東京フィルムセンターからパンフが届きました

映画好きなら一度は訪れたい

東京国立近代美術館のフィルムセンターから

パンフレットとチラシが届きました。

というのも、先日こちらから連絡差し上げて、

同じ映像関係のミュージアム施設として

情報交換を行いましょう!ということになったのです。

パンフレットの交換はその第一弾。

もちろん、こちらのパンフレットも、

すでにフィルムセンターへ届いています。

ちなみに、福岡市総合図書館(フィルムアーカイブ)にも、

我々ミュージアムのパンフレット配布をお願いしています。

規模は違いますが、映画文化を愛し、

その保存・発展に役立ちたいという思いは同じ。

東京や九州の映画ファンのみなさんにも、

このミュージアムの存在が伝わりますように。

※東京フィルムセンターHPはコチラ

※福岡市総合図書館HPはコチラ

来館者2万人まであと少し!

2011年9月17日にオープンしたミュージアム。

開館から丸二年を前に、通算の来館者数が

まもなく2万人を達成しようとしています!

現在、あと700人ほど。

おそらく8月中には到達しそうな予感です。

1万人記念同様、2万人目のお客様にはプレゼントも用意。

どうぞ、タイミングを見計らって(?)ご来館ください!

さっぽろ村ラジオに出演しました!

24日(水)の正午、東区にある地域FM

「さっぽろ村ラジオ」(81.3MHz)に出演しました。

「かずえママ」こと樫田一恵さんの番組「シネマに恋して」で

蠍座で上映中のデンマーク映画『プッシャー』三部作や

シネマフロンティアで公開中の韓国映画『ベルリンファイル』など

1時間近く映画の話をしました。

ミュージアムのスタッフが交代で

月に2度この番組に出演させてもらっていますが、

ローカルラジオでここまで

コアな映画トークをしている番組は他にないと思います!

 

ミュージアムでのイベント情報や

北海道ロケ作品の新情報も紹介させてもらっているので、

ぜひ聞いてみて下さい!

オリジナル「炭鉱と鉄道ロケ地マップ」が完成!

7月から開催中の企画展

「シネマの風景北の歴史編 『炭鉱と鉄道』」に関連し、

ミュージアムオリジナルのロケ地マップが完成しました!

高村賢治理事の調査を基に、

札幌の挿画家・松本浦さんに作成をお願い。

さっそく、館内に展示しています。

炭鉱と鉄道、駅に関する

道内ロケ約70作品が一目でわかる上、

SLのレトロなイラストも素敵なこのマップ。

近々、販売することも計画中!

準備が整ったらご報告しますので、どうぞお楽しみに。

『映画のデジタル化』シンポジウムレポート(後編)

「映画のデジタル化」シンポジウムレポートのつづきです。

中島 /上映のことは後で少し触れようと思いますが、実は東京ではもうこういう事が起きているんですね。岩波ホールというお年寄りの方が中心の劇場があるのですが、未だにフィルム上映が多い所なんですよ。でも新しいデジタル上映の映像に慣れてきている方もかなりいるからフィルム上映作品を観た時、帰り際に映写の方に「ちょっとピントが甘いと思うんですけど・・」なんて事を言った話があるそうで(笑)

要するに「少しボケて見える」と。ソフトでフィルム的な感触のものに対してそのような感覚をもたれてしまったと。これはちょっと残念だなぁと思いましたね。これは一つの例ですけどね。

そういえばこないだ何かの機会でお聞きしたんですが、最近は新しいデジタルの撮影カメラとかいろんな機材をそのまま使うというより、自分で工夫して改造してやっている人もいるという話を聞いたんですけど・・

早川 /機械自体の改造というのはなかなか難しいと思うんです。ただ組み合わせだったり、ワークフローみたいなものは自分たちの工夫の中でできるとは思います。

 

中島 /なるほど。上映の場合はそれとまた違って、例えばトラブルがあった時フィルムの映写機であれば映写技師も職人ですから、自分の体験値の中で予想がつくので、ココを直せばいいっていうのが分かるんですが、デジタルの場合はほとんどお手上げ状態になるんですね。デジタルではまだ体験値を蓄積できてないのもあるんですが、もうメーカーにすぐ来ていただくしかないと。

佐々木 /その期間は上映できなくなりますもんね。

中島 /そうです、もうそれは全国で現実に起きている事なんですよね。

シアターキノは、両館ともデジタルに変えていますが、35㎜の映写機はB館の方に残しています。細かいことを話すと時間が足りないんで、一言だけ言いたいんですけど(笑)映画館がデジタル上映をする際にはリース契約のようなものをしなければならなくて、3社があるんですが、そのうちの2社はフィルム映写機を撤去することがその契約の条件になっているんですね。全てデジタルに替えなければその契約はしないとだから多くのシネコンは99%、フィルムの映写機を全て廃棄処分にしました。ミニシアターの多くはまだ35㎜の映写機にこだわっているとこもありますからそれを残せるものは1社しかないのでそちらにしました。デジタルシネマクラブというものです。

