今年最後のミュージアムです

今日は雪がちらほら舞う札幌です。

さて、今年も残すところあとわずか。

ミュージアムも今日で年内最後となり、

我々も大掃除を行いました。

そんなところへ、モンゴルから一時帰国中の

理事、喜夛さんが到着!

せっかくなので、記念写真をパチリ。

初めて見るミュージアム館内。

10年間活動を続けてきた喜夛さんの目に、

どう映ったのでしょうか。

振り返れば、

9月17日のミュージアムのオープン&

オープン記念上映会。

そして、その後のミュージアム運営。

メンバーそれぞれにとって、

怒涛のごとく過ぎた毎日でした。

そんな中で、

ミュージアムがなければ生まれなかったであろう

さまざまな人たちとの出会いに恵まれ、

拠点ができたことの大きさを実感。

ミュージアムのオープンのため、

ご尽力くださった方々に深く感謝いたします。

2012年のオープンは、1月4日(水)から。

皆様、良いお年をお迎えください。

おかえりなさい、喜夛さん!

今年も残すところあと5日。

今夜は、大変嬉しい再会がありました。

ミュージアム活動に当初から関わる理事のひとり、

喜夛(きた)義憲さんが、一時帰国されたのです。

帰国ってどこから?

なんと、モンゴルから!

喜夛さんは元北海道新聞の記者。

ミュージアムの創設に向けて、この10年間

活動してきた中心メンバーです。

オープンを前にした今年4月、

JICAのシニアボランティアとしてモンゴルに派遣され、

現地でエコツーリズムを教えています。

9か月ぶりの再会だけあって、

この日集まった仲間約20人も笑顔、笑顔!

忘年会を兼ねたおかえりなさい会の席上で、

喜夛さんは

「ミュージアムという共通基盤が

磁石となって、新しいチカラが集まってくる。

次のステップに進んで若い人に引き継いでいきたい」とあいさつ。

その前に、

「任期の2013年3月まで引き続き留守をお願いします。

帰ったらその分、ぞうきんがけからやります!」

なんて言葉も。

いえいえ、とんでもありません。

喜夛さんをはじめ、この10年間

地道に活動を続けてきた方々がいたからこそ、

ミュージアムという夢が実現したのです。

遠い異国の地で頑張る仲間とともに。

ミュージアムはどんどん

パワーアップしていかなければなりません!

そんな決意を新たにした夜でした。

嬉しいクリスマスプレゼント

今日はクリスマス。

街中のクリスマスムードも今夜まで。

さて、昨日ご紹介した

「探偵はBARにいる」ロケ地マップに続き、

ミュージアムに届いた嬉しいプレゼント。

それが、常連客の木村一博さんの

秘蔵の映画コレクション、絵葉書セットです!

郵便局で販売したものを買ったり、

現地で買い求めたり。

大切に保存してきたその束を、

見せに持ってきてくださいました。

写真の「男はつらいよ」全シリーズのほか、

黒澤明監督全作品も。

これは札幌ロケ「白痴」(51年)

勇払原野・厚真ロケ「影武者」(80年)

そして、名作「北の国から」も。

さらに、ご自身のチラシコレクションから、

北海道ロケに関するものを集めた

データをご提供くださいました。

その数、なんと55作品!

ありがとうございます。

貴重なデータとして活用させていただきます。

すると今度は、木村さんより質問が。

ご自身でお調べの北海道ロケリストに関して、

いくつかわからないことがあるそう。

調べようとしていたところに、

強力な助っ人がたまたま到着!

ミュージアム理事で映画研究家の高村賢治さんです。

さっそく相談したところ、

あれよあれよと答えて下さり、即解決!

さっすが、我らが〝映画狂(シネマディクト)〟!

ちなみにこの木村さん。

物心ついた時から映画が好きで、

パンフレットや前売り券、チラシなどを収集しているそう。

「もう破産すると思って、パンフレットだけ集めるようにしているの(笑)」とのこと。

我々に負けず劣らず、映画狂のお一人ですね。

オープンして早3か月余り。

ミュージアムという場が、

そんな映画ファンの心の拠り所になっていけば。

こんなに嬉しいことはありません。

じゃがポックルシアター「探偵はBARにいる」鑑賞特典はロケ地マップ!

今日はクリスマスイブ!

