北海道ロケトークスペシャル第2弾レポート 『野のなななのか』編Part.1

ゆうばり映画祭3日目に開かれた

『北海道ロケトークスペシャル』のレポート第4弾です。

今回は『野のなななのか』です。

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今作については、監督ご自身が映画に込めた想いをたっぷりと語られて、
なるべく端折ることなくお伝えしたいので、2回に分けて紹介します。

監督・脚本の大林宣彦と
芦別映画製作委員会の石川睦子さんが登壇しました。

『野のなななのか』の製作の経緯については
こちらの過去の記事をご覧ください。 http://kitanoeizou.net/blog/?p=6738

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司会「芦別で映画を撮るという事は、芦別映画学校の校長でもある大林監督にとっては意味深いところだと思うのですがどうでしょうか」

大林「映画と言うのは人と人との出逢いの縁から生まれるものです。
芦別市に鈴木評詞君という若者が居ました。

(中略)

3.11を受け、日本の再生とは復興とは何だったかと考えました。
日本の敗戦後はモノとカネ、つまり文明と経済は発達しましたが 暮らしの文化はどんどん失われ、日本人の魂や心は戦火に晒されたように吹っ飛んでしまった。
3.11以降の私たちは、人として賢く生まれ変わることが本当の再生なのだと思います。

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私はふるさと映画作家を名乗り、
全国のふるさとを回り、 その志を映画にしようと務めてきました。
そういう想いが3.11以降強まりまして、 もう劇映画でもドキュメンタリーでもない
一種の徒然草のような見聞録と随想とで映画が綴れないかと考えました。

映画と言うのは本来は日記でもあっても 論文であってもエッセイであっても
詩であってもいいはずなのに なぜか2時間内外の劇映画と短編のドキュメンタリーしかない。 これは商業主義の形で、アートとしての映画ならば いろんな映画があっていいでしょう。
3.11以降、私はそういうエッセイのような、
あるいは風化のしないジャーナリズムとしての芸術をやろうじゃないかと。
『野のなななのか』は実は芦別を舞台にしたわけでも、 芦別で映画のロケをしたわけでもなくこれは芦別を映画にしたものだと思います。

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映画が出来上がり、こないだ芦別で上映会をした時に私は驚きました。
映画が出来たという嬉しそうな顔をしてる方は一人もいらっしゃいませんでした。
果たすべきことを果たした、そういう気高い顔を皆さんされてました。
1万6千人の小さな町で3千人の方が2日間でご覧いただきました。
「他人事じゃない、我が事かのように映画を観た。 私が語りかった、だけど語れなかった、語る機会がなかったことを この映画が語ってくれた、ああ良かった」そう言ってくれる年配の方とずいぶんお会いしました。

この映画は私たちプロがお手伝いして、
芦別の志を映画と言うカタチにしたというケースだと思います。

それと自主制作・自主配給の映画なのでお金はあまりありませんでした。
芦別市民の皆さんと私の小さなプロダクションで協力して製作しましたが、
今日は製作を務め20年間映画学校を支えて下さった石川さんがいらっしゃってます。」

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司会「石川さん、市民の募金といった物がかなり重要になって映画が作り上げられていったと 思うのですが、皆さんの参加意識というのはいかがでしたか?」

石川「今どこの街でも”何もない街”というのが皆さんの口癖になってるかと思います。
果たして本当にそうでしょうか。私はこの”何もない街”という考えは、
大林監督と妻の恭子さんとの20年間の付き合いで私の心から完全に消えました。

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「芦別の中に光り輝いてるもの、自然や人のぬくもりや温かみに目を向けずに”何もない街”と言う人たちの気持ちがわからない」という監督の言葉に気付かされたのです。
亡くなられた鈴木さんのバトンタッチを受けたのは私たち市民です。20人ぐらいの集まりですが、20年の間誰一人この輪の中から抜けた人はいませんでした。これはここまで来た大きな誇りです。監督も市民の心に応えてくれました。」

『野のなななのか』パート2に続きます。

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