これは決してシアターキノの宣伝とかではなくて、シアターキノのスタート自体が初期のころから8㎜、16㎜、35㎜すべての映画が上映できる形態、で初期のころからむしろビデオも上映できる形態を求めていました。それはなぜかというと多様な映画を上映したいから。その最低限のハードルは何とかしておきたいというところから始まっているんですね。

佐々木さんは北の映像ミュージアムで過去の作品をずっと蓄積していくという事をやってこられて、そういう観点から多様なモノを上映・残していくことに関してはどうですかね

佐々木 /北の映像ミュージアムでも、35㎜の映写機をシンボルとして映写はできないですけど、館内に置いているんですね。元映写技師だという人がけっこう来たり、映画館のなかでも映写というのは革命が来ているんだなと実感しますよね。『ニューシネマパラダイス』も『少年H』もなくなる時代なのかなあという気がしますけどね。

中島 /早川さんいかがですか

早川 /まあ、ある種の寂しさは感じます。でも、デジタルの歴史はまだ始まったばかりで、映画の中でルーカスが言っていた立場に僕も賛同するとすれば50年100年後に、きっとデジタルの映画に生まれ育ってそれなりの文化ができていて、きっと映写技師さんがフィルムの時代を懐かしむように「デジタルのこういう時はこうだったんだよ」みたいなことをきっとまたでてくるんだと思うんですよ。

ただ僕の希望としては、劇場というスタイルだけは何としてでも死守してもらいたいと思います。こうやっていろんな人間が集まる映画館ってコンサート会場とかとちょっと違って

変な一体感がないけど、みんな同じ場所に居て同じもの観ているというなんとも不思議な特殊な空間な気がして、そういうものだけはコンピューター上の世界とかソーシャルの世界とは違うところで残って欲しいと思いますね。

「きっとデジタルもこれからいろんな歴史を作っていくんだろうな」と前向きにとらえていこうかなと思っています。でも選択肢としては残してもらいたいですね。いつか自分もフィルムで撮ってみたいなと思っているうちにデジタル化になっちゃったんで。ぼく16㎜はやったけど35㎜はやってないんで。ラボも札幌に移転させられれば、身近に撮れたりするんじゃないかなと思いますね。

中島 /もう少し時間をとっておけば良かったなと思うんですが(笑)次の入れ替えの時間が来てしまったので、最後に一言ずつ、映画の感想でもよろしいのでお願いします。

佐々木 /北の映像ミュージアムでも、『大地の侍』という日本で1本しかない映画を持っていまして、これは国立のフィルムセンターにもないんですが、当然のことながら35mmしかかけられないんですね。今日も保存の問題がちょっと出てきていて、ルーカスは「必要になればデジタルの保存もどんどん進化していくだろう」と言っていましたけど、切羽詰ったことを言うと、どうやって貴重な北海道のフィルムとしてかけられるようにしていくかと現実の問題がありますね。

早川 /映画の中であるプロデューサーがいい事を言っていましたけど、

これから先の子供とか若者に大きな問題があるそれは何かと言うと、審美眼だっていう話をしていたと思うんですよ。それは心に刻んでおきたいなと。さっきの岩波ホールのフォーカスが甘いんじゃないかっていう話にも通じると思うんですけど、やっぱり僕らはいろんなものを見てないとダメですよね。例えばこれからデジタルが増えていくとしても、選択肢の中でフィルムというものがあるなら、フィルムというものを観に行って質感だったり感触っていうものを刻み込んだ上でその今のデジタルに接したりだとか。そういうことも一つの審美眼だと思うので

作り手としても客さんとしてもいろんな多様性のある映像に対して、ちゃんとした審美眼を鍛えるという立場でこれからもやっていきたし、伝えていきたいと思いますね。

中島 /本日はどうもありがとうございました。

 

「映画のデジタル化」と一口に言っても、それが指すものはとても幅広く

撮影や上映、配給、保存など

観客が映画を目にするまでのあらゆる段階がデジタルなものへと変わってきています。

 

実際はそのどれもが観客にはあまり実感のわかないものばかりで

わたしたちが気づかないうちに、

映写室からは大きなフィルム映写機が消えていき、

映写技師もいなくなり、無人の部屋となっていたのです。

 

