10月のシネマDEトーク「成瀬巳喜男監督 没後50年」終了しました

ミュージアム主催の「シネマDEトーク」

(毎月第3土曜午後2時、書肆吉成@IKEUCHI GATE6F)

10月19日は「成瀬巳喜男監督 没後50年」と題し、

北の映像ミュージアム副館長の高村賢治が

「温泉から成瀬作品を解く!」のテーマで語りました!

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年内の予定は下記の通りです。参加無料。ぜひ。

◆11月16日(土)「映画とテレビー放送から制作へ」
佐々木純(北の映像ミュージアム理事長)

◆12月21日(土)「映画館グラフィティーⅡ」
浦田久(街並み画家)×和田由美(エッセイスト)

シネマの風景フェス2019「コタンの口笛」上映会レポート〈後編〉来場者アンケート

9月28日、札幌プラザ2・5で開かれた
「シネマの風景フェス2019」。
「コタンの口笛」を上映し、佐々木利和先生のトークを行いました。

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レポート後編は、ご来場くださった方々からの感想の一部をご紹介します!
たくさんのメッセージ、どうもありがとうございました。

* * *

人間の心の中にある差別意識の悲しさを改めて思い知りました。よい映画を有難うございました。佐々木先生のトークで「キクとイサム」を思い出しました。(77歳女性)

小学生の時にみた映画で只一つだけ覚えていることが「あ、イヌ」だという言葉だけで、この映画だった事が確認できた。佐々木先生と同じ体験をしました。

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差別…昔も今も同じ形でまたは違う形でずっと続いている。佐々木先生のトークの最後の言葉、忘れないようにしていきたい。もう一度、この映画を見たいです。次回は夫婦そろって来たい!!(70歳女性)

もう見られない映画と思っていたので、上映していただいてよかったです。昭和30年代の千歳の風景、コタンの様子がわかり貴重でした。佐々木先生のお話もよかったです。

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勇気と人権を問う現在社会のテーマとなる不朽の問題作だった。アイヌ問題を深く考察させてくれた。(80代男性)

私が千歳中学時代の作品で、千歳川や蘭越墓地、白老など懐かしい風景に感動しました。(70代男性)

とても考えさせられる映画でした。今なお残っている差別に憤りと悲しさを感じました。(60代女性)

「コタンの口笛」©TOHO CO.,LTD.

「コタンの口笛」©TOHO CO.,LTD.

懐かしい気分になりました。(20代男性)

石森延男の作品―今更ながら「コタンの口笛」を読んでいるところです。当時がすーっと頭の中に広がり、生き生きと動き出してきます。それはタイムスリップというより、今の時代に尚問われていることばかりです。(50代女性)

当時のアイヌの生活が見れて良かった。今の時代に観れてよかった。(40代男性)

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60年前にこんなに良い映画が作られていたことに驚いた。東京生まれで育ったため、アイヌという言葉自体に触れることがなかったが、こちらに嫁いで35年近く経ち、最近アイヌ刺繍に興味を持ち、アイヌの文化の素晴らしさを感じ、もっと世界に広まればと思うようになった。今日は映画を通して差別のことも考えさせられましたが、もっとアイヌの人たちの智恵や文化が広まって、差別が無くなる世の中になればと思います。(60代女性)

シネマの風景フェス2019「コタンの口笛」上映会レポート〈前編〉佐々木利和先生トーク

9月28日、北の映像ミュージアム主催の上映会「シネマの風景フェス2019」が札幌プラザ2・5で開催されました。

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上映したのは、アイヌの姉弟が差別や偏見にめげず生きる姿を描く1959年の東宝映画「コタンの口笛」。

「コタンの口笛」©TOHO CO.,LTD.

「コタンの口笛」©TOHO CO.,LTD.

札幌出身の石森延男によるベストセラー児童文学の映画化。
巨匠・成瀬巳喜男監督が千歳や札幌、白老などでロケした珍しい作品で、音楽は「ゴジラ」で知られる北海道ゆかりの作曲家・伊福部昭が担当しました。

「コタンの口笛」©TOHO CO.,LTD.

