品田雄吉さんトークレポート!①

本日は、ミュージアム開館一周年記念イベント

「シネマの風景フェスティバル2012」(9月1~7日)に行われた

ゲスト・品田雄吉さんのトークをレポート!

前半(①)は、「人間の條件」&小林正樹監督にまつわること、

後半(②)は、品田さんご自身の北海道と映画に関する思い出を

中心にまとめました。どうぞお楽しみください!

* * *

私は、ここからうんと北の方の、天塩郡遠別町の生まれです。私が生まれたころは「遠別村」でした。8月中旬になると、すでにストーブを焚いていた記憶があるくらい寒い場所。そんなところで生まれ育ったので、その近辺のサロベツ原野で「人間の條件」のロケをしたことも納得、という感じがします。非常に大陸の寒冷地に近い土地柄ですので。

私がキネマ旬報に入社したころ、小林正樹監督は結構偉くなっていて、新人監督として「あなた買います」などいい仕事をされていました。彼は木下恵介監督のお弟子さん。ご存じの方もいらっしゃるでしょうけれど、木下さんという人は生涯独身で、少年が好きな方。助監督を、美青年ばかりそろえたんです(笑)。小林正樹監督がそのトップだったわけですけれど、ほかにも松山善三さん、テレビの脚本などで活躍されている山田太一さん、岡田茉莉子と結婚した吉田喜重さんなどが木下組の助監督。みなルックスがいいんです。一番先輩格が「人間の條件」を監督された小林正樹さんです。

新人のころ、「小林さんのところへ行け」と編集長に言われて自宅まで行ったことがあります。立派な家で、「映画監督はこんなすごい家に住んでいるんだ」と驚きました。後に小林さんは、映画の制作費をひねり出すためその家を売却してしまうのですけれども。小林監督に「上がれ」と言われて、あがると洋間のフロアに応接セットがあって、そこからちょっと奥が段がついていて畳敷きになっているという造りでした。そういう構造の家は田舎育ちの私は知らなくて、洋間と和室がある素晴らしい家、ということだけを記憶に残して、小林さんに何をお願いしたか全然覚えていません(笑)。それが、小林正樹さんにお会いした最初でした。


人間の條件(C)1959 ‐1961 松竹

その後はなかなかご縁がなくて、「人間の條件」の後に作った「東京裁判」という長大なドキュメンタリーのときに、座談会でご一緒したのをきっかけに、よくお目にかかるようになりました。完成パーティーにも招いてくれて、親しくさせていただきました。

小林さんは、非常に落ち着いた方。なんて言うのかな、木下監督は「リアクションが鋭い・速い」という感じの方なんですけれど、それに比べて小林監督は「オットリ・重厚」という感じ。それはそれで非常にいい個性の持ち主だな、と思います。作品も、「人間の條件」のように大作を粘って粘って作る。「人間の條件」という映画は、小林さんの粘りがあったから、あれだけ素晴らしい作品になったと言われましたし、私もそう思います。

ロケ地となった豊富とか幌延とかいうところは、あまり人の住んでいない所。農作物も採れず、泥炭地で米も、畑も作れない。その荒涼とした感じは、冬になるとちょっとすごいんです。荒野、という印象ですね。それが、この「人間の條件」の大陸の感じ、迫力をよく出していますし、リアリティを生み出していると言えるでしょう。


人間の條件(C)1959 ‐1961 松竹

「人間の條件」を見るにつけても思うのは、ほかの日本の地方には見られないような、北海道の気象条件や景色を生かした映画を作ることが、映画の新しい楽しみを生み出してくれているのではないかということです。

ですから、折に付けて、北海道は撮影の誘致をどんどん積極的にもっとやるべきだと思います。撮影条件を良くして、もっともっと北海道の地方色を生かした素晴らしい映画を生み出す環境を整えてほしい。実は、これまでも北海道で素晴らしい映画が作られているんですね。黒澤明さんの映画(「白痴」「影武者」)や、漁場を舞台にした「ジャコ万と鉄」、山田洋次さんも「幸福の黄色いハンカチ」などたくさん作っています。北海道を舞台にするとお客さんが来ることを実績として固めていくと、また北海道に映画撮影が来て、土地の特色がますます生かされていくのではないかと思います。

(つづく)

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