シネマの風景フェス2019「コタンの口笛」上映会レポート〈前編〉佐々木利和先生トーク

9月28日、北の映像ミュージアム主催の上映会「シネマの風景フェス2019」が札幌プラザ2・5で開催されました。

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上映したのは、アイヌの姉弟が差別や偏見にめげず生きる姿を描く1959年の東宝映画「コタンの口笛」。

「コタンの口笛」©TOHO CO.,LTD.

「コタンの口笛」©TOHO CO.,LTD.

札幌出身の石森延男によるベストセラー児童文学の映画化。
巨匠・成瀬巳喜男監督が千歳や札幌、白老などでロケした珍しい作品で、音楽は「ゴジラ」で知られる北海道ゆかりの作曲家・伊福部昭が担当しました。

「コタンの口笛」©TOHO CO.,LTD.

「コタンの口笛」©TOHO CO.,LTD.

DVD化されておらず、滅多に見ることができないこと。
(貴重な35ミリフィルムで上映しました!)
また、来年4月の国立「民族共生象徴空間」(愛称・ウポポイ)オープン、「ゴールデンカムイ」などの漫画や演劇などでアイヌ文化への関心が高まっていることなどを背景に、多くの方にお越しいただきました。

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前売り券が早くに売り切れし、
当日券販売の判断が上映ギリギリになってしまい、
お待ちいただいた方も多く、ご迷惑をお掛けしました。
ご来場いただいた方々に深く感謝致します。

さて、当日は北海道大学客員教授でアイヌ文化のエキスパートでもある 佐々木利和先生のトークも行いました。素晴らしいお話でしたので、午前の部の内容をレポート致します!

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佐々木利和先生プロフィール
(1948年、陸別町生まれ。東京国立博物館名誉館員。2006年、国立民族学博物館先端人類科学研究部教授、2010年からは北海道大学アジア・先住民研究センター教授を経て、現在は北海道大学の客員教授。著書に「アイヌ文化誌ノート」「アイヌ絵史の研究」などのほか、執筆者として加わった本に亜璃西社「札幌の地名がわかる本」。)

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佐々木利和先生/イアンカラプテ、皆さんこんにちは。さて、この「コタンの口笛」、実は今から60年前、私が中富良野小学校5年生のとき、学校の授業で観た記憶がございます。以来60年、目に触れることはありませんでした。それを今日、こうして目にでき、「こういう映画だったのか。こういう描写があったのか」、そういった思いで非常に懐かしく拝見しました。

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昭和30年代、中富良野は農村地帯で、おそらくアイヌの方々は存在していなかったのではないでしょうか。そういうところでも、富める者と貧しき者の差はものすごくありました。たまたま私の家は父がサラリーマンをしていた関係であまりなかったですが、クラスの3分の2はお百姓さん、農業をやっている人の子ども。当時は給食なんかありませんから、弁当を持ってこないお百姓の子どもがたくさんいました。お弁当の時間になると、みんなグラウンドに出て遊んでいます。そういった状況でした。

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「コタンの口笛」の少し前、昭和33年には内田吐夢監督の「森と湖のまつり」が公開されました。「コタンの口笛」の後には今井正監督の「キクとイサム」が上映されました。私は、こうした作品に強烈な印象を受けています。

実はこの頃、私は父を亡くしまして、稚内に移りました。「キクとイサム」は米兵と日本女性との間に生まれた“混血児”が出てきますが、実際、私が通い始めた稚内北小学校の下のクラスにもいて、強烈な印象を受けました。

「コタンの口笛」には色々な差別の問題が出てきますけれど、稚内で母と住んでいた市営住宅に、樺太から引き揚げてきたアイヌの家族がいたんですね。父親は身体障害者で母親はいなく、子どもが3人。稼ぎはお祖母ちゃんが加工場へ出面に行き、その費用で家族を養っていました。そのお祖母ちゃんと私の母が仲良くて、おかずの交換なんかをしていたんです。ある時、クラスメイトから「あそこのうちは…」という言い方をされて、「母さん、あのお婆ちゃんアイヌなんだってね」と言ったんです。その時、母から「あんたに関係することではないでしょう」とバシッと叱られました。それが、私のアイヌ体験です。

「コタンの口笛」©TOHO CO.,LTD.

「コタンの口笛」©TOHO CO.,LTD.

