「浅野忠信ナイト」レポート!

上川町でロケされた「風花」(2001年、相米慎二監督)。

相米監督の遺作となったこの

映画上映&主演の浅野忠信さんがトークする!

ということで、参加してきました。

25日(木)に行われた「浅野忠信ナイト」

颯爽と舞台に登場した浅野さん。

映画界に入るきっかけや10代の頃からの活動など

聞き応えのあるトークでした。

「風花」にまつわる部分を中心にレポートします。

※司会は札幌ショートフェストの久保俊哉さんです。

* * *

ーご出演された70数作品の中で、転機になった作品は?

「風花」がかなり大きいんです。これは、今日上映してもらうからではなく、本当にいつもそう答えています。相米監督との出会いは、確実に転機になったと思います。

ーせっかくですから、そのお話を・・・。

相米慎二監督のことは、10代のときからいろんなウワサを聞いていたんです。「怖い監督だ、偏屈なオヤジだ」と(笑)。それで、「できれば一緒にやりたくないな」と思っていました(笑)。20代にいろいろな作品をやっていた流れで、あるとき、相米監督の映画の話が来て、「怖いな」と思ったんですけれど、内容を聞いたら、相手役は小泉今日子さん。僕は小学生のころ、キョンキョンのコンサートに行くぐらいのファン(笑)。「これは、やる以外ない!きっとその偏屈なオヤジも、キョンキョンがいてくれれば乗り越えられる」と思って(笑)、引き受けたんです。

それで、監督とプロデューサーと小泉さんとの顔合わせになりました。僕はまだちょっと怖かったんですけれど、最初に監督から言われたのが、「浅野君はバカなんだから台本ちゃんと読んで」。初対面で「バカ」ですよ!(笑)。でも、それがなんだか嬉しかったんです。嫌な感じではなくて、すごく愛を感じたんですね。こんなにハッキリ接してくれて、逆に心が楽になった、といいますか。

ですから顔合わせも楽しかったですし、監督はお酒が好きですから、食事の後、二次会行くことになり、僕全然お酒飲めないんですけれど連れて行かれて・・・あ、映画で僕酔っぱらっているんですけれど、実は全然飲めません(笑)。二次会の後、みんな帰ったところを監督に「浅野君ちょっと来い」と呼ばれて、そのまま違うバーへ二人で行きました。監督は酔っぱらって、お酒飲みながらみかんの皮食べてました(笑)。でも、その時間もすごく楽しかった。「面白い監督に出会った」と思いました。

それで、撮影初日に。だいたい日本ですと、映画の撮影はスタッフの「段取り始めまーす」という感じで始まります。「段取り」とは、「カメラはココ、俳優さんはココ」という風に、分かりきったことを確認するようなもの。でも、相米慎二監督の現場は誰も何も言わず、監督が「リハーサルやるから黙って見てろ」という感じで始まりました。いきなり、僕とキョンキョンに「好きにやって」と。それも、僕にはとても嬉しかったです。

ーほかの監督さんとは、スタイルが違う?

違いますね。そんな監督に、それまで出会ったことはなかったと思います。とにかく好きに演じると、「もう一回、もう一回」。要するに、何か見えるまで、面白くなるまで、スタッフを喜ばせるまでは、何回でもリハーサルするんです。特に細かい指示もなく、「もう一回!何かあるだろう」と。僕もどんどんノッてきて、「それじゃ、次はこういうことやってみよう」とやってみたり・・・そうするうちに、監督の中で何か見えてくると「じゃあ、(本番)やってみるか」となるわけです。

ーなるほど。

そこで初めて、スタッフがカメラを据えます。ですから、カメラポジションありきではなく、俳優の動きありきで作っていくんです。そういう経験は初めてで、撮影は本当に楽しかったです。

ー確かに映画の浅野さんは非常に生き生きして、僕は北海道の大地のエネルギーを吸ったのかな・・・なんて思いました。

北海道でも楽しいロケでした。普段行けないところばかりで、山小屋にも泊めていただいて。ホテルだと一人部屋ですけど、山小屋は部屋数が少ないから僕も相部屋になり、なんと相手は柄本明さんで、貴重な経験をしました。たとえば、撮影を終えて寝ようかなと思ったら、柄本さんが映画で披露するギターの練習を始めて歌いまくったり(笑)。こんな経験はないと思って楽しみました。

ー相米監督は釧路の高校を卒業されて、北海道ともゆかりがあります。

北海道のことは詳しかったですね。あの、重たいモノを運ぶ競馬・・・

ー輓馬、ですね。

はい、それが大好きだったみたいで、撮影中もそのことばかり気にしていました(笑)。本当、そういう監督だったんですよ! ほかにも、ある日の撮影で、「お前次のシーンもっとあるだろ、笑わせろ!」とやたら突っかかってくるなと思ったら、「美術のスタッフとお前の芝居が面白いかどうかでワイン賭けてるから」と言われて(笑)。人の芝居で賭けをするんですよ。とんでもない監督ですね。

ー確かに、それは影響受けますね(笑)

本当に面白かったです。もう毎日こんなことばかり。

ー撮影は何日間くらい?

たぶん一月半くらいかと。全部ではありませんが、北海道でもだいぶロケしました。

ー雪も残る風景をとらえた、ある種のロードムービーです。キョンキョンとの共演はいかがでしたか。

毎日小泉さんと仕事できて嬉しくて嬉しくて・・・。でも、一番嬉しかったのは、最後に打ち上げした時。僕飲めないんですけど、小泉さんにウーロンハイを作ってもらったことですね(笑)。あと、打ち上げで最後に行ったカラオケで、キョンキョンが自分の歌を披露して、間近で見れたことも感動でした。

ー(笑)。映画では、お二人の関係が面白いですね。

男と女を描く映画はたくさんありますけれど、「風花」の二人は興味深いですね。

ー一応、ラブストーリーと捉えていいと思いますけれど、日本の映画ではあの形はあまり見たことないな、と思います。

特殊な二人ですよね。僕は官僚の役で、小泉さんは風俗で働いている役でしたから・・・。

ー結局、出演の決め手はキョンキョン?

もちろん、脚本も面白かったです。実際、現場にはキョンキョンもいるし、監督も面白いし、北海道も良い所でしたし、役者としていろいろなことを教えてもらいましたし、本当、僕にとっては大きな作品です。

ー映画では北海道のことケチョンケチョンに言ってますけれど(笑)

スミマセン(笑)。そういう役だったので・・・

ー相米監督のことは・・・

残念でした。実はその後、ある作品で「もう一回やろう」と呼ばれていて、楽しみにしていました。それは実現できなかったので、この作品で監督に教わったことをしっかりやり続けるしかない、と思っています。

* * *

さて、浅野さんのトークいかがだったでしょうか。

誠実で丁寧な語り口の中で、一番熱がこもっていたのが

「風花」の話題のようでした。

それだけ相米監督を慕っていたことも伝わって、

そのあとスクリーンで観た「風花」は、内容以上に切なく感じました。

ちなみに、「風花」で製作補を担当した田辺順子さん。

偶然にも先日ミュージアム一周年イベントでお招きし、

相米監督が亡くなってからの後日談

(「雪に願うこと」製作まで)を伺ったばかり。

どうぞ、そのレポートも併せてお読みだくさい。