『映画のデジタル化』シンポジウムレポート(前編)

7/13(土)、シアターキノで行われた

『映画のデジタル化』についてのシンポジウムの文字おこしです。

テレビ局、クリエイター、上映する側という三者三様の立場から

デジタルシネマについて語るというとても興味深いイベントでした。

一部省いている箇所もありますが、当日ご参加できなかった方々のために

なるべくそのままレポートいたします。

司会:中島洋さん(シアターキノ代表)

パネラー:佐々木純さん(北の映像ミュージアム理事長)

早川渉さん(映画監督、CMディレクター)

<映画『サイド・バイ・サイド』上映終了>

ー3人が登場ー

中島/賛否両論ある中で、本当にいろんな考えを監督やスタッフたちがお持ちで、すごく熱く真剣に議論しているのが伝わってくる作品でした。賛否以前に、こういう形で監督やスタッフたちが真剣に考えていることを嬉しく思った記憶があります。

(佐々木)純さんは、テレビ創始期の頃から参加されていまして、ある意味、いろんな形での映像世界の変遷をずっとご覧になって来た方。その辺りから、ご感想などを頂ければと思います。

佐々木 /こんな有名な監督やスタッフたちが、デジタルとフィルムについて語った後に何を語ればいいのかと思いますけど(笑)、とりあえず、自分が1972年にテレビ局に入った時は、まだ同録でもないんですよ。フィルムと「デンスケ」というレコーダーを持って取材しました。

それが、瞬く間にフィルムと映像が同録のフィルムが入って、それが6分くらいだったと思います。そのあとは「チャイナシンドローム」なんかで出た、12分くらいのフィルム。ですから、インタビューなんかに出て、特にそれが政治家の記者会見だったりしたら、マガジンをどこで取り換えるのか。映画の中でも言ってたんですけど、それが大変でねぇ。取り替えている間に、大事な発言なんかがあると、もうオジャンというような時代でしたね。

それで次に、ビデオが出てきたんですね。その時のビデオは、一体化じゃなくて1インチというテープで、これもまた録画機とカメラをもって歩くので、なかなか大変でしたよ。で、アッという間に、今は家庭用の撮影機で報道のカメラマンが取材しているという時代に。映画の世界のデジタルカメラが、5Kまできたわけですよね。ここ30、40年間でここまで来るのはすごいな、と思いました。

中島/正直なご感想だと思います。20世紀は「映画の世紀」と言われましたけど、映画自体の発展が、他の芸術と比べて急激な発展をしましたから、技術や機械という問題を抜きにしてこの問題について話すことは難しいですね。

早川さんは、フィルムからデジタルに移行する時代の、フィルム世代のラストあたりからスタートした方だと思いますが、撮り方の変化とか、製作する上での変化とか、どういう風なことがありましたか?

早川/僕は元々、「どうやったら東京に行かないで映画が作れるか」ということをずっと考えてきていたので、わりとデジタルというものには初期から興味を持っていたんですね。

フィルムで作ってしまうと、北海道には「ラボ・現像所」がないので、東京に送らなきゃいけない。映画の中にも「カラリスト」とか出てきましたが、そういう映像の微調整をするのも東京でやらなきゃいけない。最終的な編集も、フィルムの編集をする人達も東京にしかいないので、札幌でスタッフを集めて撮影をしても、「フィニッシング」とか一番重要な部分は東京まで行かないと映画が作れないという状況になっていて、なんかそれは癪だなという思いがあって、「なんとか札幌でフィニッシングまで全てできないかな」とずっと考えていた時に、このデジタル化の波がここ10年、20年でやってきたので、わりと早めに飛びついてやっていたんですよね。

なので、この映画はまさしく、「自分がどういう形で、どういう機材を選んで、どういうシステムでやれば、よりクオリティの高いものが製作できるか」ということを考える意味でも、非常に共感できるし、「この映画もデジタルで撮っているのか」「このカメラで撮っているんだ」とか、そういうイチ映画ファンとしても、面白く見させてもらいましたね。

佐々木/早川さんはコマーシャルも撮ってたから、比較的さっきのは・・・。

早川/札幌のCM界も同じような意味合いで、フィニッシングを地場でやらなきゃいけないところもあって、フィルムで撮影するより、ビデオで製作するっていうのが全国的にも比較的進んでいたんですよね。

でも、当時のビデオはデジタルじゃなくて、アナログのビデオ。なので、どんどん劣化しますし、いろんな苦労もありました。が、たまたま僕はCMで育ったので、そういう環境からもデジタルへの移行は比較的早く、スムーズだったと思います。

中島/今早川さんがおっしゃったように、デジタルが撮れるようになったことで、製作にとってのさまざまなメリットはあると思うんですよ。

現実問題として、映画の製作自体は歴史的に3回、大きな作家たちが急激に増える時期があるんですね。これは、カメラそのものの事ですけれど、いわゆる第二次世界大戦後の16mmカメラが一斉に世界的に普及し始める時と、60年代後半から70年代にかけての8mmカメラですね。あの時に一斉に撮る人たちがものすごく増えるわけです。それがひとつの大きな基盤になってることは間違いないですよね。

それで、まさにその第3期がデジタル。一斉に増えること自体は僕はものすごく素敵なことだと思うんですけれど、全てに共通しているのは、まず粗製乱造がどっと起きて、どうしようもないのもものすごくたくさんあるということ(笑)。そういう形で増えちゃうと、一体どういう物が要求されてくるのかな・・・と思います。

佐々木/先日のゆうばり国際ファンタスティック映画祭のコンペティション部門でも、デジタルの映写機を入れたと聞きました。

というのは、作る人間がデジタルの素材で応募してくるので、なかったら上映できないものもあるようで、コンペ作品のほとんどがデジタルになっているということなんですね。映画でも言っていましたが、そうなると機会が広がったり、誰もが出来るということで新しい才能を見つけることができるのでしょうけど、今言われたように粗製乱造も出てくるというのもあるんでしょうね。まぁ、でもかなり多くの作品の中から選ばれた作品になるわけですから、その辺の取捨選択はものすごいことになるんだと思いますね。早川さんはどうですか?

早川/映画のラストに全てが語られている気がするんですよ。要するに、「心をこめてちゃんと作れば手段は変わらない。方法論は関係ないんだ」と。おそらく、そういう事に尽きるんだとは思うんですよね。

ただ、逆にハードルが低くなってますよね。昔はお金をすごくかけてフィルムで撮ったり、「どうやったら撮れるか」という事をみんなで考えながら工夫して撮る、という習慣がついていましたけど、今はわりと撮れちゃいますよね。そういう意味でハードルが下がって、間口が広がっているんだけど到達点は変わってないので、そこに到達するためにはちゃんとしたプロセスを経なきゃいけない。

そこですよね。間口が広がっているのはいいけど、ちゃんとしたプロセスを経て、どうやって高みにのぼっていけるか、という事を、どこまでみんなが考えられるかということに尽きる思います。

中島/むしろ、そうなっているが故に、ハードルは高くなってるんですよね。クオリティに対しては。

早川/だから、今の方が映画作りは難しいかもしれない。観客も、綺麗なだけの映像にはすごく慣れてきています。ニュース映像にしてもyoutubeにしても、いろんな映像がこれだけ流れてきていて、そこそこいいものってのは見れちゃう。じゃあ、自分がちゃんとお金を払ってその映画を観て満足できるかっていう。そういうプロになるために、皆さんがお金を払う物を作るってことに対しては、逆にハードルが上がっている気がしますね。

(つづく)

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