後期の「北のシネマ塾」が始まりました

ミュージアム理事が北海道ロケの名作について語る「北のシネマ塾」。

2012年後期の第1回目が、今日行われました。

テーマは「森と湖のまつり」(58年、内田吐夢監督)。

武田泰淳の同名小説の映画化で、釧路管内標茶町を舞台に

アイヌ民族の運命を描くロマン大作です。

佐々木純副理事長がトークを担当。

映画が作られた時代背景や

ロケ地となった標茶町塘路湖、

また、原作者や監督について紹介しました。

映画には、今は見ることのできない

アイヌ民族のベカンベ祭りが登場しており、

「その意味でも貴重な映像です」と話しました。

 

さて、次回は8月18日(土)

「硝子のジョニー 野獣のように見えて」です。

お楽しみに!

22日(日)から、シアターキノ20周年記念企画!

先日20周年記念パーティーに参加させていただいた

札幌の市民映画館「シアターキノ」。

22日(日)~27日(金)まで、

「札幌ディレクターズ」と銘打った20周年記念企画が

行われるのをご存知ですか?

中でも、ミュージアムのインタビューにご協力くださった

片岡翔監督作品集は23日(月)20:10から。

島田英二監督作品集は24日(火)20:10から。

早川渉監督の長編処女作「7/25【nana-ni-go】」は

25日(水)20:40から。

このほか、札幌出身の横川僚平さんの

脚本家デビュー作「からっぽ」(22日、20:10~)

札幌の現代アニメーション作品集(26日、20:40~)

ショートフェス北海道セレクション(27日、20:40~)

など魅力的なラインアップが続々登場!

どれも北海道、札幌発の映画人ばかり。

詳細は、公式ホームページをどうぞ↓

http://theaterkino.net/wp/?p=4700

この上映に関連し、シアターキノHPで

掲載中のミュージアムコラボ企画「注目!北の映像作家たち」に

島田英二監督&早川渉監督の最新インタビューをアップしました!

島田監督はコチラ↓

http://theaterkino.net/wp/?p=4900

早川監督はコチラ↓

http://theaterkino.net/wp/?p=4994

映画鑑賞前に読むと、一層楽しめるはず。

ぜひこの機会に、気になる監督、脚本家、

作品をチェックしてみてください。

道立図書館で映画イベント開催中!

7月も半ばに入り、来館者数1万人超えも

まもなくのミュージアムです。

さて、江別市にある「北海道立図書館」で、

ミュージアムも協力した映画イベントが、7月5日から開催中です。

題して「舞台は北海道 映画をみなくちゃいきていけない」。

タイトルからお分かりの通り、

映画大好きな北方資料室の鈴木室長が企画し、

ミュージアムからも資料を提供させていただきました。

第1会場の北方資料室展示コーナーには、

秘蔵のコレクションをはじめ、さまざまな資料150点がずらり。

なんと、道内の映画館マップも登場!

21日(土)からは、研修室にも会場を広げ、

約500点が並ぶとのこと。

また、関連企画として特別上映会も計画。

21日(土)には小樽・岩見沢ロケ「旅路」(67年、村山新治監督)

28日(土)には南富良野・滝川ロケ

「鉄道員(ぽっぽや)」(99年、降旗康男監督)を上映します。

上映会は入場無料、先着順50人とのこと。

詳細は公式ホームページへどうぞ↓

http://www.library.pref.hokkaido.jp/web/news/qulnh00000002gj9.html

資料展示は8月5日(日)まで。

この機会に、ぜひ道立図書館へ足をお運びください。

21日(土)は「北のシネマ塾」です

今週の土曜日21日は

恒例のミュージアムイベント「北のシネマ塾」です。

7回目のテーマは「森と湖のまつり」

ミュージアム副理事長の佐々木純さんが

釧路湿原を舞台に繰り広げられる人間ドラマについて語ります!

入場は無料で、当日参加可です。

ぜひお越しください!(柴田)

森達也監督からサインをいただきました

7月8日(日)、シアターキノで

「シアターキノ20周年記念上映&トーク」ということで

3.11に因んだ映画が3本上映されました。

その3本とは、

・『311』(森達也監督)、

・『friends after 3.11劇場版』(岩井俊二監督)、

・『福島からのメッセージ』(是枝裕和監督)です。

上映後は、岩井俊二監督・森達也監督・外岡秀俊(元朝日新聞社編集局長)

