漂流民大黒屋光太夫はなぜ国際人になったか?

あさって19日(土)午後2時から、北の映像ミュージアムで大映映画「おろしや国酔夢譚」(1992年)についてのトークを担当することになっています。「北のシネマ塾」という月1回の当館企画です。そこで、今、映画の同名の原作を書いた井上靖が主要な資料とした「北槎聞略」を札幌中央図書館から借りて読んでいます。

帰国後の1793年、将軍に謁見した時の大黒屋光太夫(左)

「北槎聞略」(吉川弘文館版)は漂流遭難から10年後、数奇な経験をへて帰国した光太夫を事情聴取した蘭学者桂川甫周がまとめたもの。そこに描かれている光太夫は一介の船乗りではなく、博覧強記、好奇心旺盛の冒険家、世界観を持つコスモポリタンであることをうかがい知れます。

北槎聞略(吉川弘文館刊)

また10年間の外地生活で得たロシア語のボキャブラリーの豊富さ。フランスの著名な冒険家レセップスがカムチャツカ半島で光太夫と邂逅、類まれな人物であることを旅行記に書き残しています。それによると、帰国への展望が開けない初期でさえ、きちんと日記をつけていたと、いう。

桂川の助けを得て、ひらがなで示したロシア語の単語、文例集は当時話されていたロシア語の発音を示す貴重な例証となっているそう。つまり、ロシア語をキリル文字で表記しても、oの発音がオなのかアなのか類推できないように。

今回学んだ事を含めて、映画で描かれたコスモポリタン大黒屋光太夫の実像に迫りたい。さらには光太夫を取り巻く人間群像、1991年にクランクインした奥尻を皮切りに、イルクーツク、サンクぺテルブルグ(撮影当時はレニグラード)での撮影秘話などをご紹介します。

(この項、文責喜多義憲)

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