35㎜映写機に寄せて~Hさんの思い出

7月上旬、北海道旅の途中に立ち寄られたHさんが、

館内に展示された映写機に感激し、

後日、ご自身の体験談をメールでお寄くださいました。

ご本人の了解のもと、その一部をご紹介します。

* * *

突然懐かしい機械に会い、驚きました。
高校時代、父が興業屋で
その手伝いで35mm映写機を回していました。
移動映画では箱形のランプ式、常設館(だいぶ以前に廃業)は
カーボンアークの大型機アメリカ製の
シンプレックスという機械でした。
(映写技師試験場もシンプレックスでした)

昼間は学校、夜は映写仕事で勉強は学校だけでした。笑
カーボンアークのカーボンロッドは初期点火後自動送りでしたが、
位置がずれるので絶えず監視修正が必要でした。
当時カーボンは2社で作られていましたが、
社はアーク色が安定しないと言う問題があったのを覚えています。

D70-21385

昔の映画ポスターを掲げる東京都青梅(おうめ)市(Hさんご提供)

また、三流館だったので、扱う映画は古い物ばかり。
傷んだフィルムの修正もひと仕事、映写中に切れることも度々、
シンプレックスは、映写画像安定のため大きな
フライホイールが付いていたので
スイッチを切ってもすぐ停まらない、
仕方なく高速で廻ってるそのフライホイールを手で停める
と言う神業も必要でした。

移動映画は、あちこちの青年団などに頼まれての野外映写でしたが、
電源事情が良くない時代で、
光源ランプを点灯すると電圧が落ちて映写速度が低下、
音声がモゴモゴになってしまうこと度々、その扱いも苦労しました。

築地の松竹本社にフィルムを取りに行ったりも私の仕事で
キャンバスの袋に入れたフィルム10~12缶を担いで運びました。
フジセントラルは同業者の映画館手伝いで扱ったことがあります。

なお、扱った大型映写機があったのは
現在の東京都羽村市(戦中は西多摩村)にあった「錦亀館」
という小さな劇場兼映画館。新聞屋さんが所有し、
そこを父が時々借りて、一晩だけ映画を上映していました。

* * *

まるでニューシネマパラダイスの世界!

映画の黄金期を親子で支えられたHさん、

貴重な思い出を、どうもありがとうございました。

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