の3人による特別対談も開かれ、震災や今の日本について

監督たちの生の声が聞けるとても貴重な時間になりました。

この様子はUSTREAMチャンネルでも見られるようなので、ご覧下さい。

※キノHPよりどうぞ↓

http://theaterkino.net/wp/?p=4868

国外でも活躍されている二人の監督が北海道へやってくると聞き、

我々ミュージアムのスタッフもこの上映会に参加いたしました。

お二人ともこの上映会前にも取材や他のお仕事が入っていたようで、

とても多忙な中、ミュージアムのためにサインをくださいました。

大事に大事に飾らさせていただきます。

残念ながらミュージアムに来ていただくことはできなかったのですが

(岩井監督は一度来館されてます。)、

また道内へ来る機会があれば、

ミュージアムにも立ち寄っていただきたいですね。

その時までに、展示物や資料などをもっともっと充実させていきたいです。

(柴田)

第6回「北のシネマ塾」レポート!後編

本日は、「北のシネマ塾~昼下がりトーク編」第4弾

「さっぽろ映画館グラフィティー③

熟成した昭和50年代の映画館」(6月16日)のレポート後編!

斜陽期と言っても、映画館も名作も健在だった70年代以降。

あふれんばかりの映画館バナシ、最終回をどうぞ。

* * *

和田/浦田さんにとっての、思い出の映画館は何ですか?

浦田/全館記憶に残ってはいますが・・・どちらかというと、2番館的なものでしょうか。

佐々木/美登紀館とか?

浦田/ええ!あそこは、本州から来た別当さんというご夫婦が経営しましたが、彼は古い国粋主義者みたいな方(笑)。街が栄えるには映画館がないとならん!という強烈な思想を持っていました。当時、市内の興行師(映画館の人)は、どこかヤマ師のような、筋のある方がやるケースが多いんだけれど、別当さんもその一人。美登紀館を買収し、最終的には9館を経営。思い出すと、映画の借金に追われて、返すために次の映画館を作るという状態(笑)。まさに自転車操業でした。9館をおしまいにする時には歯切れよくスパッと閉館し、閉館する月の一か月前に亡くなりました。決算したら黒字になったそうで、見事な結末の着け方だったと思います。

佐々木/美登紀通りが今もありますね。(参加者に)ご存知の方いますか?

和田/屯田通りと少し平行してますよね。

佐々木/今や見る影もありませんけど、狸小路と美登紀通りは当時繁栄していたようです。

和田/私は、「人間の証明」の時に初めて角川春樹さんと札幌で対談したことがあるんです。その時、主演の松田優作さんも一緒に南3条通りを歩いて、角川さんが「コイツは絶対世界的スターにしたい」と言っていたことを覚えています。本当かな?なんてあの時は思いましたけど・・・角川さんはスターを見出す天才的な方でしたね。あの時代の「蘇える金狼」なんかを意識して「探偵はBARにいる」を作ったと、須藤プロデューサーが言ってました。何の話をしていたかというと・・・南3条通りで松田優作さんと歩いたという話です(笑)

あともうひとつご紹介したいのは、70年代、黒澤明監督が「白痴」以来に北海道でロケした「影武者」に関する思い出。ロケには、オーディションで選んだ家康役と信長役を連れてきたんですが、取材陣が少なかったらしく、当時タウン情報誌をやっていた私は、急に呼ばれて慌ててむかわへ向かいました。現地へ行ったら、特に黒澤監督は機嫌悪そうではなかったのですけれど(笑)。印象的だったのは、そこに、コンパクトカメラを持って子供を背負った地元の母親がきたんです。空を眺めている黒澤監督を見つけて、「あれ何してるんだろう?」と我々に聞いてきて、さぁ・・・なんて答えていたら、なんと、直接監督に尋ねたんですよ!すると監督が「空の雲が思い通りになるのを待っているんです」と答えたんです。怒らず、威張らず、普通に説明している様子に驚かされました。黒澤天皇なんて呼ばれてましたけど、実際、一般の方にはすごく優しい方なんですね。だから、「生きる」のような作品が生まれるのだと思います。

浦田/そういえば、その「生きる」でとんでもない思い出があるんです。当時、道劇で「生きる」が封切されたとき、主演の志村喬さんが来たんです。そのインタビューを頼まれまして・・・当時僕は23、4歳で、生意気盛り。映画批評なんて書いていたんですね。それで、よく知らないのにインタビューすることになって、今は市役所西側の駐車場になっている産業会館の1階でやりました。

映画は直前に観て、20分間で質問することになったんです。志村さんがやって来て、質問を始めたんですが、何を聞いても「そう言われても、はぁー、私にはちょっとそこまでは・・・」となるんです。私は汗をかくし、ホトホト疲れましてね。時間が来てお辞儀したら、志村さんは「悪かったね」と言って立ち去りました。そこに東宝の社長が来て、僕に「からかわれたね」と言うんです。というのは、「生きる」の役どころそのまま演じてくれたんだよ、というんです。それが分かって、わぁ!と気づいたときには時すでに遅し。僕みたいのでは歯が立たないとわかって残念だったり、嬉しかったり・・・そんな思い出があります。