専門的な話になりがちな問題ですが

「じゃあ観客は何を考えるべきなのか」

そんな問いに多くのヒントを与えてくれる

とても意義のあるシンポジウムだったと思います。

『映画のデジタル化』シンポジウムレポート(前編)

7/13(土)、シアターキノで行われた

『映画のデジタル化』についてのシンポジウムの文字おこしです。

テレビ局、クリエイター、上映する側という三者三様の立場から

デジタルシネマについて語るというとても興味深いイベントでした。

一部省いている箇所もありますが、当日ご参加できなかった方々のために

なるべくそのままレポートいたします。

司会:中島洋さん(シアターキノ代表)

パネラー:佐々木純さん(北の映像ミュージアム理事長)

早川渉さん(映画監督、CMディレクター)

<映画『サイド・バイ・サイド』上映終了>

ー3人が登場ー

中島/賛否両論ある中で、本当にいろんな考えを監督やスタッフたちがお持ちで、すごく熱く真剣に議論しているのが伝わってくる作品でした。賛否以前に、こういう形で監督やスタッフたちが真剣に考えていることを嬉しく思った記憶があります。

(佐々木)純さんは、テレビ創始期の頃から参加されていまして、ある意味、いろんな形での映像世界の変遷をずっとご覧になって来た方。その辺りから、ご感想などを頂ければと思います。

佐々木 /こんな有名な監督やスタッフたちが、デジタルとフィルムについて語った後に何を語ればいいのかと思いますけど(笑)、とりあえず、自分が1972年にテレビ局に入った時は、まだ同録でもないんですよ。フィルムと「デンスケ」というレコーダーを持って取材しました。

それが、瞬く間にフィルムと映像が同録のフィルムが入って、それが6分くらいだったと思います。そのあとは「チャイナシンドローム」なんかで出た、12分くらいのフィルム。ですから、インタビューなんかに出て、特にそれが政治家の記者会見だったりしたら、マガジンをどこで取り換えるのか。映画の中でも言ってたんですけど、それが大変でねぇ。取り替えている間に、大事な発言なんかがあると、もうオジャンというような時代でしたね。

それで次に、ビデオが出てきたんですね。その時のビデオは、一体化じゃなくて1インチというテープで、これもまた録画機とカメラをもって歩くので、なかなか大変でしたよ。で、アッという間に、今は家庭用の撮影機で報道のカメラマンが取材しているという時代に。映画の世界のデジタルカメラが、5Kまできたわけですよね。ここ30、40年間でここまで来るのはすごいな、と思いました。

中島/正直なご感想だと思います。20世紀は「映画の世紀」と言われましたけど、映画自体の発展が、他の芸術と比べて急激な発展をしましたから、技術や機械という問題を抜きにしてこの問題について話すことは難しいですね。

早川さんは、フィルムからデジタルに移行する時代の、フィルム世代のラストあたりからスタートした方だと思いますが、撮り方の変化とか、製作する上での変化とか、どういう風なことがありましたか?

早川/僕は元々、「どうやったら東京に行かないで映画が作れるか」ということをずっと考えてきていたので、わりとデジタルというものには初期から興味を持っていたんですね。

フィルムで作ってしまうと、北海道には「ラボ・現像所」がないので、東京に送らなきゃいけない。映画の中にも「カラリスト」とか出てきましたが、そういう映像の微調整をするのも東京でやらなきゃいけない。最終的な編集も、フィルムの編集をする人達も東京にしかいないので、札幌でスタッフを集めて撮影をしても、「フィニッシング」とか一番重要な部分は東京まで行かないと映画が作れないという状況になっていて、なんかそれは癪だなという思いがあって、「なんとか札幌でフィニッシングまで全てできないかな」とずっと考えていた時に、このデジタル化の波がここ10年、20年でやってきたので、わりと早めに飛びついてやっていたんですよね。

なので、この映画はまさしく、「自分がどういう形で、どういう機材を選んで、どういうシステムでやれば、よりクオリティの高いものが製作できるか」ということを考える意味でも、非常に共感できるし、「この映画もデジタルで撮っているのか」「このカメラで撮っているんだ」とか、そういうイチ映画ファンとしても、面白く見させてもらいましたね。

佐々木/早川さんはコマーシャルも撮ってたから、比較的さっきのは・・・。

早川/札幌のCM界も同じような意味合いで、フィニッシングを地場でやらなきゃいけないところもあって、フィルムで撮影するより、ビデオで製作するっていうのが全国的にも比較的進んでいたんですよね。

でも、当時のビデオはデジタルじゃなくて、アナログのビデオ。なので、どんどん劣化しますし、いろんな苦労もありました。が、たまたま僕はCMで育ったので、そういう環境からもデジタルへの移行は比較的早く、スムーズだったと思います。

