今日も朝から息が真っ白の札幌です。
さて、本日は月曜休館日。
というわけで、函館港イルミナシオン映画祭(12/2~4)の
ゲストインタビュー第7弾!
ラストの今回は、帯広ロケ「雪に願うこと」の
脚本を担当した加藤正人さんをご紹介します。

加藤さんは秋田県出身。
最近の主な作品に
「日本沈没」(2006年、共同脚本)
「孤高のメス」(2010年)
「蕾桜」(2010年、共同脚本)
などがあります。
函館の映画祭には シナリオ大賞審査員を務めており、
毎年のように訪れていらっしゃいます。
さて、そんな加藤さんに質問です。
ーー「雪に願うこと」のお仕事を振り返っていかがですか。
あの作品は、3年かかりました。その間、旭川、帯広と、3度ばんえい競馬にも通いました。確か30回以上書き直して…すごく時間がかかった作品でしたね。
ーー〝難産〟だった理由はなんだったんでしょう?
それは、厩舎とか、騎手の方々が寝泊りする場所とか、現場に行くたびにどんどん場面を書き足したくなるんですよ。それで、申し訳なかったんですけれど、(原作者の)鳴海(章)さんに「変えさせてください!」と頼みました、お酒の席で(笑)。彼が変更を快諾してくださって、そんな彼の人柄があったからのびのびと映像化できました。うれしかったですね。
ーー書き直す作業の中で、特に印象的なエピソードは?
タウシュベツ橋(※糠平ダムの湖底にあり、水位で見え隠れする旧国鉄士幌線の橋梁)を使ってほしい、という話があったんです。それで、単なる背景として登場させるのではなく、バックボーンを考えるわけですね。あの橋は見えたり見えなかったりするから、不安定な存在としてのお父さん、いるのかいないのかわからない、でも確かにそこにあるお父さんとの楽しい思い出、を描く心象風景として使えるかな、と。そこに至るまでに時間がかかるんです。そういったことが、かなりありました。
ーーなるほど。その作業の積み重ねで、あのストーリーが生まれたのですね。
雪玉を屋根にのせるという場面も、途中で「何か足したい」ということになって考えました。あのシーンを書き加えたことで、タイトルが原作名(「輓馬」)から変更になり、スタッフに募集したんです。結局、最後は根岸(吉太郎)監督が考えたタイトルに決まりました。
ーー私は帯広出身なのですが、地元の人間にとっても誇らしい作品だと思います。
何度も冬の帯広のばんえい競馬を見たので、あの「空気感」を描きたい、というのがありました。帯広の持つ魅力、ばんえい競馬の世界の魅力。それが、僕のような、北海道と無関係な人間にとっては、強烈なインパクトとして迫ってくるんです。それを描かなきゃ、反映しなきゃ、というのが、苦労であり、喜びでもありました。脚本が少しずつ成長する中で、「この作品は成功する」という確信を持つようになりましたね。
ーー完成した作品をご覧になったご感想は?
何度も話し合いをして、監督とも共通のイメージができていたので、想像通りに素晴らしいものができたと思いました。「その通り!よくぞ撮ってくれた」という、一緒に作り上げた思いがあります。
ーーそもそも加藤さんが脚本をご担当された経緯は?
僕は秋田出身で、それが理由のひとつみたいです。雪を描けるだろう、ということで。東京の人からみると、雪は冷たく厳しいイメージみたいですけど、秋田出身者にとっては、雪ってあったかい、包んでくれるイメージもあるんです。北海道はもっと北国なので、その延長で、「あたたかさ」「強さ」を感じます。豊かな食があり、大地があり、厳しい自然がある北海道を包み込むような温かさですね。
ーー確かに、雪が印象的な映画でした。
まだ誰も痕跡をつけていない、一面の雪景色を見ると、新鮮な気持ちになれるんです。そのリセットされる感覚が好きなんです。
ーー最後に北海道への思いをお聞かせください。
実は、父が根室で生まれて、小樽の小学校に通っていたので、自分にとっても北海道はルーツでもあるといえるんです。函館は山も海もあり、食べ物もおいしいし、来るたびに発見がありますね。一番早く開港した町でもあるので、物語がたくさん積み重なるすごく特別なモノを感じます。
ーーどうもありがとうございました!
脚本を生み出す苦しみ、喜びを 率直にお話くださった加藤さん。
今後の一層のご活躍を応援しております!