「コタンの口笛」©TOHO CO.,LTD.

DVD化されておらず、滅多に見ることができないこと。
(貴重な35ミリフィルムで上映しました!)
また、来年4月の国立「民族共生象徴空間」(愛称・ウポポイ)オープン、「ゴールデンカムイ」などの漫画や演劇などでアイヌ文化への関心が高まっていることなどを背景に、多くの方にお越しいただきました。

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前売り券が早くに売り切れし、
当日券販売の判断が上映ギリギリになってしまい、
お待ちいただいた方も多く、ご迷惑をお掛けしました。
ご来場いただいた方々に深く感謝致します。

さて、当日は北海道大学客員教授でアイヌ文化のエキスパートでもある 佐々木利和先生のトークも行いました。素晴らしいお話でしたので、午前の部の内容をレポート致します!

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佐々木利和先生プロフィール
(1948年、陸別町生まれ。東京国立博物館名誉館員。2006年、国立民族学博物館先端人類科学研究部教授、2010年からは北海道大学アジア・先住民研究センター教授を経て、現在は北海道大学の客員教授。著書に「アイヌ文化誌ノート」「アイヌ絵史の研究」などのほか、執筆者として加わった本に亜璃西社「札幌の地名がわかる本」。)

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佐々木利和先生/イアンカラプテ、皆さんこんにちは。さて、この「コタンの口笛」、実は今から60年前、私が中富良野小学校5年生のとき、学校の授業で観た記憶がございます。以来60年、目に触れることはありませんでした。それを今日、こうして目にでき、「こういう映画だったのか。こういう描写があったのか」、そういった思いで非常に懐かしく拝見しました。

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昭和30年代、中富良野は農村地帯で、おそらくアイヌの方々は存在していなかったのではないでしょうか。そういうところでも、富める者と貧しき者の差はものすごくありました。たまたま私の家は父がサラリーマンをしていた関係であまりなかったですが、クラスの3分の2はお百姓さん、農業をやっている人の子ども。当時は給食なんかありませんから、弁当を持ってこないお百姓の子どもがたくさんいました。お弁当の時間になると、みんなグラウンドに出て遊んでいます。そういった状況でした。

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「コタンの口笛」の少し前、昭和33年には内田吐夢監督の「森と湖のまつり」が公開されました。「コタンの口笛」の後には今井正監督の「キクとイサム」が上映されました。私は、こうした作品に強烈な印象を受けています。

実はこの頃、私は父を亡くしまして、稚内に移りました。「キクとイサム」は米兵と日本女性との間に生まれた“混血児”が出てきますが、実際、私が通い始めた稚内北小学校の下のクラスにもいて、強烈な印象を受けました。

「コタンの口笛」には色々な差別の問題が出てきますけれど、稚内で母と住んでいた市営住宅に、樺太から引き揚げてきたアイヌの家族がいたんですね。父親は身体障害者で母親はいなく、子どもが3人。稼ぎはお祖母ちゃんが加工場へ出面に行き、その費用で家族を養っていました。そのお祖母ちゃんと私の母が仲良くて、おかずの交換なんかをしていたんです。ある時、クラスメイトから「あそこのうちは…」という言い方をされて、「母さん、あのお婆ちゃんアイヌなんだってね」と言ったんです。その時、母から「あんたに関係することではないでしょう」とバシッと叱られました。それが、私のアイヌ体験です。

「コタンの口笛」©TOHO CO.,LTD.

「コタンの口笛」©TOHO CO.,LTD.

