原節子の魅力と謎

北の映像ミュージアム月例の「北のシネマ塾」。今月15日(土曜)は、内田吐夢監督「生命(いのち)の冠」(1936年、」日活多摩川)を取り上げます。解説は不肖・喜多義憲があい勤めます。

山本有三の同名の戯曲(演劇は1920年初演)を原作に、吐夢さんがいまは北方領土となった国後島ロケを敢行。舞台設定は大正期の樺太・真岡(現サハリン・ホルムスク)のカニ缶工場。乱獲による資源減少に苦悩しながら、人間らしく誠実に生きようとする工場主一家の日常をドキュメントタッチで描いた54分。モノクロ、無声映画に弁士風にセリフとナレーションを挿入したDVDを上映します。

原節子東宝表紙

「東寳」1949年9月号の表紙は原節子。当時29歳

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▲「永遠のマドンナ 原節子のすべて」(佐藤忠男監修 出版共同社刊)。懐かしい写真がふんだんに

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▲「映画女優の昭和 原節子」(千葉伸夫著、大和書房刊)

注目はスーパースターのまま昭和30年代に銀幕から姿を消した原節子が15歳、少女時代の美貌をみせて出演していること。

そこで、勉強を兼ねて、いま、原節子について書かれた著作を読んでいます。たくさんありますが、図書館や友人から借りたのは次の3冊と、当北の映像ミュージアム所蔵の雑誌です。原節子26

▲「彼女が演じた役 原節子の戦後主演作を見て考える」(片岡義男著、早川書房刊)

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▲「原節子 あるがままに生きて」(貴田庄著、朝日新聞出版刊)

 

 

 

 

読めばよむほど、原節子はほんとうに魅力のある女優でした。1920年生まれ。現在94歳。鎌倉のご自宅で静かな老後を生きている、あるいは、施設に入っていらっしゃる、など諸説ふんぷん。その魅力と、42歳での早すぎる引退の謎についても勉強の成果を語ってみようと思っています。どうぞお出かけください。

2月15日(土曜)午後2時から。入場無料。

夕張太鼓と劇団EXILEがコラボ

ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2014227日~3月3日)のオープングで地元・夕張太鼓保存会「竜花」とパフォーマンス軍団として知られる劇団EXILEがコラボレーションを披露することになった、と映画祭事務局から連絡がありましたのでお知らせします。

劇団EXILEはゼネラルプロデューサーであるHIROの「新たなパフォーマンスの平地へ」という願いを基に、2007年夏に旗揚げ。若手俳優や多くの夢を持った若者達の夢を叶えるキッカケをと、新しい試みのエンターテイメントを広げています。オープニングアクトには劇団EXILEの秋山 真太郎、春川 恭亮、小野塚 勇人、野替 愁平の4人が参加します。

一方、夕張太鼓保存会「竜花」は1970年、当時の夕張神社宮司が、街の活性化のために神楽太鼓の勇壮さを取り入れて夕張太鼓を創案、打ち手を組織して、地元の祭りや行事に出演して夕張の伝統芸能として成長してきました。85年に保存会が結成され、2000年には夕張太鼓保存会「竜花」と改名。小学生から高校生までの夕張在住の若者たちが参加しています。2008年の映画祭復活時のオープニングアクトを務めたほか、2010年第12回日本太鼓ジュニアコンクールで特別賞(埼玉県教育委員会教育長賞、総合7位)を受賞しました。

地元の伝統的和太鼓と超進化系パフォーマー集団がどんなコラボレーションをみせてくれるか楽しみです。

 

 

頑張れ!岩内の映画館

先週土曜(2月1日)、積丹半島の付け根の町、岩内に行ってきました。朝日新聞夕刊に連載中の「映画館グラフィティー」の取材のためです。昭和50年代のはじめまで町内に4軒あった映画館がいまはたった1軒だけ。しかもその1軒「ニューシネマ」も数年まえに通常営業をやめており、開店休業の状態。

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いまは開店休業中の「ニューシネマ」(岩内後志管内岩内町万代12-7)

館主の藤塚薫さん(79)を「ニューシネマ」に訪ね、お話を聞くことができました。はじめは「営業用の大容量電源も外して、劇場も壊すばかりだ」としんみり語っていた藤塚さんも、「地獄の黙示録」(1979年)や「南極物語」(1983年)で連日大入りだった「黄金の日々」を回想するうち、熱が帯び、「そりゃ、いまでもやりたいよ、続けたいよ」と本音が出てきました。

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「ニューシネマ」の客席。9列×9席=81席のフロアはいまもきれいに掃除が行き届いている

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映写室を案内してくれた館主の藤塚さん。映写機のスイッチを入れるとカラのリールが勢いよく回った

営業続行を完全に諦めていない証拠に、映写室の2台のキセノンランプ式のスイッチを入れて、フィルムのかからぬリリールを回してみせてくれました。

客席や待合室もみせていただきました。綺麗に掃除が行き届き、朝一番の上映を待つ映画館そのものでした。

建物の外は、さすがに上映中や次回上映の作品を告げる表示はなく、「休館中」の寂しい風情は隠せません。

江戸時代末期、安政5年(1858年)に誕生した二葉座を筆頭に萬生座、遊楽館、東栄劇場が勢ぞろいした昭和の時代、どの館もいつも上々の入りだったといいます。

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岩内の劇場の嚆矢、二葉座は安政5年(1858年)創業。お芝居、演芸、舞踊、民謡が演じられ、映画時代へと入っていった。回り舞台もあるから驚き。北海道の漁業の中心地岩内の往時を偲ばる

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二葉座の外観=明治期のものか(上の館内と合わせ、2葉とも岩内町郷土館提供)

 

「岩内(の劇場)に不入りなし」という言い伝えがあるあることを岩内町郷土館館長の坂井弘治さん(75)から聞きました。

岩内は江戸期から鰊(にしん)場として栄え、人口は早い段階に2万人に達していました。明治期には北海道で5番目の人口を持っていました。ニシンが去った後はスケソ漁に移行。水産加工業も活況を極めました。岩内の住民たちは映画が大好き、演芸、舞踊、民謡などの芸事が大好きの土地がらでもあります。

しかし、道内の漁業、水産の町のご多分に漏れず、昭和50年代の200カイリ漁業規制の大打撃を受けて町の経済は縮小、さらに、テレビの普及で、映画館は娯楽の王座から転落し、次々と閉館していきました。

4館時代の最後の砦、東栄劇場が閉館して、岩内に映画館が消滅した直後の昭和54年、東栄の映写技師だった藤塚さんが東栄に近い土地を借りて「ニューシネマ」を建設、54年8月にオープンさせた。

「まだまだ映画館はやれる」と思ったのだろう。事実、昭和期はヒット作に恵まれれば、経営が成り立っていたという。

テレビ時代に追い打ちをかけたのはレンタルビデオの普及と値下げ。「レンタルビデオ1本1000円の時代はまだよかった。それがどんどん下がって、DVD時代に入るともう、映画館に客は来なくなってしまった」と藤塚さんは肩を落とす。

「この映画館も、もう壊すしかないだろうなあ」と寂しそう。

わたし、往時とかわらぬたたずまいの映写室や客席をみせてもらいながら、「なんとか、藤塚さんの気力が続く間に、もう一度、映画ファンで賑わうニューシネマをみせてあげたい」と思ってしまいました。(この項、文責・喜多義憲)