「Love Letter」プロデューサーインタビュー! in 函館港イルミナシオン映画祭

今日は朝から雪。一段と冷え込んだ札幌です。

さて、本日は函館港イルミナシオン映画祭(12/2~4)の

ゲストインタビュー第5弾。

小樽ロケの名作「Love Letter」(95年、岩井俊二監督)

プロデューサーを務めた河井信哉さんをご紹介します。

河井さんは 「私をスキーに連れてって」(87年) 「スワロウテイル」(96年)
「Jam Films」(2002年) 「愛のむきだし」(2008年)

など多数の作品製作に携わり、

日本を代表する映画プロデューサーのひとり。

函館には、映画祭・シナリオ大賞の

審査員を務めており、毎年のように来函されています。

そんな河井さんに質問です。

ーー北海道での最初のお仕事は?
今から30年前の「南極物語」(83年、蔵原惟繕監督)なんです。

当時はまだ20代で、ただのスタッフとして参加し、何度も稚内に足を運びました。あの作品は、フジテレビが製作した最初の映画なんですね。僕もテレビ局に入社して、まさか映画をやるとは思ってもいませんでした(笑)。

ーーそうですか!当時の思い出はありますか?
2年間の制作中、ずっと監督と一緒で、犬のオーディションなどもやって…けっこう大変でした。主演の高倉健さんと、札幌から稚内まで小さい飛行機で移動したこともあります。自分が一番最初に関わった映画でもあり、印象深いです。あれは、「南極」と言ってますが、実は北海道で撮影しているわけですよね。そういう意味では、いい意味で〝映画のウソ〟〝映画のマジック〟を感じた作品ですね。

ーーなるほど。「Love Letter」についてはいかがですか。
あれは、実質、岩井俊二監督の長編第一作目。ただ、もう、小樽に感謝、ですね。もう時効だと思うので話しますが、当時、アイドル歌手だった(主演の)中山美穂さんの役は二役の難しい役。できるかどうか、岩井監督とも議論にもなりました。一方、中山さんは若かったけれど、芸能生活はすでに長くて、テレビドラマ・歌手として成功もしていました。映画には3作に出演していましたが、本人はあまり満足していなくて、映画に対して懐疑的だったようなんですね。3作のうちひとつは、僕がプロデューサーだったんですけれど(苦笑)。それで、最後の映画でもいい、という決意で出演したのが「Love Letter」だったんです。

ーーへぇ~!そんな裏話があったんですか。
それが、実際に撮影が始まって、僕はずっといたわけではないので詳しいことは分かりませんが、ラストシーンの撮影の時です。しんしん降る白い雪の中だったんで、僕なんか「寒いな~」と思って、心配して中山に声を掛けたら、「一生ここにいてもいい!」なんて言うんですよ(笑)。それほど、小樽が気に入ったみたい。その愛着は強烈で、すごかったですね。確か、僕の記憶では、次の仕事のギリギリまで北海道にいたはず。テレビ局の人間が心配して僕に連絡してきたのを覚えています(笑)

ーー岩井監督とのお付き合いも長いですね。
ええ。この「Love Letter」ロケが伏線になっているのか、最近、岩井監督は「北海道でまた撮りたい、移り住みたい」なんて言ってるんですよ(笑)。これまでの東京発の時代は終わった、と。僕も、これからは東京にない文化、匂いを海外に伝える時代だと思うんです。ローカル発、北海道発で何かやりたいな、と思います。

ーー北海道にはまだ可能性があるのですね!
むしろ、これから〝ローカル発〟に可能性があるんだと思います。東京にない風景があるし。実は昔、札幌に映画大学を作ろうという動きがあって、それは残念ながらなくなりましたけど、もう一度、そういう拠点の場が北海道に必要だと思います。映画を作る人が集うことが大事なんです。また、「Love Letter」のロケ地になった家が火災で無くなったことは非常に残念でした。映画のロケセットを保存すれば、観光にもつながります。北海道ならオープンセットを残すことも可能なので、観光にも活用できる。今後、自分がやるときにはぜひ、そういったことも考えていきたいですね。
ーーそうですか、応援しています!ありがとうございました。

以上です。

パーティーの最中にも関わらず、

アツいお話をたっぷり聞かせてくださり、

北海道への、作品への愛情が伝わってきた時間でした。

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