオン襲来」(96年、金子修介監督)


ガメラ2 レギオン襲来(C)角川映画NHFN1996

◎帯広を舞台にばんえい競馬を通じた男の再生を描く

「雪に願うこと」(2005年、根岸吉太郎監督)


雪に願うこと 2005

上映スケジュールはコチラ!


この一週間、ご参加くださった方々、

何度も足を運んでくださった方々に感謝申し上げます。

どうぞ今後もミュージアムをよろしくお願いいたします。

会場のレポートは、今後随時ご紹介いたします!

「シネマの風景フェス」開催中!~6日目

ミュージアム開館一周年記念イベント

「シネマの風景フェスティバル2012」

6日目の今日は、『雪に願うこと』&『人間の條件』の特集上映デー!

◎帯広を舞台にばんえい競馬を通じた男の再生を描く

「雪に願うこと」(2005年、根岸吉太郎監督)


雪に願うこと 2005


雪に願うこと 2005


雪に願うこと 2005


雪に願うこと 2005


雪に願うこと 2005


雪に願うこと 2005


雪に願うこと 2005

◎「人間の條件」(1959-61年、小林正樹監督)


人間の條件(C)1959 ‐1961 松竹

上映スケジュールはコチラ!

* * *

さて、最終日の明日7日(金)の上映スケジュールは・・・


スクリーンで観たかったあの作品、

見逃したこの作品を、ぜひこの機会に。

「シネマの風景フェス」開催中!~5日目

ミュージアム開館一周年記念イベント

「シネマの風景フェスティバル2012」

5日目の今日は、

『日本女狭伝・真赤な度胸花』&『人間の條件』の特集上映デー!

◎十勝を舞台にスターが大暴れ

「日本女侠伝・真赤な度胸花」(70年、降旗康男監督)


日本女侠伝・真赤な度胸花(C)1970 東映


日本女侠伝・真赤な度胸花(C)1970 東映

◎「人間の條件」(1959-61年、小林正樹監督)


人間の條件(C)1959 ‐1961 松竹

上映スケジュールはコチラ!


※都合により、予定していた最終回の上映(⑤18:20~)は中止となりました。 申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いいたします。

* * *

さて、明日6日(木)の上映スケジュールは・・・


『雪に願うこと』の特集上映です。ぜひぜひ!