夕張ロケ「スイート・ハート・チョコレート」公開記念①!篠原監督インタビュー

4/30にスガイディノス札幌劇場にで

道内公開される夕張&上海ロケ

「スイート・ハート・チョコレート」。

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©2012 MZ Pictures

公開を記念し、プレス用にいただいた

篠原哲雄監督のインタビューをご紹介します。

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※写真は2012年の記者会見時より

——まず、本作を監督することになった経緯を教えてください。

本作を企画したプロデューサーであり、脚本家でもあるミシェル(米子)が日本の監督を探していて、2011年に知り合いの日本人プロデューサーから紹介されました。脚本を読むとじれったい三角関係の物語で、その感覚はわからないでもない。ただ展開の在り方は普段考えないような要素も沢山あり、正直戸惑う部分もありました。一人の男への想いを亡くなってもずっと思い続ける心情。過去を過去のものとして封印せずに風化しないでおきたい感覚。中国女性特有とは思いませんが、特にミシェルは僕にその気持ちだけはしっかりと伝わるように撮ってほしいと要望してきました。この作品はリンユエが総一郎の想いを受け止めていく過程が物語の軸になっていますが、そのリンユエの想いこそがミシェルの想いとつながるのだなと僕なりに理解し、この映画をやってみようと思いました。もう一つは、ミシェルの夕張映画祭への熱い想い、それは僕も夕張映画祭に参加したこともありますし、そこのスタッフの方々との交流もあったので、その想いの実現のためには一役買いたいということもあったと思います。

——クランクインまでの準備はどのように進めていったのでしょう。

実は撮影にこぎつけるまで何度も危機があり、一度は企画自体が暗礁に乗りかけました。そしてついに東京のスタッフルームを解散するしかないとなった日に、リン・チーリンに会ったんです。リンさんに「私はこの作品をずっと待っていたんです」と言われ、一気に映画が復活しました。
すぐにミシェルが新たに組んでくれる日本の制作会社を探し、リンさん以外のキャストも決まっていきました。『昭和歌謡大全集』と短編「桃」(『フィーメイル』の一編)にも出てもらっている池内君は、寡黙な兄貴分である総一郎役にぴったりだと思ってお願いしたのですが、ちょうど本人も中国での仕事に興味を持っていることがわかり、タイミングがぴったり合いました。福地君は台湾でリンさんと同じ事務所に所属していて、リンさんのマネージメントから提案されました。実は彼も『真夏のオリオン』に小さな役で出ていて知っていたので、すぐに守役をイメージできました。
そうして本格的に再始動したのが2012年2月。当初の予定ではクランクインしているはずの時期でした。それから約1か月で、脚本を直す作業を行いました。日本の脚本家に入ってもらい、ミシェルとやり取りを重ねながら主に台詞を直したのですが、翻訳を挟むとニュアンスが伝わらないことも多く、日本映画の台本を直す時の3倍ほどの労力を要しました。

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——夕張でのロケはいかがでしたか。

クランクインは3月15日。当初の予定から大幅に遅れてしまい、雪がなくなってしまうのではないかというのが最大の懸念でした。そこで夕張ロケをサポートしてくれた、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭の運営団体でもあるネクスト夕張のスタッフに山から雪を運ぶ体制を整えてもらいました。ところがクランクインの日の朝方から奇跡的に雪が降ったんです。夕張ロケの12日間、季節外れの雪が何度も降り、まるで映画の神様にチャンスを与えられたかのようでした。
夕張の現場は何よりメインキャストの3人のタッグが素晴らしかったですね。脚本をベースにしながらも「総一郎はこんなこと言うかな?」「この時、リンユエはどんな気持ちだと思う?」などと話し合いながら即興的に各シーンを作っていきました。その結果、台詞がなくても伝わるだろうと感じたシーンが多く、台詞が大幅に減りました。これは本人たちの魅力によるところが大きかったと思います。たとえばゲレンデの下で初めて3人が揃うシーン、守が総一郎に「(食事に)付き合ってくんない?」と頼む後ろでリンユエが「何を話してるのかな?」とワクワクしているような仕草を見せますが、ああいうコミカルなポーズは僕が指示したわけではなく、リン・チーリン独特のものなんです。福地君は役柄同様にとても明るい性格で、スキー場に大きなハートを出現させるような、日本人男性ならちょっと気恥ずかしくなるようなシーンも天真爛漫に演じてくれました。一方でそれを見守る総一郎の朴訥とした魅力は、池内君が演じたからこそ出たものです。

