「さっぽろ映画館グラフィティー 昭和の映画館」レポート!②

今日は桃の節句。

本日は、「北のシネマ塾~昼下がりトーク編」第2弾

「さっぽろ映画館グラフィティー① 昭和の映画館」

(2月18日、ミュージアム)のレポート続編をお伝えします。

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和田/「宝栄座」事件というのは?

浦田/はい。南5西2に「宝栄座」という映画館があったんです。その後、「東宝劇場」「新東宝劇場」になり、オークラになって廃館になりましたが。この劇場で当時、〝トイレにお化けが出る〟という噂がありましてね。たぶん大人の悪知恵だと思いますが(笑)。あそこはもともと墓地だから祟られるぞ、とか何とか…それが僕達には怖くて。でも、映画を観たいから行くんです。チャンバラ劇とか観ていると…トイレに行きたくなるんですよね。それでこわごわ行きました。結局祟られることはなかったですけれど(笑)

和田/イスが壊れたこともあったとか?

浦田/それは戦後の話なんです。戦後初のアメリカ映画「ユーコンの叫び」という作品が、その映画館で上映されたんですが、随分な人気を集めましてね。僕等は最初長椅子に座っていたんですけど、どんどんお客さんを入れるもんだから、押されて座りきれなくなってしまって。当時、映画館のイスは木製だったんです。それで映画が始まって観てたら、そのうちバリバリバリ!と音を立てて、イスが倒れてしまって。イスがつぶれても、みんなその上に立って観たことがありましたね(笑)。映画館の外にもすごい人だかりが出来て、出るのも大変でした。振り返るとつまらない内容でしたけど、それだけアメリカ映画に飢えていたということなんでしょう。戦時中は実際、ドイツやイタリア映画は上映していたんですが、アメリカやフランス映画はダメでしたから。

佐々木/戦後は逆に、日本映画がダメになったようですね、チャンバラとか、かたき討ちのような内容は。

浦田/はい。刀で人を斬るような内容はダメなんです。その頃、(時代劇スターの)片岡知恵蔵さんが「土俵祭」という映画に出ていたんです。でも、痩せこけて、ひょろひょろした体で回しをしめているから、全然相撲取りに見えないんです(笑)。そんなことが記憶にありますね。

佐々木/札幌の街には、映画館の名の残る通りも残っていますよね。

浦田/何カ所かありますね。大人8銭、子ども2銭の入場料が由来という映画館「八二館」があったんですが、これが今、「八二市場」として残っています。

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次回に続きます。

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