9/2(土)、札幌プラザ2・5で開催した
北の映像ミュージアム開館6周年記念イベント
「シネマの風景特別上映会
『北海道が生んだ、映画界の至宝! 小林正樹の世界』」。
ゲスト・関正喜さんによるトークの続きをどうぞ。
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小林監督は、小樽で生まれ育ったわけですけれど、父・雄一さんは九州出身、母・久子さんは福井出身。雄一さんは北海道炭礦汽船のえらい方で、富岡町に家がありました。小林さんの言葉を借りますと「当時としては異例なほど自由主義な家だった」そうです。
たとえば、朝食はパン。友達が家の前を通ると、妹が弾くピアノの音が聞こえた。大変モダンな家庭だったんですね。
ちなみに、「この広い空のどこかに」の炊事シーンでは、かすかにピアノの音が聞こえます。また、「美(うる)わしき歳月」にも、ピアノの音が聞こえるシーンがある。デビュー作「息子の青春」では、母役の三宅邦子さんが台所でハミングする場面があり、曲はモーツアルトのピアノソナタ。こうしたシーンは、彼の家庭環境が反映しているような気がします。
この父・雄一さんというは、人間を尊重する、自由主義的な人物だったそうです。小林監督の中で大きな存在でした。叱られないけれど、何か怖かったそう。威厳のある方だったんだろうと想像します。
父親像。これが、小林映画における大事な要素だと考えてみます。
そうしますと、デビュー作「息子の青春」は、父親の映画ともいえそうです。父親役を北龍二さん、母親役を三宅邦子さんが演じています。1952年の作品ですが、会話があかぬけていて、観たらきっと驚かれるでしょう。
劇中、長男役の石濱朗さんは、誕生パーティーに女友達を呼ぶため、父親に許可をもらいます。そこで、ちょっと躊躇するんです。優しいお父さんなんだけれど、何か気安くできないんですね。おそらくそれが、父・雄一さん像だったんだろうと思います。
初の長編「まごころ」では、千田是也さんが父親を演じています。これが、この作品の重しです。少しこじつけじみますけれど、「この広い空のどこかに」の佐田啓二さん演じる男性も、年を取ったら、小林監督の描く父親像になったんじゃないでしょうか。
また、サスペンス映画「からみ合い」。これは遺産相続の物語なので、当然、父親がキーマンです。さらに、「切腹」は、まさに仲代達矢さん演じる父親の映画。「上意討ちー拝領妻始末―」もそうですね。
次に、「日本の青春」という映画。タイトルこそ大げさですが、むしろ小品です。戦争で傷を負い、今は平々凡々と生きている男性を藤田まことさんが演じます。彼は戦争で上官に耳を殴られ、耳が聞こえなくなってしまった。ところが、あろうことか息子がその元上官の娘と恋をしてしまう。さらに、自衛隊に入りたいと言っている。その父親の葛藤を描き、藤田さんのシリアスな演技が光るいい映画です。
なお、父親的存在、庇護者としての男性という風に、父親を広く見ると、たとえば、プロ野球のスカウト合戦を描いた「あなた買います」という映画にも、そういう人物が出てきます。
「いのち・ぼうにふろう」も、ならず者が集まる居酒屋の主人、中村翫右衛門演じる彼が、ある意味、父親的な柱になっています。それから「化石」は、癌を宣告された男の話で、佐分利信さん演じる父親の映画。そして、遺作「食卓のない家」になるわけです。
「食卓のない家」は、円地文子さんの小説が原作で、長男が連合赤軍浅間山荘事件に連座してしまった、ある家族が崩壊していく物語。かなりしんどい映画です。家族は世間から批判を浴びますが、仲代達矢さん演じる父・信之は、頑として沈黙を守る。成人に達した息子に対して、親は責任を問われる立場にない、という姿勢を貫くわけです。見事な作品だと思います。
何かにつけて同調圧力が強い日本の世の中で、小林監督は最後の作品に、こういう主人公を選びました。小林監督は、「信之が自分の父親のイメージだ」とおっしゃっていました。
小林正樹という人は、父の像を生涯追い続けた、という側面があるのではないでしょうか。極論すると、作家人生を通じて、父・小林雄一、その人を描き続けてきたのかもしれません。
「食卓のない家」についてのインタビューで、小林監督は「(父親役の)信之は僕の分身です」とも言っています。ずっと父を描き続けて、最後はお父さんと合体したという表現をしても、ひょっとしたらいいのかもしれません。
もうひとつ、本に入れられなかったテーマがあります。それは、日本人はなぜ、小林正樹が嫌いなのか。
今日のお客様は小林監督がお好きでしょうから意外かもしれません(笑)。1971年、カンヌ国際映画祭が、世界で10人の映画監督に功労賞を送りました。日本から選ばれたのは、小林監督ただひとりです。それだけの人でありながら、彼に関する本は、今までありませんでした。海外では小林映画が盛んに見られますが、日本ではビデオ化された作品も極めて少ない。レンタルショップにも、おそらく小林正樹コーナーはないと思います。
「食卓のない家」で、仲代達矢演じる父親が「あなたは気の置ける父親なのよ」と言われるシーンがあります。「気の置ける」とは、「敷居が高い人」という意味です。
もしかしたら、小林映画は、日本人にとって「気の置ける」映画なのかもしれない。つまり、信之の姿勢、絶対的に個人であろうとする、個人で責任を取ろうとする、ウェットな情緒になびかない。そういう人物を描いた映画は、日本人にはしっくりこないのではないか、というのが、私の想像です。
最後に、「息子の青春」の中で、「あなたは子どもの恋愛を奨励するんですか」と言われた父親が「奨励はしないよ。妨害しないだけだ」と答える場面があります。一方、「食卓のない家」で、息子の罪に対して沈黙を守る父親のセリフに、「冷酷なんじゃない。けじめだ」があります。
状況は違いますけれど、人間を「個」として尊重する姿勢は、デビュー作と遺作、最初と最後で結びついているな、と感じました。小林正樹という人は、そういう信念を持って映画を作り続けた方なんです。私は彼のそういう姿勢に共感し、感動するのです。
(トークおわり)