それから、3人いた兄弟の一番上のお姉さんは、中学を出てから働きに出ていました。あるとき帰省中に我が家に遊びに来ていて、「あんたたち、いいわね」って言って帰ったのも、覚えています。ものすごく印象的でした。アイヌ差別というのが厳然としてあったんです。

映画の冒頭、「あ、イヌ」というセリフが出てきます。アイヌの人達を貶める言葉です。これ、アイヌの人々にとってはものすごく屈辱的な描写だと思います。私はこのシーンが強烈に印象にあって、ずっと頭から離れませんでした。でも、悪い印象で覚えてないかという不安もあったんですけれど、今日映画を改めて見て私の印象は誤りじゃなかったと確認しました。

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また、映画の中でアイヌの人たちの劣等性、差別の根源を考えさせる描写もありました。たとえば、田口校長(志村喬)の息子とアイヌの女性のエピソードですが、やはり良識者でも自分の息子とアイヌの娘を結婚させることに抵抗があった。これはおそらく現在でもあります。アイヌの方々と話をすると、今も一番大きいのは結婚の問題なんです。それは、昭和30年代から変わっていません。

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「コタンの口笛」©TOHO CO.,LTD.

肝心なのは、アイヌの人たちに住んできたところに強引に入ってきたのはシャモ(和人)だったということ。そして、アイヌの人たちをこき使って大きな収益を上げた、江戸時代の場所請負制ですね。それから、明治になって開拓使ができ、「北海道」となってたくさんの移住者たちがやってきました。移住者とアイヌは、最初はそんなに悪い関係ではなかったという話もあります。しかし様々なアイヌ政策を見てますと、アイヌの人たちにとってプラスになったものはあったんだろうか…そのことを、我々は意識しなければなりません。

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それからもうひとつ。私はよく「1つの日本列島の中に、2つの国家があって、3つの文化が存在する」と言います。2つの国家とは、明治12年以前に存在した①天皇を核とする国家②琉球国王を核とする国家のこと。3つの文化とは、①アイヌ語を母語とするアイヌ文化②日本語を母語とする日本文化③琉球語を母語とする琉球文化、です。琉球文化は国の機関や県が積極的に紹介してきましたが、今日本はようやく、アイヌ文化に対して評価しようとしています。

私は別に映画そのものの良し悪しをいうわけではないのですけれども、映画全体から見る印象からいうと、この映画も、日本文化をベースにしてアイヌ文化を見ています。でも、文化というのは絶対に1つの尺度で見てはいけない、これが私の持論です。ですから、アイヌ文化をどのように見ていくか、ということも考えねばなりません。

おそらく、成瀬監督はいろいろな人の教えを受けたのでしょう。小道具はよくここまで集めたな、というほど非常に素晴らしいです。家の中にはアイヌの人々が使っていた道具類、敷物などが沢山出てきます。昭和30年代のアイヌ文化、生活を知るには大変有効な映画だと思います。

「コタンの口笛」©TOHO CO.,LTD.

「コタンの口笛」©TOHO CO.,LTD.

昭和30年代はちょうど北海道観光が増えた時期でもあります。映画に白老のアイヌコタンの状態が出ていました。あのシーンに、宮本エカシマトクという酋長が出ています。あの方は、私が小学6年生のとき、稚内北小学校の修学旅行で白老にも行き、お会いした方で印象にあります。

アイヌ民族を法律として初めて「先住民族」と明記した新たな法律「アイヌ施策推進法」が今年5月に施行され、来年4月には白老の「アイヌ民族博物館(ポロトコタン)」があった場所に「民族共生象徴空間(ウポポイ)」ができます。しかし、アイヌの政策に関してそれで十分かといえばそうではありません。たとえば、アイヌ語の問題が起きています。映画の冒頭、アイヌ音楽を伊福部昭さんがアレンジしたものが流れました。ああいうものを今、自然に歌える方がどれだけいるか。実際、「母親からアイヌ語の子守歌を聞いた記憶がない」という話を聞いたこともあります。

国連教育科学文化機関(ユネスコ)の調査によれば、日本ではアイヌ語が「最も危険な状態にある言語」と分類されました。それを、今度オープンする「ウポポイ」をベースに、アイヌ語を日本語の共通語に持っていくことをしなければなりません。確かに日本列島は日本語がベースにあります。でも、アイヌ語を話す人がいる、琉球語を話す人もいる。これを忘れちゃいいけません。