ということで、ミュージアムにもいろいろと嬉しいプレゼントが届きました。

そのひとつが、昨日ご紹介した「じゃがポックルシアター」

(新千歳空港ターミナルビル4階の映画館)で上映中の

「探偵はBARにいる」鑑賞者限定のグッズ!

実は、ここだけの特製オリジナルロケ地マップ!

折りたたむと、探偵のBAR「ケラーオオハタ」の マッチになるというこだわりぶり。

すっごくかわいいです!!

ぜひぜひ、じゃがポックルシアターで 現物をゲットしてください。

* * *

そして偶然にも本日午後、

「探偵はBARにいる」のプロデューサー 須藤泰司さんがご来館くださいました!

シリーズ次回作に向け、原作者の東直己さんとの打ち合わせのため来札したそう。

この日は、映画に作品も登場した「三岸好太郎美術館」にあいさつされた後、

こちらにお立ち寄りくださいました。

とっても気さくな方で、こんなお茶目な一面も(笑)

なんだか本日は、すっかり「探偵はBARにいる」デーのミュージアムでした!

「探偵はBARにいる」じゃがポックルシアターで上映開始!

今日も朝から一面雪。

クリスマスイブイブでもあり、街中は人でにぎわった札幌です。

さて、すでに続編制作も決定した札幌ロケの大ヒット作

「探偵はBARにいる」(橋本一監督)。


(C)2011「探偵はBARにいる」製作委員会

本日、新千歳空港ターミナルビル4階にある映画館

「じゃがポックルシアター」での上映が始まりました↓

http://www.shinchitose-entame.jp/ja/theater/

ここは、7月15日にオープンしたばかり、

日本初の空港内にある映画館。

実は、ミュージアムの仲間が

ここで映写技師として勤務しているのです。

というわけで、ミュージアム提供のスチール写真や

原作者の東直己さんサイン入りポスターなどを展示。

上映は来年1月13日までの予定なので、ぜひ足をお運びください。

そして、ここだけの嬉しいニュース!

来館者限定の秘密のプレゼントがあるそう!(何かは近日ご紹介。お楽しみに)

ちなみに、この劇場。

道内初、コトブキ社製のリクライニングシートを採用。

ゆったり、じっくり、快適に鑑賞できるのです。

空の旅に行く人も、そうでない人も。

冬の札幌を舞台にした

エンターテイメントの世界を満喫してください。

森田芳光監督追悼コーナーを設けました

突然の悲報から一夜明け。

ミュージアム館内に本日、

森田芳光監督の追悼コーナーを設けました。

七飯・鹿部・大野(北斗)ロケ「ときめきに死す」(84年)

函館・札幌ロケ「キッチン」(89年)

それぞれ公開時の、キネマ旬報も置いています。

当時の撮影ルポや 森田監督の対談なども掲載。

函館フィルムコミッションより提供いただいた

函館ロケ「わたし出すわ」(2009年)ロケ地マップも配付中。

映画を観続けることが、

監督を偲ぶ一番の方法かもしれません。

お立ち寄りの際は、ぜひ足を止めてみてください。

追悼・森田芳光監督

今日も厳しい寒さですが、空はきれいに晴れ渡る札幌。

さて、そんな日に、悲しい訃報が届きました。

森田芳光監督が、20日、急性肝不全のため亡くなったそうです。

61歳でした。

「家族ゲーム」(83年) 「失楽園」(97年) 「武士の家計簿」(2010年)など、

シリアス、コメディ、ロマンス、時代劇まで

多ジャンルの作品を世に送り出した森田監督。

北海道の道南、特に函館を気に入り、

「ときめきに死す」(84年) 「キッチン」(89年)

「海猫」(2004年) 「わたし出すわ」(2009年) と、4作をロケ。

12月2~4日に行われた 函館港イルミナシオン映画祭にも

ゲスト参加の予定でしたが、体調不良のため直前に欠席。

来年3月公開の新作 「僕達急行A列車で行こう」を鑑賞したばかりでした。

3年前の2008年12月、

「わたし出すわ」の撮影中に函館でお会いした時、

「好きな函館で映画がまた撮れてうれしい。

自分の作品の〝空気感〟に合っているのが街の魅力」

と、穏やかに話してくれた姿を覚えています。

私にとって、 森田監督といえばすぐに思い浮かぶのが、

函館で「カフェやまじょう」を経営する太田誠一さん。

彼は、〝森田組〟の一員としてロケを支援。

森田監督の人柄や撮影の裏話を聞くのが、

お店に行く楽しみでもありました。

太田さんをはじめ、今までロケに携わった

函館の方々の心中を想うと胸が痛くなります。

心より、ご冥福をお祈りします。

札幌市清田図書館との企画が進行中!

