「さっぽろ映画館グラフィティー 黄金時代の映画館」レポート!②

せっかくサクラが咲いたのに、

雨模様の札幌です。

さて、本日は、「北のシネマ塾~昼下がりトーク編」第4弾

「さっぽろ映画館グラフィティー②

黄金時代(昭和30年代)の映画館」(4月21日)のレポート第二弾!

知る世代には懐かしく、知らない世代には新鮮な

映画館バナシのつづきをどうぞ。

* * *

浦田/当時、映画を安く観る方法で、ナイトショーがありました。夜8時くらいから割引になるんです。11時ごろ終わったかなぁ。

和田/へ~その頃から、電車も動いていたんですか?

浦田/はい、大丈夫でした。テレビのない時代だったので、映画に加えて楽しみだったのは、大相撲の速報!「大相撲速報ニュース」と題して、3、4日分をまとめてくれるんです。見たい取り組みがあると行った記憶があります。

佐々木/ニュース映画は便利でしたよね。私は昭和47年にテレビ局に入社しましたが、当時、ニュース映画の業界から入った人もたくさんいました。

和田/丸井の上に「道新ニュース映画劇場」がありましたよね。「トムとジェリー」とかも上映した映画館です。倶知安の田舎から札幌に買い物に来ると、私はよくあの劇場に詰め込まれて全然親が帰ってこないんです(笑)。保育所代わりに使われていた時期が長かったんではないでしょうか。ニュースばかりで退屈しましたけど(笑)

浦田/戦後、映画館がすべてイスになった時は残念でした。畳だと、上映の時に餅まきをして、それを拾うのが楽しみでしたから。

佐々木/家でも餅をまいた時代でしたよね。

和田/でもあれって・・・いま考えるとキタナイですよね。だって袋に入ってなかったんですから(笑)

浦田/はい(笑)。だから客は拾った餅を叩いて食べたもんです。

佐々木/怪談映画もありましたね~。最近なら「13日の金曜日」「リング」とかになりますけれど。

浦田/日本映画の方が怖かったですね。

和田/確かに。情念がこもっているようで。

浦田/木下惠介監督が「四谷怪談」を作ったことがあったんです。期待して行ったら、全然怖くなくてガッカリしましたけど(笑)

佐々木/(観客へ)みなさん、映画の黄金時代の思い出などあればぜひ・・・

和田/(映写技師だったという男性客へ)田舎だと、フィルムが切れて睨まれたり、大変だったんじゃないですか?

元映写技師のお客さま/確かに「金返せ!」とか言われたよね。田舎の運動会とかで、野外で上映する時にトラブルと、特に怒られたよ。

浦田/野外の上映会って楽しみでしたよね。私は三吉神社のお祭りでやる野外上映がとても楽しみでした。

元映写技師のお客さま/私ら映写技師にしてみると、車で4~50分かけて行って、準備しなければならないから大変だったんだよなー。たいてい、野外って聞くと「うぇ~」って声が出たもんだ(笑)。ま、その分、喜ばれたんだけどね。

浦田/「丹下左膳」が多かった気がします。

元映写技師のお客さま/あと「鞍馬天狗」とかね。

和田/時代劇が多かったですね。

浦田/珍しいのは、札幌の雪まつり会場で、雪のスクリーンというのを作って映画を映したことがありました。

和田/えー!ステキな試みですね!

浦田/それがうまく映らなくて・・・スコップでまっすぐにしてもどうしても凹凸があって、それが異様な影になるんですよ(笑)。そんな面白いこともありました。

(つづく)

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