——スタッフも日中混成だったそうですが、どのような体制で撮影していましたか。

撮影・照明に関しては、撮影監督の上野彰吾さんと照明技師の楊國良さんがいいコンビを組んでくれました。主に上野さんの指示をヤンさんがわかったとばかりに光を作っていく過程は合作そのものを体現していたひとつだと思います。美術は夕張パートを日本の小澤秀高さんが、上海パートは中国の周欣人さんが担当。中国の美術スタッフは先に行われた夕張ロケで小澤さんの美術を見てそのテイストを上海のセットに反映しています。小澤さんも上海に渡り、中国の美術のセットの在り方を確認し、そこの自分なりのプランも持ち込みました。録音技師の山方浩さんは中国語に精通しているので、上海での中国語の台詞のシーンでは中国語の芝居がきちんとできているかを判断してもらい、演出の領域にまで関わってもらいました。山方さんは企画当初からミシェルとは懇意にしていてこの作品の成り行きにはすべて関わっていたと言ってもいいくらいです。ですので、いざという時に僕とミシェルの相互理解のために間に入ってくれたことも何度かあり本当に助けられました。編集は中国の徐さんというベテランです。今回は脚本では過去のシーンは一連で描くような書かれ方がされていましたが、編集の段階で大きく変えました。それは客観的な視点で映画をみてくれた徐さんの意見によるところもあり言葉は通訳を介しながらでも徐さんとは編集を通して合作を作りえた感覚が今でも残っています。演出部を含め、各部署の助手も日本と中国の混成でした。現場に学生の通訳さんが何人もいたこともあり、スタッフ同士のやりとりはそれほど苦には感じなかったですね。

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——上海での撮影は日本と勝手が違うことはありましたか。

その場しのぎが多く、何が起きても動じないようになりました(笑)。脚本には総一郎が上海の銀座のような繁華街にあるガラス張りの宝石店に指輪を買いに行くシーンがあったんです。店の撮影許可が下りず、どうしようかと思っていたら、制作部が電話ボックスくらいのサイズの白い箱を道路を挟んだ店の真向かいに設置して、この箱の中に隠れて撮れと。池内君には一般のお客の振りをして店に入ってもらい、店員とのやりとりを箱に空いた小さな穴から撮影しました。なんとも異様な光景でしたが、香港の撮影スタイルだそうです。そのシーンは編集段階で不要に思えて、カットしてしまったのですが……。
他にはキャスティングも日本と違いました。本作におけるチョコレート作りの教室に参加する男性や、老人ホームの利用者など、ワンシーンのみとはいえ台詞があるような役は、日本では事前に配役が決まっています。でも上海では、演技事務のスタッフが前日に候補者を何人か連れてきて、「監督、この人たちの中から決めてください」と言われるんです。明日の撮影なので即決しなければなりません。それをすぐにその場で伝え、決まった人はすぐに衣裳を合わせる、決まらなかった人は僕らにエールの言葉を送って帰っていく。なんて残酷なんだと思いながらもプロで生きていくことの厳しさを肌で知っているのだなとわかった瞬間でもありました。
また、上海でのハプニングと言えば、バレンタインの食事のシーンを撮影するレストランが入ったビルの前でスタッフがロケ弁を食べていたら、そのビルの1階が国民軍のオフィスだとかで怒られてしまい、スタッフ一同ビル内に立ち入り禁止になりかけたこともありました。そんなわけで撮影は非常にスリリングでしたが、毎日面白かったです。

——編集段階でも合作ならではの苦労はありましたか。

中国で劇場公開したバージョンと日本の公開バージョンは一つだけ違う点があります。映画の後半、リンユエが倒れて上海の病院に運ばれるシーンで、日本版には10年前の手術にまつわる回想シーンが挿入されますが、中国版ではカットしました。守の心臓をリンユエに移植してほしいと懇願する総一郎に対し、医師は「制度上、それはできない」と言います。日本人が観れば医師が「立場上、イエスとは言えない」と示唆していることがわかりますが、そのセリフを中国語に訳すと「移植はできない」と拒否しているように捉えられてしまう。この箇所をどうするかについてはミシェルと何度も議論しました。
台詞の言語が編集に影響を及ぼした例は他にもありました。上海パートのリンユエと総一郎の会話で、ミシェルが二人は中国語で話している前提で書いた台詞を、日本語で話す設定にしたことで芝居が不自然になって削ったところがあります。確かに二人が中国語で話して日本語の字幕がつくのなら、違和感がなかったのかもしれません。でも僕は日本で出会った二人はその後も日本語で話し続けると思ったので、一部のシーンを除いて日本語で話すことにこだわりました。

——他国との合作に挑戦してみたいですか。

今後も機会があればやりたいです。この作品の後、山方さんと台湾で映画を撮る計画があったのですが、実現しませんでした。長年、日中の映画人の架け橋のような存在であった山方さんは、この映画において非常に大きな存在でした。これからも一緒に映画を作っていくと思っていたので、それが叶わないのが本当に残念です。

★監督:篠原哲雄 Shinohara Tetsuo
1962年生まれ、東京都出身。93年、自主制作の16ミリ中編『草の上の仕事』で注目され、96年に『月とキャベツ』で劇場用長編デビュー。以来、幅広いジャンルの作品を手がけ、本作は24本目の長編となる。主な監督作に函館ロケ『つむじ風食堂の夜』(09)、釧路ロケ『起終点駅 ターミナル』(15)など。

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