高峰秀子さんについて、斎藤明美さんが語りました

松山善三、高峰秀子特集を上映中の東京・ラピュタ阿佐ヶ谷で3月26日、作家の斎藤明美さん(夫妻の養女)のトークショーが開かれ、最も近くにいた立場から、夫妻の思い出を語りました。

トークは「春の戯れ」(1949年、山本嘉次郎監督)の上映に続いて行われました。あまり目にする機会のない作品ですが、斎藤さんが取材で高峰秀子さんに「好きな出演作」を選んでもらったところ、13本のうちの1本になったそうです。翻案もので、舞台は明治初めの品川。男女(宇野重吉、高峰秀子)が恋に落ち、女の妊娠を知らないまま外洋航路の船乗りになった男が、2年後に戻って来て、女と結婚した男に「子供を返して」と言います。

斎藤さんは以前、高峰さんの写真集を作った際にこの映画を一緒に見直して、高峰秀子さんが「勝手な男だねえ」と感想を述べたことを明かし、「高峰は自分がどう映っているかを気にしない人。見るときも自分の出演作ではなく、ある映画、を見ています」と話しました。さらに、「ほかの女優と違って自分を何様とも思っていない。それは5歳から子役として特殊な生活をして、普通の人間の普通の生活をしたかったから。自分を見失わない意志の強さがありました」と高峰秀子さんの人となりを語りました。

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斎藤明美さんによる、高峰秀子さんについての数々の書籍

また、松山善三さんとの「格差婚」について、「高峰は女優が嫌で、30歳になっていい人がいたら結婚して引退しようと思っていた。温かい家族と普通の生活がほしかっただけ。『二十四の瞳』の小豆島ロケ中、助監督だった松山が木下恵介監督を通じて高峰に交際を申し込もうとしたところ、木下監督は『身の程を知りなさい』と怒ったものの、伝えてくれ、高峰は『一晩考えて、おつき合いしてみることにしました』と返事をしました」と秘話を紹介。「当時の高峰のギャラと助監督の松山の年収は100倍の差がありました。でも、松山と結婚していなければ、高峰は死ぬまで親戚にたかられて、間違いなく悲惨な生活が続きました。松山は防波堤になりましたが、背負ったものはとても大きかったと思います」と述べ、ほかの昭和の大女優たちが必ずしも幸せな結婚生活を送ったとは言えないことに比べると、「二人は文字通り赤い糸で結ばれていた」と振り返りました。

ところで、この日のモーニングショーで上映された松竹の「三人娘乾杯!」(1962年、番匠彰昭監督)には、鰐淵晴子さん演じる医学生が下宿するトンカツ屋の主人役で、益田喜頓さんが出ていました。高峰秀子さん、益田喜頓さんといった名優を生んだ函館は、その意味でも映画の街と言えるかもしれません。

さらに余談ですが「三人娘乾杯!」で佐野周二が演じる、岩下志麻の父親の役名は「沢井信一郎」。沢井信一郎監督は61年東映入社なので、偶然とは思いますが、面白いですね。この日のレイトショー上映作品「0課の女 赤い手錠」(1974年、野田幸男監督)には沢井監督が助監督でついているというおまけまでありました。(理事・加藤敦)

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