中島/今早川さんがおっしゃったように、デジタルが撮れるようになったことで、製作にとってのさまざまなメリットはあると思うんですよ。

現実問題として、映画の製作自体は歴史的に3回、大きな作家たちが急激に増える時期があるんですね。これは、カメラそのものの事ですけれど、いわゆる第二次世界大戦後の16mmカメラが一斉に世界的に普及し始める時と、60年代後半から70年代にかけての8mmカメラですね。あの時に一斉に撮る人たちがものすごく増えるわけです。それがひとつの大きな基盤になってることは間違いないですよね。

それで、まさにその第3期がデジタル。一斉に増えること自体は僕はものすごく素敵なことだと思うんですけれど、全てに共通しているのは、まず粗製乱造がどっと起きて、どうしようもないのもものすごくたくさんあるということ(笑)。そういう形で増えちゃうと、一体どういう物が要求されてくるのかな・・・と思います。

佐々木/先日のゆうばり国際ファンタスティック映画祭のコンペティション部門でも、デジタルの映写機を入れたと聞きました。

というのは、作る人間がデジタルの素材で応募してくるので、なかったら上映できないものもあるようで、コンペ作品のほとんどがデジタルになっているということなんですね。映画でも言っていましたが、そうなると機会が広がったり、誰もが出来るということで新しい才能を見つけることができるのでしょうけど、今言われたように粗製乱造も出てくるというのもあるんでしょうね。まぁ、でもかなり多くの作品の中から選ばれた作品になるわけですから、その辺の取捨選択はものすごいことになるんだと思いますね。早川さんはどうですか?

早川/映画のラストに全てが語られている気がするんですよ。要するに、「心をこめてちゃんと作れば手段は変わらない。方法論は関係ないんだ」と。おそらく、そういう事に尽きるんだとは思うんですよね。

ただ、逆にハードルが低くなってますよね。昔はお金をすごくかけてフィルムで撮ったり、「どうやったら撮れるか」という事をみんなで考えながら工夫して撮る、という習慣がついていましたけど、今はわりと撮れちゃいますよね。そういう意味でハードルが下がって、間口が広がっているんだけど到達点は変わってないので、そこに到達するためにはちゃんとしたプロセスを経なきゃいけない。

そこですよね。間口が広がっているのはいいけど、ちゃんとしたプロセスを経て、どうやって高みにのぼっていけるか、という事を、どこまでみんなが考えられるかということに尽きる思います。

中島/むしろ、そうなっているが故に、ハードルは高くなってるんですよね。クオリティに対しては。

早川/だから、今の方が映画作りは難しいかもしれない。観客も、綺麗なだけの映像にはすごく慣れてきています。ニュース映像にしてもyoutubeにしても、いろんな映像がこれだけ流れてきていて、そこそこいいものってのは見れちゃう。じゃあ、自分がちゃんとお金を払ってその映画を観て満足できるかっていう。そういうプロになるために、皆さんがお金を払う物を作るってことに対しては、逆にハードルが上がっている気がしますね。

(つづく)

シネマ塾レポート!「8ミリと映画館グラフィティー2」

昨日開催された「北のシネマ塾」。

今年7回目のテーマは、「8ミリと映画館グラフィティー2 その①」。

街並み画家の浦田久さんと和田由美理事が

戦前から戦後にかけての、映画館の昔話を語りました。

トークの前に、浦田さん提供の8ミリ映写機で、この作品を上映!

カタカタカタ・・・という特有の音の中、

モノクロの怪描モノを楽しみました。

続くトークでは、無声映画の時代が話題に。

怪談モノでは、お化けが出る直前に

ドロドロドロ・・・と太鼓の“生”効果音が入ったこと。

トーキーに移り変わる時期に、弁士のストライキがあったこと。

などなど、浦田さんの思い出話が次々と沸いてきます。

「映画館でしか買えない平べったいあわ餅が好きでした。

母親に美味しくないと言われてガッカリしましたけど(笑)」と浦田さん。

一方、和田さんも「映画館を掛け持ちでソフトクリームを

販売するおばさんがいて、80年代にいなくなりました」と紹介。

下足札や畳敷き、シネラマ、楽士など、

懐かしいキーワードも満載のトークでした。

ということで、次回は・・・

8月17日(土)館長スペシャルトーク

「荒野の七人」~黒澤明の子供たち~ トーク/小檜山博(館長)

ちなみに、今回の第二弾は11月に予定!

11月19日(土)

「8ミリと映画館グラフィティー2」その②

今度の上映作品は、8ミリ作品「忠臣蔵」上映あり!