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お客様の中には、今日初めてご覧になられた方や、私のように60年ぶりにご覧になったような方がいると思います。映画から何を学び、シャモである我々はあの映画をどのように生かしていくのか。アイヌ文化を、アイヌ語をこれから先ずっと伝承していくために何をすべきでしょうか。また、人を差別するということ、見下すこと、1つの尺度でモノをみることの危険さを認識していただければと思います。

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そして願わくば、原作をお読みください。すると、かなり印象が違ってくると思います。そうすると、今日ご覧になった映画の素晴らしさもまた分かってきます。もしもう一回見る機会があるとすれば、背景の小道具などにもご注目いただきたい。この映画は、今だからこそ改めて見るべき作品。私たちがどうあるべきかを強く訴えてくる映画です。

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10月19日(土)はシネマDEトーク!高村賢治副館長による「成瀬巳喜男監督 没後50年~温泉から成瀬作品を解く!」

毎月第3土曜午後2時から

「書肆吉成@IKEUCHI GATE6F」

(札幌市中央区南1西2-18)で開催している

ミュージアムイベント「シネマDEトーク」。

今月19日(土)は「成瀬巳喜男監督 没後50年」と題し、

北の映像ミュージアム副館長の高村賢治さんが

「温泉から成瀬作品を解く!」のテーマで語ります。

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参加無料。どうぞお楽しみに!

なお、年内の予定は下記に通りです。

◆11月16日(土)「映画とテレビー放送から制作へ」
佐々木純(北の映像ミュージアム理事長)

◆12月21日(土)「映画館グラフィティーⅡ」
浦田久(街並み画家)×和田由美(エッセイスト)

「雪子さんの足音」10月19日(土)からシネマアイリス函館にて上映!

浜野佐知監督の最新作「雪子さんの足音」が、北海道では10月19日(土)から、シネマアイリス函館で上映されます。

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物語は、会社員の薫(寛一郎)が、新聞記事で20年前に下宿した月光荘の大家・雪子さん(吉行和子)が孤独死したことを知ることから始まる。衝撃を受けた彼は、大学時代、雪子さんと、同じ下宿人の香織(菜葉菜)2人による過剰な好意に追い詰められた記憶をも蘇らせる…。

第158回芥川賞候補になった木村紅美の小説「雪子さんの足音」を、吉行和子主演で映画化。寛一郎の父・佐藤浩市も友情出演しています。

浜野監督といえば、1970年代からピンク映画を400本近く撮り、50歳を前に幻の女流作家・尾崎翠の生涯に迫る「第七官界彷徨―尾崎翠を探して」を自主製作。その後、高齢女性の性愛を描いた「百合祭」、尾崎翠の小説を原作とした「こほろぎ嬢」、湯浅芳子と中條(宮本)百合子の恋愛を題材にした「百合子、ダスヴィダーニヤ」を発表し、男性目線とは一線を画した“女の生き方”“女の性”を描き続けています。そのテーマは、「雪子さんの足音」にも共通していて…

「とんでもないバーサンが演りたい」

という吉行さんのひと言から原作探し、映画化と奮起されたそうです。
確かに本作の雪子さんは、ステレオタイプのお婆さん像とはかけ離れたキャラクター。その思い込みとお節介ぶりは見ていて恐ろしくなるのですが、反面、切実さがにじむピュアな瞬間にハッとすることもあり、確かに異色の作品といえそうです。

ちなみに私は、雪子さんがベッドに横たわる幻想シーンで、薫に最後にあることを頼む場面がエロスを感じて好きでした!

シネマアイリス函館では、上映初日19日と20日の2日間、監督挨拶があるそう!
詳しくは公式サイト(こちら)にてご確認ください。
映画の公式サイトはこちら