連日氷点下!

防寒具が必需品の札幌です。

さて、本日お一人目のお客様は、

札幌市清田区図書館司書の森昌彦さん。

この方の来館目的が… 来年、清田図書館で行う予定の

「北海道と映画」をテーマにしたイベントの打ち合わせ!

まだ決まってはいませんが、

ゆかりの映画上映&展示コーナーなどを計画中。

ミュージアムも、 資料提供などでご協力したいと思っています。

さて、この森さん。 聞くと、根っからの映画好き!

これまでにも、勤務先で フランスやアメリカの映画連続上映会、

高峰秀子さん追悼企画展などを立案&実現されているそう。

なんと、ミュージアムの礎を築いた

故・竹岡和田男さん、山田昻さんにも

映画に関する講師を依頼したこともあるとか。

展示コーナーを見ながら 「竹岡さんは僕の活動を見守ってくれました。

予算がない中、快く講師も引き受けてくれて。

山田さんの映画講義も、お客さんに好評だったなぁ…」

なんて思い出話も。

そんな映画愛を持つ森さんと準備中のイベント。

決まり次第、お知らせしようと思います。

乞うご期待!

脚本家・加藤正人さんインタビュー! in 函館港イルミナシオン映画祭

今日も朝から息が真っ白の札幌です。

さて、本日は月曜休館日。

というわけで、函館港イルミナシオン映画祭(12/2~4)の

ゲストインタビュー第7弾!

ラストの今回は、帯広ロケ「雪に願うこと」の

脚本を担当した加藤正人さんをご紹介します。

加藤さんは秋田県出身。

最近の主な作品に

「日本沈没」(2006年、共同脚本)
「孤高のメス」(2010年)
「蕾桜」(2010年、共同脚本)

などがあります。

函館の映画祭には シナリオ大賞審査員を務めており、

毎年のように訪れていらっしゃいます。

さて、そんな加藤さんに質問です。

ーー「雪に願うこと」のお仕事を振り返っていかがですか。
あの作品は、3年かかりました。その間、旭川、帯広と、3度ばんえい競馬にも通いました。確か30回以上書き直して…すごく時間がかかった作品でしたね。

ーー〝難産〟だった理由はなんだったんでしょう?
それは、厩舎とか、騎手の方々が寝泊りする場所とか、現場に行くたびにどんどん場面を書き足したくなるんですよ。それで、申し訳なかったんですけれど、(原作者の)鳴海(章)さんに「変えさせてください!」と頼みました、お酒の席で(笑)。彼が変更を快諾してくださって、そんな彼の人柄があったからのびのびと映像化できました。うれしかったですね。

ーー書き直す作業の中で、特に印象的なエピソードは?
タウシュベツ橋(※糠平ダムの湖底にあり、水位で見え隠れする旧国鉄士幌線の橋梁)を使ってほしい、という話があったんです。それで、単なる背景として登場させるのではなく、バックボーンを考えるわけですね。あの橋は見えたり見えなかったりするから、不安定な存在としてのお父さん、いるのかいないのかわからない、でも確かにそこにあるお父さんとの楽しい思い出、を描く心象風景として使えるかな、と。そこに至るまでに時間がかかるんです。そういったことが、かなりありました。

ーーなるほど。その作業の積み重ねで、あのストーリーが生まれたのですね。
雪玉を屋根にのせるという場面も、途中で「何か足したい」ということになって考えました。あのシーンを書き加えたことで、タイトルが原作名(「輓馬」)から変更になり、スタッフに募集したんです。結局、最後は根岸(吉太郎)監督が考えたタイトルに決まりました。

ーー私は帯広出身なのですが、地元の人間にとっても誇らしい作品だと思います。
何度も冬の帯広のばんえい競馬を見たので、あの「空気感」を描きたい、というのがありました。帯広の持つ魅力、ばんえい競馬の世界の魅力。それが、僕のような、北海道と無関係な人間にとっては、強烈なインパクトとして迫ってくるんです。それを描かなきゃ、反映しなきゃ、というのが、苦労であり、喜びでもありました。脚本が少しずつ成長する中で、「この作品は成功する」という確信を持つようになりましたね。