それから、3人いた兄弟の一番上のお姉さんは、中学を出てから働きに出ていました。あるとき帰省中に我が家に遊びに来ていて、「あんたたち、いいわね」って言って帰ったのも、覚えています。ものすごく印象的でした。アイヌ差別というのが厳然としてあったんです。

映画の冒頭、「あ、イヌ」というセリフが出てきます。アイヌの人達を貶める言葉です。これ、アイヌの人々にとってはものすごく屈辱的な描写だと思います。私はこのシーンが強烈に印象にあって、ずっと頭から離れませんでした。でも、悪い印象で覚えてないかという不安もあったんですけれど、今日映画を改めて見て私の印象は誤りじゃなかったと確認しました。

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また、映画の中でアイヌの人たちの劣等性、差別の根源を考えさせる描写もありました。たとえば、田口校長(志村喬)の息子とアイヌの女性のエピソードですが、やはり良識者でも自分の息子とアイヌの娘を結婚させることに抵抗があった。これはおそらく現在でもあります。アイヌの方々と話をすると、今も一番大きいのは結婚の問題なんです。それは、昭和30年代から変わっていません。

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「コタンの口笛」©TOHO CO.,LTD.

肝心なのは、アイヌの人たちに住んできたところに強引に入ってきたのはシャモ(和人)だったということ。そして、アイヌの人たちをこき使って大きな収益を上げた、江戸時代の場所請負制ですね。それから、明治になって開拓使ができ、「北海道」となってたくさんの移住者たちがやってきました。移住者とアイヌは、最初はそんなに悪い関係ではなかったという話もあります。しかし様々なアイヌ政策を見てますと、アイヌの人たちにとってプラスになったものはあったんだろうか…そのことを、我々は意識しなければなりません。

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それからもうひとつ。私はよく「1つの日本列島の中に、2つの国家があって、3つの文化が存在する」と言います。2つの国家とは、明治12年以前に存在した①天皇を核とする国家②琉球国王を核とする国家のこと。3つの文化とは、①アイヌ語を母語とするアイヌ文化②日本語を母語とする日本文化③琉球語を母語とする琉球文化、です。琉球文化は国の機関や県が積極的に紹介してきましたが、今日本はようやく、アイヌ文化に対して評価しようとしています。

私は別に映画そのものの良し悪しをいうわけではないのですけれども、映画全体から見る印象からいうと、この映画も、日本文化をベースにしてアイヌ文化を見ています。でも、文化というのは絶対に1つの尺度で見てはいけない、これが私の持論です。ですから、アイヌ文化をどのように見ていくか、ということも考えねばなりません。

おそらく、成瀬監督はいろいろな人の教えを受けたのでしょう。小道具はよくここまで集めたな、というほど非常に素晴らしいです。家の中にはアイヌの人々が使っていた道具類、敷物などが沢山出てきます。昭和30年代のアイヌ文化、生活を知るには大変有効な映画だと思います。

「コタンの口笛」©TOHO CO.,LTD.

「コタンの口笛」©TOHO CO.,LTD.

昭和30年代はちょうど北海道観光が増えた時期でもあります。映画に白老のアイヌコタンの状態が出ていました。あのシーンに、宮本エカシマトクという酋長が出ています。あの方は、私が小学6年生のとき、稚内北小学校の修学旅行で白老にも行き、お会いした方で印象にあります。

アイヌ民族を法律として初めて「先住民族」と明記した新たな法律「アイヌ施策推進法」が今年5月に施行され、来年4月には白老の「アイヌ民族博物館(ポロトコタン)」があった場所に「民族共生象徴空間(ウポポイ)」ができます。しかし、アイヌの政策に関してそれで十分かといえばそうではありません。たとえば、アイヌ語の問題が起きています。映画の冒頭、アイヌ音楽を伊福部昭さんがアレンジしたものが流れました。ああいうものを今、自然に歌える方がどれだけいるか。実際、「母親からアイヌ語の子守歌を聞いた記憶がない」という話を聞いたこともあります。

国連教育科学文化機関(ユネスコ)の調査によれば、日本ではアイヌ語が「最も危険な状態にある言語」と分類されました。それを、今度オープンする「ウポポイ」をベースに、アイヌ語を日本語の共通語に持っていくことをしなければなりません。確かに日本列島は日本語がベースにあります。でも、アイヌ語を話す人がいる、琉球語を話す人もいる。これを忘れちゃいいけません。

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お客様の中には、今日初めてご覧になられた方や、私のように60年ぶりにご覧になったような方がいると思います。映画から何を学び、シャモである我々はあの映画をどのように生かしていくのか。アイヌ文化を、アイヌ語をこれから先ずっと伝承していくために何をすべきでしょうか。また、人を差別するということ、見下すこと、1つの尺度でモノをみることの危険さを認識していただければと思います。

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そして願わくば、原作をお読みください。すると、かなり印象が違ってくると思います。そうすると、今日ご覧になった映画の素晴らしさもまた分かってきます。もしもう一回見る機会があるとすれば、背景の小道具などにもご注目いただきたい。この映画は、今だからこそ改めて見るべき作品。私たちがどうあるべきかを強く訴えてくる映画です。

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