和田/札幌に、映画会社の枠を超えた全国初のシネコンができたことが大きな転機となり、東宝日劇が閉館しました。最後の上映は「タイタニック」のアンコール上映でしたね。新しい映画館ができるとき、私たちは映画ファンとして館主さんを呼んで儀式をしたんですけれど、アーバンビルの上にあった角川シアターは、閉める最後の日にバラの花束を持っていきました。ほかにもたくさんの話題がありますけれど、今日はそれくらいにして終わりたいと思います。

佐々木/ご静聴、ありがとうございました。

(拍手)

* * *

戦前、戦後、現代と、時代によって移り変わる

映画館の思い出を語った「さっぽろ映画館グラフィティー」。

いかがだったでしょうか。

さて、次の「北のシネマ塾」は7月21日(土)。

テーマは「森と湖のまつり」です。

どうぞお気軽にご参加ください!

第6回「北のシネマ塾」レポート!前編

本日は、「北のシネマ塾~昼下がりトーク編」第4弾

「さっぽろ映画館グラフィティー③

熟成した昭和50年代の映画館」(6月16日)のレポート前編!

映画界が斜陽期に入る昭和70年代以降のお話です。

※当日の模様はコチラ↓

http://kitanoeizou.net/blog/?p=1614

* * *

和田由美さん(以下、和田)/今日は映画が斜陽期に入った70年代のお話ですが、まず、日活ロマンポルノが1988年ごろまで多数の作品を生み出しました。また、東映は、それまで藤純子さんなどの任侠路線でしたけれど、73年にヤクザ映画「仁義なき戦い」がヒットしましたね。あと、火の鳥マークのオープニングが印象的だった角川映画は「人間の証明」を77年に公開。日活、東映、角川のこうした作品を思い出すと、あの時代が見えてきます。札幌の映画館は当時何館でしたっけ?

浦田久さん(以下、浦田)/戦前からの道新の映画欄をもとに10年刻みで拾った数字ですが、昭和10年が11館、21年が9館、30年が24館、50年が29館、60年が38館、平成になると30館、現在平成24年は33館・・・ただし、これはスクリーンの数。札劇に問い合わせたところ、今年さらに1館閉めるそうなので、秋には32スクリーンになるそうです。

佐々木純さん(以下、佐々木)/補足すると、この33スクリーンとは、札幌シネマフロンティアとユナイテッド・シネマ札幌の2館で20スクリーン超。それに、ディノスシネマズ札幌劇場、シアターキノ、蠍座を加えた数ですね。映画館数は、昭和35年が最大だったでしょう。スクリーン数は変わらなくても、映画館は10年ごとに10館くらいずつ減っています。

和田/名画座がまだあり、スガイができたころの上映作品をご紹介しましょう。75年の映画ガイドを参考にすると・・・6月、東宝日劇で「ゴッドファーザー2」、札劇で「タワーリング・インフェルノ」、遊楽という名画座では3日おきに作品が変わって「家庭教師」「コールガール」「小さな恋のメロディ」、テアトルポーは「スティング」、テアトル24は「サブウェイ・パニック」。

そして、北24条のオリオン座・・・ここはよく通った名画座ですけど、日本映画の3本立てで、深夜に「仁義なき戦い」をやっていました。劇場はすえた匂いがして、映画を観に来たのか、寝に来たのか分からない人もいて(笑)。でも、当時はお金がないから一生懸命観て、時に宿屋代わりになったりしました。映画は、どんな映画館で、どんな状況で観たかということも重要。お金がない学生時代、3本立てをオリオン座で観たという経験は、私の心の記憶になっています。東宝日劇もすごい映画館で、観客動員数1位を最後まで譲らなかった。2階に売り場コーナーがあって、「大地震」という映画を上映したときは、映画館が本当に揺れた感じがして迫力があったんですよね。

浦田/ええ、あと「肉の蝋人形」なども上映して、サーカスのびっくり小屋に似た印象があります。これが学生デートの恒例の場所でね(笑)

和田/佐々木さんはどうですか?

佐々木/僕は、学生時代の半分は東京にいたので、(川本三郎さん原作の映画)「マイ・バック・ページ」みたいな感じでした。友達や恋人と遊び過ぎて、たとえば恋人を送り届けると、帰る時間にはもう電車がない。映画館に入って(高倉)健さんの映画を観て・・・そういうときって、アクションとかこてっとした映画を観たくなるんですよね(笑)。朝まで映画館で過ごして帰って寝た記憶があります。札幌では、よくロードショーに行きました。実家が中標津なので、その頃は夜汽車で東京に帰る前に札幌に寄りますから、どうせなら映画を観て帰ろうと。覚えているのは帝国座や日劇。今も思い出に残っています。

(つづく)