ーー完成した作品をご覧になったご感想は?
何度も話し合いをして、監督とも共通のイメージができていたので、想像通りに素晴らしいものができたと思いました。「その通り!よくぞ撮ってくれた」という、一緒に作り上げた思いがあります。
ーーそもそも加藤さんが脚本をご担当された経緯は?
僕は秋田出身で、それが理由のひとつみたいです。雪を描けるだろう、ということで。東京の人からみると、雪は冷たく厳しいイメージみたいですけど、秋田出身者にとっては、雪ってあったかい、包んでくれるイメージもあるんです。北海道はもっと北国なので、その延長で、「あたたかさ」「強さ」を感じます。豊かな食があり、大地があり、厳しい自然がある北海道を包み込むような温かさですね。

ーー確かに、雪が印象的な映画でした。
まだ誰も痕跡をつけていない、一面の雪景色を見ると、新鮮な気持ちになれるんです。そのリセットされる感覚が好きなんです。

ーー最後に北海道への思いをお聞かせください。
実は、父が根室で生まれて、小樽の小学校に通っていたので、自分にとっても北海道はルーツでもあるといえるんです。函館は山も海もあり、食べ物もおいしいし、来るたびに発見がありますね。一番早く開港した町でもあるので、物語がたくさん積み重なるすごく特別なモノを感じます。

ーーどうもありがとうございました!

脚本を生み出す苦しみ、喜びを 率直にお話くださった加藤さん。

今後の一層のご活躍を応援しております!

大西功一監督インタビュー!in 函館港イルミナシオン映画祭

今日は曇りのり晴れ。冬本番の札幌です。

さて、本日は函館港イルミナシオン映画祭(12/2~4)の

ゲストインタビュー第6弾。

大西功一監督をご紹介します。

大西監督は大阪出身。

1985年、テレビ報道番組の撮影助手を務め、88年に大阪芸大卒業。

95年、函館ロケ「とどかずの町で」を制作。

その後もさまざまな映像作品を手掛けていらっしゃいます。

今回は、沖縄県宮古諸島に伝わる唄に

スポットを当てたドキュメンタリー

「スケッチ・オブ・ミャーク」の上映に合わせて来函されました。

そんな大西監督に質問です。

ーー「とどかずの町で」を撮影された経緯を教えてください。
あの時は、一本映画を撮り終わって、なかなか次が着手できないときでした。北海道を旅したんです。20歳のときに道南に行ったことがあって、函館が良かった記憶があったので、道東を旅した後、函館だけ行っておこうとそっちまでまわりました。

ーーそれで気に入ったということでしょうか?
夜、函館駅に到着して、ホテルに向かって港を歩いたんですね。暗い中を。ただ、闇の中にいるだけなんですけど、それが、実にいいわけですよ。何がいいかっていうと、音もなく、すごく静かで…それが、厚みのある静けさというか…。都会でも静かな場所はあるけど、東京だと人がうごめいている気配が感覚的にあるんです。でも、その時は、静けさの中に背中にどさっと覆いかぶさってくるような厚みがあって。本当の静けさ、夜の闇がここにはあるな…と、そんな感じがしたわけです。その感覚が大事で、都会だと実感できない、人間が生きていて感じ取れる、その大事な感覚を確かめられる、というのがありました。非常に口では説明しにくいんですけど(笑)

ーーいえいえ、興味深いお話です。
この感覚って、地形的なことも関係しているのではないかと思うんです。函館山があって、砂州になっていて、海に囲まれている状態。島だけど、地続きで、ある種、海の世界にポンと船で感じるようなものがあるっていうか…。

ーーなるほど。今後も函館で撮影したいお気持ちはありますか?
もちろん!函館は世界の中で一番大好きな町であることは揺るぎません!函館を舞台にした脚本もありますし、また撮りますよ!というか、好きすぎて西部地区に移住するかもしれませんね(笑)

ーーそうですか!どうもありがとうございます。

以上です。

大西監督ならではの感性で語る

函館のマチの描写が印象的でした。

映画の面白さが人それぞれのように、

マチの味わい方も人それぞれなんですね。