第6回「北のシネマ塾」レポート!前編

本日は、「北のシネマ塾~昼下がりトーク編」第4弾

「さっぽろ映画館グラフィティー③

熟成した昭和50年代の映画館」(6月16日)のレポート前編!

映画界が斜陽期に入る昭和70年代以降のお話です。

※当日の模様はコチラ↓

http://kitanoeizou.net/blog/?p=1614

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和田由美さん(以下、和田)/今日は映画が斜陽期に入った70年代のお話ですが、まず、日活ロマンポルノが1988年ごろまで多数の作品を生み出しました。また、東映は、それまで藤純子さんなどの任侠路線でしたけれど、73年にヤクザ映画「仁義なき戦い」がヒットしましたね。あと、火の鳥マークのオープニングが印象的だった角川映画は「人間の証明」を77年に公開。日活、東映、角川のこうした作品を思い出すと、あの時代が見えてきます。札幌の映画館は当時何館でしたっけ?

浦田久さん(以下、浦田)/戦前からの道新の映画欄をもとに10年刻みで拾った数字ですが、昭和10年が11館、21年が9館、30年が24館、50年が29館、60年が38館、平成になると30館、現在平成24年は33館・・・ただし、これはスクリーンの数。札劇に問い合わせたところ、今年さらに1館閉めるそうなので、秋には32スクリーンになるそうです。

佐々木純さん(以下、佐々木)/補足すると、この33スクリーンとは、札幌シネマフロンティアとユナイテッド・シネマ札幌の2館で20スクリーン超。それに、ディノスシネマズ札幌劇場、シアターキノ、蠍座を加えた数ですね。映画館数は、昭和35年が最大だったでしょう。スクリーン数は変わらなくても、映画館は10年ごとに10館くらいずつ減っています。

和田/名画座がまだあり、スガイができたころの上映作品をご紹介しましょう。75年の映画ガイドを参考にすると・・・6月、東宝日劇で「ゴッドファーザー2」、札劇で「タワーリング・インフェルノ」、遊楽という名画座では3日おきに作品が変わって「家庭教師」「コールガール」「小さな恋のメロディ」、テアトルポーは「スティング」、テアトル24は「サブウェイ・パニック」。

そして、北24条のオリオン座・・・ここはよく通った名画座ですけど、日本映画の3本立てで、深夜に「仁義なき戦い」をやっていました。劇場はすえた匂いがして、映画を観に来たのか、寝に来たのか分からない人もいて(笑)。でも、当時はお金がないから一生懸命観て、時に宿屋代わりになったりしました。映画は、どんな映画館で、どんな状況で観たかということも重要。お金がない学生時代、3本立てをオリオン座で観たという経験は、私の心の記憶になっています。東宝日劇もすごい映画館で、観客動員数1位を最後まで譲らなかった。2階に売り場コーナーがあって、「大地震」という映画を上映したときは、映画館が本当に揺れた感じがして迫力があったんですよね。

浦田/ええ、あと「肉の蝋人形」なども上映して、サーカスのびっくり小屋に似た印象があります。これが学生デートの恒例の場所でね(笑)

和田/佐々木さんはどうですか?

佐々木/僕は、学生時代の半分は東京にいたので、(川本三郎さん原作の映画)「マイ・バック・ページ」みたいな感じでした。友達や恋人と遊び過ぎて、たとえば恋人を送り届けると、帰る時間にはもう電車がない。映画館に入って(高倉)健さんの映画を観て・・・そういうときって、アクションとかこてっとした映画を観たくなるんですよね(笑)。朝まで映画館で過ごして帰って寝た記憶があります。札幌では、よくロードショーに行きました。実家が中標津なので、その頃は夜汽車で東京に帰る前に札幌に寄りますから、どうせなら映画を観て帰ろうと。覚えているのは帝国座や日劇。今も思い出に残っています。

(つづく)

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