「シネマの風景 特別上映会」レポート④~小檜山博さんトーク

北の映像ミュージアム開館3周年記念

「シネマの風景 特別上映会」(9月13日)。

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映画「大地の侍」上映前には、

ミュージアム館長で作家の小檜山博氏が

「本庄陸男と日本文学」と題してトークを行いました。

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内容を要約してご紹介しましょう!

* * *

「大地の侍」の原作は「石狩川」、本庄陸男という作家が書きました。なぜ僕がここに立っているかと申しますと、僕は滝上町に生まれ育ち、そこの炭焼き小屋、貧農の息子。裸足で小学校に通った開拓農家の息子でございます。一方、本庄は滝上の隣町、4km離れた上渚滑に育ち、父親が開拓農家となり、彼も8歳から15歳まで8年間、農家の手伝いをしています。僕も14歳まで農作業をしました。

本庄も僕も、評論家からは「頭で書くんじゃなくて、体で書く小説家が現れた」という評価をされています。なぜかというと、僕等は農作業の経験から「土」というものを知っている。つまり、「土を書ける」という共通点があるのです。

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原作「石狩川」は、非常に暗い書き出しで始まります。徳川幕府から明治政府に変わり、政府軍に負けた武士団が食べるために北海道に来る、その伊達藩のひとつが石狩当別に入る風景の書き出しであります。

その暗さについて、「小檜山さんの『出刃』と同じだ」と言う人がいました。そのはずです。僕が「出刃」を書く前に読んだのは「石狩川」でありました。 「石狩川」は開拓の物語ですが、「出刃」は離農の話です。あれだけ希望を持って武士たちが北海道を開拓したものを、40年後には(実際は100年以上ありますけれど)、土地を捨てて離農し、都会に流民になって出て行かなければならない小説を書かざるを得なかったのです。その理由を、「石狩川」は暗示しているところがあります。

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大地の侍(C)1956 東映

まずは本庄の生涯を振り返りましょう。 彼は上渚滑の小学校を出た後、紋別の尋常高等小学校を出て、14歳で卒業。上渚滑の小学校の代用教員になりますが、まもなく辞め、上渚滑村役場の臨時職員になります。しかし、「何としても金を貯めて東京に出たい」と樺太にわたります。1年弱働き、17歳で上京。青山師範学校を卒業し、東京の小学校の教員になります。その後、勤めながら小説を書いていきました。

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大地の侍(C)1956 東映

23歳の時、年下の女性と結婚しますが、彼が31歳のときに盲腸の手術に失敗して亡くなります。彼女はまだ29歳でした。そうして、今度は亡くなった奥さんの妹と結婚し、彼女に看取られて35歳で死んでいくわけです。 再婚した頃、本庄は肺結核になっていました。「石狩川」を34歳で書き上げ、2か月後には結核で亡くなります。 本庄のお墓は、本人の意志により上渚滑にあります。それは、8~15歳まで農作業に従事した、彼の精神風土がそこで育ったことを証明しているんだろうと思います。

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ここで本庄が当時、日本文学のどういう位置にいたのかということをお話しましょう。

彼は「文学界」など色々な雑誌に書いていますが、当時の仲間を見ると亀井勝一郎、小熊秀雄、伊藤整、田宮虎彦、川畑康成、山本雄三、谷崎純一郎、太宰治、林芙美子…などなど。「石狩川」の帯を書いているのは、「機械」などで有名なあの横光利一です。そういうことを考えても、彼がいかに凄かったかがわかります。本庄がこのレベルにいたことを、残念ながら北海道の人は知りません。

現在、日本から文学は消滅しました。僕の言っている文学は純文学の形をとるわけですけれど。今あるのは、通俗小説であり、大衆小説であり、サスペンスであり、推理であり、人殺しだけです。

それでは、日本に文学の復活の可能性はないのか。あるんです。それも、3つだけであります。ひとつ目は、「沖縄」、ふたつ目は「関西の差別」。

そして、3つ目は、「北海道開拓の問題」なのです。それは、アイヌ民族の問題、開拓者の子孫である我々の問題を含めて、北海道はどうあるべきかが解決されていない、という背景があるからです。我々の中にある自立心のなさ、このことを我々は自分自身に向かって問いかけなきゃいけないと思っています。

そして、この「北海道開拓の問題」を最初に描いたのが、本庄の「石狩川」なのです。 たとえばその後、開高健も「ロビンソンの末裔」で、有島武郎も「カインの末裔」で北海道について書いていますが、「石狩川」を超えてはいないと思います。なぜなら、百姓じゃないからです。彼らは頭で書いているんです。おそらく今までで10万を超える北海道の小説で、「石狩川」を超える作品は一本もないと、私は断言できます。日本文学においても、この小説はやっぱり頂点に立っている気がするのです。

ですから、〝日本文学の最高峰〟といえる「石狩川」を映画化した「大地の侍」をぜひご覧になっていただきたい。我々の先人、本州から来た人が血と汗とで開墾した土地を、なぜ50年、100年で捨てなきゃならなかったのか。食べ物を作っている農民が食べられなくて離農せねばならなくなったのか。これが、本庄が投げかけたテーマなのです。それを皆さんで汲み取っていただければと思います。

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大地の侍(C)1956 東映

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